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東京恋物語 ⑩動き出す運命の歯車

祐太郎と奈々子が、尾行していた緑色のタクシーを首都高の入口で見事にフェイントをかけて見送った頃、時を同じくして宮野を乗せた白いベンツが、赤坂から青山一丁目を右折し、外苑東通りを新宿へ向かっていた。
「そうですか・・・、見失いましたか」
後部座席に座る宮野が、携帯電話の相手に向けて残念そうな口調で言った。
「まあ、仕方ないですね。ご連絡ありがとうございました」
宮野は、そう言うと電話を切った。
「週刊誌の記者からですか?」
運転席から、坂本が宮野にたずねた。
「ええ、以前に坂本さんを振り切ったタクシードライバー・・・、覚えてますよね。その車に乗っていたようですね」
宮野は先ほどの電話で週刊誌の記者から、奈々子がメトロキャブというタクシー会社を使っていたことや、運転手がイケメン風の若いドライバーであったことを聞いていた。この記者とは、宮野が女性専用のアルバイト紹介アプリを大ヒットさせた際に取材を受けて以来、懇意にしている。また、宮野からの事前リークを受けて、奈々子と六本木で食事をした後に、ふたりが寄り添う写真を盗撮、熱愛スクープ記事に仕立て上げたのも、この記者だった。
「ということは、もしかして新藤さんの交際相手は、そのドライバーということ・・・」
「まず、間違いないでしょうね」
坂本のつぶやきに対して、宮野は眉間にしわを寄せながら答えた。
宮野を乗せた白いベンツは、外苑東通りと新宿通りの交差する四谷三丁目交差点の信号機を前に、先頭車両の位置で左折の信号待ちをしていた。
「あれ?あの車は・・・、メトロキャブ。もしかして・・・」
車のウインカーを点滅させながら、目の前を通り過ぎる車を眺めていた坂本は、前方を右から左へと通過する一台のタクシーを目で追いかけながら言った。
祐太郎が会社から自分専用として使わせてもらっている車は、富国自動車の最高級クラスで、法人タクシーとしては数少ない車種であったため、目立つのである。
「ちょっと、追ってみますか?」
坂本は宮野にたずねた。
「ええ、お願いします。もし、週刊誌の記者が見逃した車なら、奈々子が、今後何を企んでいるのかを知る手がかりになるかもしれませんから」
そして、坂本は車を左折させると、次の信号の手前で停止している祐太郎の車を見つけた。この新宿通りの車線は片側五車線もある広い通りで、祐太郎の車は外苑西通りの富久町西交差点へ通じる一番右のレーンにいた。
信号が青に変わると、坂本も後を追うように一番右のレーンへ車線を変更し、祐太郎の後を追った。

四谷四丁目交差点。
祐太郎はハンドルを右に切って、外苑西通りを富久町西交差点へ向かった。その交差点は、靖国通りにつながっており、さらに明治通りへと進めば、祐太郎の住む大久保エリアのワンルームマンションへ行くことができる。そしてこの日、奈々子が大きなスーツケースをふたつも持参していたのは、祐太郎のワンルームマンションに仮住まいをするためであった。すでにマスコミや世間に、自宅である二番町のマンションを知られた以上、しばらくの間、どこか別の場所で生活する必要があると、奈々子自身が感じていたからである。
「白いベンツが後ろにいるな」
祐太郎は、後ろの奈々子にそう言うと、以前に青山の銀杏並木通りで振り切った白いベンツかどうか確かめるために、富久町西交差点手前にある大木戸坂下の信号で、ゆっくりとUターンをした。そして、後続の白いベンツも、同じようにUターンしたのをルームミラーで確認すると、祐太郎は白いベンツをこれからどうやって振り切るかを考えた。
「緑色のタクシーの後は、白いベンツ。私たちって、人気者ね」
「そんな気楽なこと言って・・・、いまどうするか考えてるんだから」
祐太郎は、苦笑しながら奈々子にそう答えると、何かを思いついたように、一気にアクセルを踏んだ。
この周辺は、交通量が非常に多く、以前のようにスピンターンで振り切ることは難しい。
祐太郎は、先ほど通過した四谷四丁目交差点へ、右折レーンを青信号めがけて加速し、御苑トンネルへと入っていった。
「奈々ちゃん、ちょっと揺れるから、しっかりつかまって」
祐太郎はそう言って、車のヘッドライトを点灯させると、二車線あるトンネル内を、他の走行車を縫うように、次々と追い越しはじめた。
時速は、瞬間的ではあるが八十キロを超えている。
「マジか?」
同じように後ろから、ぴったりとついてくる白いベンツを、ルームミラーで確認しながら、祐太郎は驚いたように言った。
「あの白いベンツのドライバー、ただ者じゃない。奈々ちゃん、あのドライバーのこと何か知ってる?」
祐太郎は、奈々子に白いベンツのドライバーについて聞くと、詳しくは知らないが、かつてタクシードライバーをしていたらしいと話した。
「なるほど」
納得した祐太郎は、御苑トンネルを抜け、新宿駅南口に向かう登り坂を一番左側の車線へと車を進めていた。右手が新宿駅南口、そして左手は長距離バスとタクシー専用のターミナルビル、バスタ新宿となっている。
ルームミラーには、数台後ろに、白いベンツの姿が映っている。
祐太郎は、車のウインカーを左に点滅させ、ゆっくりとバスタ新宿のターミナルビルへ車を進めると、運転席側の窓を開けて、入場口で立っている警備員に声をかけた。
「お疲れ様です。すみませんが、数台後ろにいる白いベンツが左折で入ろうとするかもしれませんから、注意して下さい」
バスタ新宿は、規則として一般車両が入ることはできない。
敬礼する警備員に、祐太郎はそう言って、スピードを落としながら左折入場し、ルームミラーで背後の様子を見ていた。
「やはりな」
背後には、警備員と話をしている白いベンツのドライバーがいた。しかし、警備員が体を張って行く手を阻んだため、白いベンツは、あきらめた様子で去っていった。
その様子をルームミラーで見届けた後、祐太郎はターミナル三階の内部を一周し、再びバスタ新宿の出口に戻ると、甲州街道を右折して明治通りから大久保通りへと向かった。

多くのアジア系ショップが軒を連ねる大久保通りは、平日でも原宿並みに若い女性たちが両側の歩道を歩いている。
祐太郎は、そんな歩行者に注意しながら、右側にあるコインパーキングに車を停めた。
「奈々ちゃん、ここからちょっと歩くけど、いいかな」
「もちろん。大丈夫よ」
そして、ふたりはスーツケースやバッグを車から取り出すと、祐太郎の住むワンルームマンションへと向かった。
大久保通りから、路地を少し入った場所には、多くの一軒家やアパート、ワンルームマンションが立ち並ぶ、庶民的な風景が広がっている。その中でも、センスの良さを感じるこぢんまりとしたワンルームマンションに、祐太郎が大学時代から住んでいる部屋があった。
「へ~、意外と綺麗にしてるじゃん」
「まあ、今日のために少しだけど掃除したから」
「じゃ、ここで・・・、いまから新婚生活がはじまるのね。わたしたち」
「えっ、まだ結婚してないんだけど・・」
そんな祐太郎の返事に構うことなく、スーツケースを開けた奈々子は、クローゼットに自分の服を収納しはじめた。
「とにかくこれで、予定した第三フェーズまで終了したってことかな」
祐太郎はそう言って、楽しそうに荷物を片付けてゆく奈々子の姿を見つめていた。

午後六時。
新宿歌舞伎町を貫く区役所通りは、昼間の静けさから、次第に夜の喧騒へと変貌しつつあった。
先ほど、メトロキャブの車をバスタ新宿で見失ったものの、気を取り直して平静を取り戻した坂本は、白いベンツの後部座席に宮野を乗せて、靖国通りから区役所通りに入り、風林会館のある交差点を左折すると、ゆっくりとしたスピードで花道通りを進んでいた。
「懐かしいですね。この街は」
宮野が後ろから、懐かしむように言った。
「ええ。お互いに店や時期は違っても、この歌舞伎町では、いろいろありましたからね」
坂本は、そう言いながら、車をパーキングに駐車すると、宮野とともにネオンが輝き始めた繁華街の中へと入っていった。
多くのホストクラブが入居するビルの五階には、都内と地方都市でホストクラブを十数店舗展開するエスプリグループの旗艦店、アポロンがある。この日はここで、グループの全体会議が午後六時から開催されることとなっていた。
アポロンの重厚なドアの向こうには、豪華なソファーやシャンデリアが印象的な、まるで別世界を思わせる空間が広がっている。そして、その奥で照明を全開にした中、会議の準備のために指示を出しているひとりの男性に、宮野が声をかけた。
「おはようございます、元気そうですね」
「おう、宮野くん、おはよう。坂本さんも・・・、それじゃあ、開始の時間まで、おふたりここに座って待っててくれるかな」
そう答えた男性は、エスプリグループの総代表、美月涼である。すでに四十歳は越えているが、ブラウン色に染め上げた髪は、ビジネスカジュアル風にカットされ、その美しい顔立ちと、細身のスーツを着こなすシルエットは、現役の男性アイドルと言っても過言ではない。
「そうだ、宮野くんが提案してくれたアプリ。うちが導入して、もう一年以上が経つかなぁ、会員はもう一万人を越えたみたいだよ。おけげで、その収益が彼らのベーシックインカムになって、新入りのホストたちも、安心して働いてくれてるよ」
「それはよかったです。もうあんな、不幸な末路をたどるホストは、一人も出したくないから」
そう言う宮野はかつて、埼玉県の県立高校を卒業した後すぐに、このエスプリグループでホストをしながら、コンピュータ専門学校へ通っていたのだった。そして、その頃に宮野と時期を同じくして入店した年長のホストが、日々続く多量の飲酒がもとで肝臓疾患となり、最終的には心不全で死亡したのである。病院へ行くお金もなく、当時、店の代表であった美月が異変に気づいた時は、すでに末期症状になっていた。すぐに緊急入院をしたものの、一ヶ月後には病院の一室で、静かに息を引き取ったのだった。まだ二十代後半の若さであった。
このホスト業界には、過酷な家庭環境や生い立ちを脊負った若者たちが、夢を求めて集まってくる。群馬県出身の美月もそんな一人であった。高校を卒業後、財布には五千円しかない状態で、ボストンバッグひとつ持ったまま上京。そして、ホスト経営者が管理する寮に住み、すぐさま歌舞伎町で働きはじめると、一年後には店のナンバーワンホストにまで、のし上がっていた。未成年のため店内での接客時に飲酒はできないが、その美しい容姿と群馬弁の田舎風なギャップが人気を集めたのである。やがて、美月はその店の代表となり、経営に携わるようになると、店舗数をさらに拡大させて、現在のエスプリグループを作り上げたという歴史があった。
「それでは、いまから全体会議を始める。まずは総代表からのお言葉がある。さらに今日は、ゲストとして来ていただいているエムケーフォースの宮野社長からメッセージをいただく。みんな気持ちを集中させて聞いてくれ。いいか!」
「ハイ!」
司会の男性がそう言うと、会場を埋め尽くすほどに集まったホストたちが、一斉に返事をした。 

<終> 第十一話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/n5d36671b65c2

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