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東京恋物語 ⑪ささやかな生活

昨日、白いベンツの追跡をバスタ新宿で振り切り、その後、奈々子を自分のワンルームマンションに送り届けた祐太郎は、そのままタクシードライバーとして最後となる業務を続け、午前四時半に終了した。これからは、半年間の休職に入り、学生時代から住む大久保の小さな部屋で、短い間だが奈々子と暮らすことになる。
祐太郎は、午前六時に最後の営業精算報告を終えた後、その三十分後には自宅ワンルームマンションの部屋の前に立っていた。そして、入口ドアにある呼鈴ボタンを押そうとしたが、すぐにその手を止めて、静かにガキを指し込むと、ゆっくりドアを開けた。早朝に帰宅するとは伝えていたものの、まだ寝ているであろう奈々子を起こさないようにと考えたからである。
「あら、お帰り」
奈々子は、入り口のすぐそばにあるキッチンで、なにやら料理を作っているようだ。
「えっ、もう起きてたの?」
「そうよ、だって主婦なんだもん」
そう言う奈々子を、祐太郎は微笑みながらも不思議な感覚で見つめた。
つい先日まで女優業をしていた、いや、今もなお収録済みのドラマやCMで、テレビ露出の多い有名女優が、こんな狭いワンルームマンションで、自分を主婦だと言っている。その姿に祐太郎は、人生の奇妙な縁ともいえる不思議さを感じていた。
「なにボ~っとしてるの?先にシャワーでも浴びたら?」
「あっ、ああ、そうだね」
味噌汁のいい香りが漂う部屋の中で、祐太郎はすぐに着替えを済ませると、ボクサーパンツひとつだけを身につけて、バルスームへと入っていった。
シャワーを浴びた後、八畳ほどの広さしかない部屋に戻った祐太郎は、中央に置かれたローテーブルに、ふたり分の朝食が置かれているのを見た。
「こんなものしかできないけど、ごめんなさいね」
そう言う奈々子が用意した朝食は、シャケの塩焼き、卵焼き、味噌汁、そして漬物といったシンプルなメニューだったが、祐太郎にとっては、久しぶりにコンビニ弁当以外の、出来たてで温かな料理を目の前にしていたのだった。
「ありがとう。じゃ、いただきます」
「昨日の夜、近くを散歩してたら、大きなスーパーがふたつあったの。どっちも深夜まで開いてるから、つい何回も行っちゃった」
奈々子はそう言って、昨晩はひとりで、深夜の半額セールになった弁当を食べたのだと話した。部屋の片付けや水回りの掃除をしていると、何も食べないまま深夜になったからということだった。
「ぷっ・・・」
半額セールの弁当と聞いて、祐太郎は、思わず食べていたご飯粒を噴き出しそうになった。
「僕はよく半額セールの弁当や総菜狙いで、深夜に行くけど、奈々ちゃんがそんなことするなんて、ちょっとイメージが・・・」
「でもね、好きな人と過ごす、ささやかな生活も悪くないわ」
奈々子は、瞳を輝かせながらそう言った。そして、どこで買ったのか、女性用のジャージ姿が妙に似合っていることに、祐太郎は気がついた。
「そのジャージ、以前から持ってたの?すごく可愛いんだけど」
「あっ、これ?実はね、昨日、掃除道具を買いに外に出たついでに買ったのよ。それとね・・・」
祐太郎は、食事をしながら、奈々子の止まる気配のない話を、ただひたすら聞いていた。
「ねえ、何かリアクションしてよ。わたしばっかり話してるじゃない?」
ふてくされた奈々子の顔が、なぜか無性に愛くるしく見える。
「明日からタクシーの仕事は休職になるけど、近いうち、ホストの面接を受けた後は、情報収集するから寮住まいになるし・・・、こんな奈々ちゃんの顔は、しばらく見れなくなるな~って、ふと思ったんだ」
「バカね。じゃ、それまで・・・、いっぱい愛してくれる?」
そう言って近づいてきた奈々子に祐太郎は、ポニーテールに束ねた髪をなでながら、うなじへと手をまわした。そして、先ほどまで感じていた眠気が、まるで嘘のように、祐太郎はひたすら奈々子を求めはじめていたのだった。
 
地下鉄の乃木坂駅からほど近いオフィスビルの中に、エムケーフォースの本社がある。その会議室では、宮野が開発チームを前にして、新商品アプリの開発コンセプトを、スクリーン映像を見せながら説明していた。
「一般的なタクシーの配車アプリは、既に他社の商品で飽和状態です。ウチは、別の切り口でタクシー業界向けの配車アプリを作りたいと考えています。それは、マイ・ドライバーアプリ。つまり、乗客が、お気に入りのドライバーを指名して配車させることができる、新しいタイプのアプリです」
そして宮野は、最初のターゲットとして、業界でも中堅規模であり、フランチャイズでなく、すべて直営で都内に営業所を展開しているメトロキャブを想定していることを伝えた。
「できれば、最長でも三か月以内にプロトタイプを完成していただきたい。その前後で一度、提案先へのプレゼンをしたいと考えています」
宮野はそう言って、ミーティングの進行を開発担当役員に任せると、席に置いていた資料に目を通しながら、頭の中では、昨日、坂本が車の中で発した言葉を思い返していた。
「いま企画中のタクシー配車アプリですが、他社との差別化を図るために、ドライバーを事前に指名して配車できる機能を追加してもいいんじゃないですか?」
そして坂本は、このアプリをメトロキャブに提案することで、所属するすべてのドライバーを事前にデータ登録することが可能になり、奈々子の交際相手を特定することができることや、それによって、奈々子が何を企んでいるのかを掴むヒントが見えてくるのではないかと話していた。
この言葉を受けて、宮野はすぐに車内から携帯電話で、まだコンセプト企画の段階であったタクシー配車アプリ開発に、ドライバー指名機能を付加することを、開発担当役員に指示したのだった。そして宮野は、ひと晩で正式な企画書を作成させると同時に、今日の会議を緊急で召集していたのだった。
「では、以上で会議は終了と致しますが、最後に社長から何かありますか?」
開発担当役員の言葉に、宮野は考え事をしていたせいか、しばらく反応することができなかった。
「社長?最後に何か・・・」
開発担当役員が再度、宮野に声をかけた。
「ああ、失礼。では、みんな、急なお願いで申し訳ない。しかも開発は突貫スケジュールになるが、よろしく頼む」
その後、ミーティングは終了し、メンバーは会議室を退出していったが、宮野はただひとり席に残り、なおも資料を見ながらも、頭の中では別のことを考えていた。
「もしかして、奈々子はNPO法人を立ち上げた後、ウチに対して何か仕掛けてくるのかもしれない・・・」
そうつぶやいた宮野は、赤坂にある自社ビルを拠点に、新宿歌舞伎町を絡めて秘密裏に展開しているネットワーク・アプリのことを考えていた。
「ブーブーブー」
着信のバイブ音を感じた宮野は、上着のポケットから携帯電話を取り出した。
財務担当役員から、株式上場に向けた事前打ち合わせが、間もなく別の会議室で始まるというリマインドメッセージである。今年の秋を目途に、エムケーフォースは東証マザーズにIPO銘柄として新規上場する予定であるが、その前提として、煩雑なデューデリ(財務や法務に関する事前精査)作業が控えており、社内はコンプライアンスに敏感になっていたところであった。
「まさか・・・」
宮野は、うつろな視線を天井に向けながら、そうつぶやいた。

大久保通りの歩道には、夕暮れ時になっても、若い女性たちが途絶えることなく行き交っている。
朝食も終わらないうちに、ローテーブルの横で、ひたすらお互いを求め合った祐太郎と奈々子は、狭いセミダブルベッドの上で、ふたり向かい合わせになって、長い眠りについていた。そして、ようやく午後五時頃になって、ベッドから起き上がったふたりは、大久保通りを路地へと入り、歌舞伎町方面に向かっていた。
「なんだか日本じゃないみたいね」
「確かに。でも長いこと、この街に住んでると、感覚が麻痺してきたのか、特に何も感じなくなったんだよなぁ~」
祐太郎は、そう言うと奈々子の手をつないだ。
コリアタウンと言われるほどに、多くの韓流グッズや韓国料理、そしコスメの店が軒を連ねる路地は、もはや日本ではない雰囲気を作り出している。
「なんだか、昔を思い出しちゃった」
奈々子はそう言うと、幼い頃の思い出を語り始めた。
横浜で生まれた奈々子は、小学校に入学してすぐ両親が離婚したため、近くに住む母方の祖母に引き取られたのだった。というのも、父親と母親は離婚して四ヶ月後に、それぞれ再婚し、新しい生活を始めたからである。
その頃、祖母は横浜市内の介護施設で働いていた。そして、貧しいながらも女手ひとつで、奈々子を育て上げたのだった。そんな最低限ともいえる生活ではあったが、休みの日には、横浜中華街で美味しい料理を食べるのが唯一の楽しみとなっていた。
「少ないお給料から、孫の私が喜ぶならって、いろいろしてくれたわ」
「やさしいおばあちゃんだったんだ」
「ええ、私のことを一度も叱ったことはなかったわ。中学時代は、ちょっと悪い女の子だったけどね」
なぜなら奈々子は、多感な中学二年生の頃、祖母が体調を崩したことで、金銭的な問題が生じ、修学旅行に行くことができなかったのである。やがてその体験が、自分の両親がいないことに対するコンプレックスへと発展し、中学三年の頃には、家に引きこもりがちな生活を送るようになっていた。そんな奈々子を、少しでも元気付けようと祖母は、東京の芸能事務所が主催する新人女優オーディションへ応募することを勧めたのである。特段、これといった趣味もなかった奈々子は、言われるままに応募したところ、見事、グランプリを獲得したのだった。それはちょうど、奈々子が中学校を卒業する頃の出来事であった。
「それを契機に、奈々ちゃんの人生は大きく変わっていった」
「ええ。そしていま、あなたに出会ったことで、また大きく変わってゆくかもね」
「うっ、なんだかプレッシャー感じるな~」
「大丈夫よ。わたし昔から逆境や貧乏には慣れてるから・・・。何があっても・・・」
そんな奈々子の言葉に、祐太郎は凄みを感じた。これまで、両親の元で育ち、大学時代はマンションの家賃こそ自分でバイトしながら支払ったものの、学費など大きな出費はすべて親に頼っていた。
「まだまだ、子供だな、恥ずかしいよ」
 祐太郎の言葉に、奈々子は握っていた手を、強く握り返して立ち止まった。
「それがいいの。あなたの・・・、そんな素直さが・・・好きなの」
そして奈々子は、祐太郎を見つめた。
路地裏の街灯の下、ふたりはお互いの過去を癒し、そして許し合うかのように、それぞれの唇を重ね合わせていた。

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https://note.com/miyauchiyasushi/n/n91bd180810d0

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