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東京恋物語 ⑤謎多き恋のゆくえ

都心から西へ、世田谷通りを川崎方面に進むと、閑静な住宅街の広がる中に狛江市役所がある。その入口にある門をくぐった先には、早朝にもかかわらず、すでに多くの機材や衣装、小道具を積んだトラック、そしてマイクロバスが、数台停車していた。
ロケ用に貸し切っている市役所の二階では、オフィスとしての撮影にむけて多くのスタッフが、慣れた手つきでデスク周りやロッカーなどを、持参した書類や小物、ポスターなどを使って、リアルな現場へと作り上げている。
「おはようございます」
奈々子が、撮影カメラをチェックしている監督のほうへ近づきながら挨拶をするやいなや、周辺のスタッフやエキストラたちが一斉に、奈々子へ向けて挨拶をした。
「奈々ちゃん、昨日は大変だったね。ちゃんと眠れた?」
五十歳代ならではの熟練した風格を漂わせる監督が、やさしく声をかけた。
「ええ、大丈夫です。今日一日、よろしくお願いします」
奈々子はそう言って会釈すると、マネージャーの浅野とともに、控え室として用意された、同じフロアにある小会議室へと向かった。
「奈々ちゃん、休養のプレスリリース予定がちょっと早くなったけど、頑張ろうね」
浅野は、奈々子の背中に手を当てながら、そう言った。

先日からマスコミを騒がせている宮野との破局報道は、一週間前に奈々子の事務所から、とある芸能週刊誌へ意図的に流したリーク情報がきっかけだった。そして、このリーク情報は、瞬く間にメディア各社へと広まっていったのだった。
半年前から、テレビのバラエティ番組や情報番組で、宮野と接点のあった奈々子は、共通の女性タレントから紹介を受けて、数人で食事会をしたことで、それ以降、宮野が積極的に奈々子へ連絡を入れるようになり、これまで数回、二人でプライベートな食事をしている。
特段、深い仲になってはいなかったが、一か月ほど前のある夜、六本木の高級レストランで、宮野との食事を終えて外に出た奈々子は、お酒に酔ったせいか、舗道の段差に躓いた。その瞬間、宮野にもたれかかった姿が、見張っていた週刊誌記者に撮影され、掲載されたのだった。するとそれが、あっという間に、多くのメディアによる熱愛報道へと発展したのである。
その後、報道にはならなかったが、宮野と親しかった女性の一人が、突然、自殺未遂をしたこと、さらには、奈々子の後輩女優が、数か月前から密かに宮野と交際しており、急に事務所を辞めると言い始めるなど、事務所側も宮野に対して不審感を抱きはじめたことから、事務所主導で意図的に、今回の破局を企てたのだった。さらに、今後、あらぬ詮索をするメディアを遠ざけて、奈々子のイメージを壊すことのないように、自動車学校での免許取得や、かねてから趣味としていた、エッセイやリリックなどの創作活動に専念するため、半年間の休養を、近いうちに事務所からプレスリリースすることにしていたのだった。

市役所の二階フロアでは、クランクアップに向けて、ドラマの撮影が順調に進んでいた。
「カ~ット。いただきました~」
監督の声がフロアに響くと、その横にいたスタッフは、周囲に昼休憩の合図を出し、エキストラ達も、隅に置かれたロケ弁を受け取って、昼休みへと散って行った。
「奈々ちゃん、すっごく、いいよ。魂の演技って感じだね。午後からもよろしく」
監督はそう言うと、昼休みにもかかわらず、撮ったばかりの映像を入念にチェックする作業をはじめた。
奈々子は、そんな監督に会釈した後、控え室へと歩きながら、携帯電話を取り出し、電源を入れると、通信アプリを立ち上げた。その送信先一覧には、小嶋祐太郎の名前が表示されている。
控え室のテーブルで、ロケ弁を前にして写真を撮り、奈々子はメッセージを打ちはじめた。
(ヤッホ~、お昼だよ~。いただきま~す)
そして、絵文字を最後に加えると、奈々子は、ロケ弁の写真も同時に送信した。その送り先は、もちろん祐太郎である。

西早稲田のメトロキャブ本社からほど近い、大久保通りを路地へ少し入った場所に佇むワンルームマンション。ここに、祐太郎の住まいがある。父親の小嶋正一郎と家族は、中野区に一軒家を所有して住んでいるが、祐太郎は大学時代から、このワンルームマンションで一人暮らしをしている。大学に近かったせいもあるが、この大久保通り一帯はリトル・コリアとも呼ばれ、韓国料理だけでなく中華やエスニックと、食事には事欠かないことも理由であった。
本来なら、今日の早朝までタクシー乗務を続け、収受金の精算、納金をした後は、今頃、自分の部屋のベッドで夢の中、つまり熟睡しているはずだった。しかし昨日、長谷川の配慮で、深夜早々に業務を終了したことから、今日は朝から、会社の一階にある洗車場にて、愛車であるBMWミニの車内清掃と洗車をしていたのだった。
「えっ」
ズボンの後ろポケットに入れていた携帯電話に、バイブレーションを感じた祐太郎は、洗車していた手を止めた。
「奈々子さん・・・、ぷっ」
ロケ弁の写真とともに短いメッセージを受け取った祐太郎は、奈々子らしい文章に思わず噴き出してしまった。
(頑張って、あともう少し。何かあったら、いつでも連絡下さい)
取り急ぎ、祐太郎も短いメッセージを打ち込んで、返信した。
ビルの外には、今日も陽気で春らしい風が吹いている。洗車を終えた祐太郎は、愛車に乗り込むと、新宿の街へとアクセルを踏んだ。

夕暮れ間近の狛江市役所周辺は、土曜日とあって、普段着を着た家族連れが多く行き交っていた。そして、市役所の一階ロビーには、まもなく最後のシーンを撮り終える奈々子の姿があった。
「カ~ット。奈々ちゃん、オールアップ」
監督の声と同時に、周りにいたスタッフ達は、ラストカットの撮影を終えた奈々子に向けて、一斉に拍手を送った。
「ただいまのシーンをもちまして、新藤奈々子さん、オールアップです」
男性スタッフの一人が、そう言うと、隣にいた女性スタッフが、準備していた大きな花束を奈々子へと渡した。周囲の拍手はまだ鳴り止んでいない。
「ありがとうございました」
奈々子は、そう言いながら、監督と握手をすると、まるでこの瞬間を待っていたかのように、多くのメディアカメラマンが周囲を取り囲み、眩しいくらいのフラッシュが、奈々子へと向けられた。
多くの関係者と挨拶を交わした奈々子は、マネージャーの浅野とともに、この後に予定している記者会見までの時間を、二階の控え室で過ごすため、花束を手に撮影場所を後にして歩き始めた。一階ロビーの脇では、記者会見場の設営スタッフが、多くの椅子を並べ始めている。
「頑張って、あともう少し」
隣を歩く浅野が、奈々子に声をかけた。
(あともう少し)
昼間に祐太郎が送ってきたメッセージを、奈々子は思い出していた。

午後七時。祐太郎は、すでに愛車のBMWミニを、会社内にある月極パーキングスペースに駐車した後、自宅のワンルームマンションへ戻っていた。 通常、タクシードライバーは、会社が事前に決めた、月に十回前後の隔日勤務をこなすことになっている。よって、休日は週に二日から三日のペースでやってくる計算だ。よって、明日の日曜日も、休日となっている祐太郎であったが、当初から予定は何も入っていない。今晩、テレビの報道番組で生中継される奈々子の記者会見を見て、明日になれば、奈々子と会うことになるかもしれないことを考えると、好都合であった。                   
                                  「では、弊社グランステージ所属、新藤奈々子より、今回の休養につきまして記者会見を行います。まずは、本人から説明をさせていただきます」
午後八時。テレビには、記者会見に臨む奈々子、そして両サイドには関係者が着席している様子が映っている。そして、記者会見の司会者は、奈々子に発言を促した。
「まず、関係者の皆さまには、今回の休養申し出を温かく受け入れていただきましたこと、深く御礼申し上げます。そして、今回このような、報告の場を急遽設けていただいたスタッフの方々、お集まりの報道各社の皆さまには、重ねてお詫びと御礼を申し上げます。今後、女優業へのさらなる精進のため、多くの学びと経験を得るために、半年間という、この貴重な時間を活用したいと考えています・・・」
そして、奈々子は最近のマスコミで、さまざまな報道がされていることについて、そのすべてが表面的、一時的な情報に基づく妄想に過ぎないことも付け加えた。
「では、お集まりの方々からの質問を受け付けます」
司会者の言葉に、多くの報道陣が手を上げると、予想以上に多くの質問が、容赦なく奈々子に降りかかっていた。おそらく、事前に用意した想定問答以上であったに違いない。
祐太郎は、そのひとつひとつを熱心に聞き入っていた。
「昨日、新藤さんと連絡がとれなかった空白の時間帯だと思われますが、ある情報では、新藤さんの乗った車が、赤坂、青山付近でカーチェイスをしていたという話もあるようですが・・・」
この記者の質問に、祐太郎は驚いて、思わずテレビ画面を凝視した。
「腕のいい運転手さんだったから、乗り心地が良くて、思わず後ろでウトウトしていた時間帯だと思います。まさか、そんなことがあったなんて。最近は、あおり運転が多いそうですから、たまたま遭遇したのかもしれませんね」
祐太郎は、この奈々子の返答を聞きながら、女優ならではの貫禄を改めて感じた。
「それでは、次で最後の質問とさせていただきます」
司会者はさらに、会見が始まってすでに、一時間半が経過しており、終了予定時間をオーバーしていると伝えた。
「はい、では最後の質問をどうぞ」
そして司会者は、一人の男性フリージャーナリストを指名した。
「宮野氏との熱愛が発覚する少し前、新藤さんと同じ事務所の新人女優が、宮野氏とお付き合いしていたという噂がありました。それについて何かコメントいただけますか?」
この質問を聞きながら、奈々子は一瞬固まったように、無表情になっていた。しかし、すぐに平静を取り戻し、話しはじめた。
「予め、そういう噂があったことは承知していました。ただ、私の熱愛という報道は、単なるマスコミ側の過熱です。確かに、私は数回お食事をご一緒しましたが、すべてビジネスのお勉強をさせていただく目的でのこと。それ以外の、他意はございません。よって、新人女優のお付き合い云々とは、何の関係もございません」
奈々子が言い終わったところで、司会者から、会見の終了が告げられた。
祐太郎は、すでにCMへと切り替わっているテレビの画面を見ながらも、頭の中では別の事を考えていた。
「もしかして、奈々子さんは意図的に宮野に近づいたのか・・・」
祐太郎は、そう言いながら、テレビの画面を、ただ見つめていた。

「あの、新藤さん」
記者会見が終了し、会場となっていた市役所一階ロビーを後に、事務所スタッフ数名に囲まれながら、玄関先のワゴン車へ向かっていた奈々子は、背後から駆け寄ってきた男性フリージャーナリストに呼び止められた。
「すみません、ちょっとだけ。これを・・・」
男はそう言って、自分の名刺を片手で奈々子の前に差し出した。
「何かあれば、連絡を・・・」
男の声が、歩き出した奈々子の背後で聞こえた。
ワゴン車に乗り込んだ奈々子は、手にしたままの、渡された名刺を見つめた。
「確か、最後に質問したフリージャーナリスト」
奈々子はそう言うと、名刺に書かれた瀬戸翔太の文字を見つめた。かつて一度だけ、テレビの情報番組で一緒に仕事をしたことがある。四〇歳は過ぎているだろうか、海千山千の雰囲気を持つ風貌が、とても印象的だったのを覚えている。
奈々子は、先ほどの瀬戸が発した質問を思い出していた。鋭いところを攻めていて、少々意地の悪さも感じたが、その情報収集力は、評価できると奈々子は好感を持った。
「もしかして、彼は宮野の何かを知っていて、そのことを追っているのかも・・・」
ひとり言のようにつぶやいた奈々子を乗せて、ワゴン車は、深夜の狛江市街を抜け、東京都内へと、世田谷通りを走り始めていた。

「ブルルル、ブルルル」
部屋のベッドで横になっていた祐太郎は、携帯電話のバイブレーション音に気づいた。
条件反射のように、枕元からサッと手にした画面には、通信アプリの新着メッセージが届いているサインが見てとれた。予想通り、奈々子からである。
(明日、日曜日は夕方まで仕事だけど、夜はフリーよ。会える?)
祐太郎は、待ってましたとばかりに、返信文を打ち始めた。
(どこで、何時くらい?)
(私の自宅へ、夜八時くらいに来て。直接、ドアの前まで)
(了解)
内心、祐太郎は、もっと多くの言葉を使って、文字での会話を楽しみたいと思ったが、奈々子が今日を、どれほど気丈に振舞い、過ごしたのかを考えると、この程度のメッセージで留めておくべきだと思った。
「明日か、ただ・・・、夜まで暇だな~」
これまで、祐太郎は特定の彼女と交際をしたことがない。公立の中学校を卒業した後は、新宿区内にある私立の男子高校へ進み、大学時代の四年間は自動車部での活動に、青春の全てをかけてきたのだった。
趣味といえば、愛車のBMWミニを使って、都心を離れた鎌倉や逗子、葉山あたりまで足を延ばし、ひとり散策するくらいだった。それ以外の時間は、部屋で海外ドラマや映画を見るといった、女性との接点がほとんどない暮らしをしていた。
「そうだ、手ぶらで行くのも、ちょっと・・・」
祐太郎は、そうつぶやきながらも、奈々子が抱えている深い闇の部分が気になりはじめていた。

<終> 第六話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/n893deb23aa99

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