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東京恋物語 ⑧ふたりの船出

東京の街を彩っていた桜は、すでに葉桜へと変わり、季節は四月も半ばを過ぎようとしていた。
あの夜以降、なぜか奈々子からの連絡はなかった。もう一度会いたいという気持ちは強かったが、あくまでも祐太郎としては、忙しい奈々子にペースを合わせながら付き合ってゆくべきだと、何度も自分に言い聞かせていた。
そして今も相変わらず、タクシードライバーという仕事を、ただ淡々とこなしてゆく日々が続いている。
平日の深夜、午前一時過ぎの新宿歌舞伎町。そのメインストリートである区役所通りには、多くの若い男女が、それぞれのドラマを抱えながら、行き交っている。
この日、隔日勤務となっていた祐太郎は、空車の状態で、この区役所通りを靖国通りに向けて車を走らせていた。
夜もこの時間になると、一斉に一部の営業形態を採用しているホストクラブのホスト達が、女性客を帰りのタクシーに乗せるために見送ったり、道行く女性をキャッチしたりと、さまざまな男女の光景が広がりはじめる、いつもの歌舞伎町らしい風景があった。
「あれ?もしかして奈々子さん・・・」
サングラスとマスクをしているものの、祐太郎には直感で、その女性が奈々子であると確信した。なにやら、キャッチの男性がしつこく、横で付きまとっているようだ。祐太郎の車が走る車線とは反対側の歩道を、足早に歩く奈々子だったが、後ろを振り返ると、タイミングよくやってきた他社のタクシーに向けて手を上げたようだ。
その光景をルームミラーで見ながら祐太郎は、あの夜に聞いた、奈々子の言葉を思い出していた。
「そうね、ホスト通いかな」
そんな奈々子を思い浮かべると同時に、後輩女優である栗原翔子のために、いやむしろ宮野への復讐のために奈々子は、いま何かを企み、そして探ろうとしているのだと、祐太郎は直感として思った。
フロントガラス前にある空車の表示を回送に切り替えて、靖国通りを左折した祐太郎は、左の路肩に車を停めて、携帯電話の通信アプリを立ち上げると、奈々子へ短いメッセージを送った。
(歌舞伎町で、何をしてるんですか?)
送信後、ウインカーを右に出して車を始動させた祐太郎は、またすぐにウインカーを左に出して、車を路肩に停め直した。思った以上に早く、奈々子からの返信メッセージが来たからである。
(明日、夕方六時、ウチに来れる?)
(大丈夫です)
(お腹空かして来てね)
(了解)
送信を終えた祐太郎は、回送表示を空車に戻すと、深夜の新宿の街の中へ、ゆっくり車を走らせていった。

翌日。大久保通りを、路地へ少し入ったワンルームマンション。
祐太郎が住む部屋には、カーテンの隙間から、昼間の温かな光が差し込んでいる。
部屋の時計は、すでに午後三時を過ぎていた。
明け方にタクシー乗務を終えた祐太郎が、会社から徒歩にて、大久保の自宅に戻ったのは、午前六時すぎであった。その後、シャワーを浴びて軽く食事をした後、就寝したのが午前八時。明日も早朝からの隔日乗務となっている場合は、もう少し早めに起床して、夜に熟睡できるよう昼間の睡眠は短めにしている祐太郎であるが、明日は公休であったため、長めの睡眠をとっていたのである。
祐太郎は、ゆっくりベッドから起き上がると、何気なくいつものように、テレビのスイッチをつけた。映し出された画面は、ニュース番組のようである。
「では次のニュースです。来月より半年間の休養に入る女優の新藤奈々子さんが、今日、最後のレギュラー出演となる情報番組の中で、NPO法人アクトレス・シェルターを数カ月以内に立ち上げる計画があることを公表しました。これは、女優業を目指す若手への支援・・・」
祐太郎にとって、この話は初耳であったため、驚きのあまり一気に目が覚めた。
「奈々子さん、いったい何を考えてるんだ?」
しばらく考えを巡らせていた祐太郎は、深夜の歌舞伎町を歩いていた奈々子の姿を思い浮かべた。

そして・・・、奈々子と会う約束をした時刻の、午後六時。
祐太郎は奈々子の部屋の前に立っていた。
「ピンポ~ン」
インターホンから、奈々子の「は~い」という声が聞こえると、すぐにドアが開いて、祐太郎は部屋の中へと入っていった。
「えっ、この香り。これって・・・」
「そう、あなたが残した忘れものよ」
「いえ、あれは・・・」
「分かってるわ、私へのプレゼントでしょ。好きよ、この香り」
そう言って、奈々子は甘えるように、祐太郎にもたれかかると、物憂げな眼差しで目を合わせてきた。もはや、ふたりの間を邪魔するものは何もない。祐太郎は、ごく自然に奈々子の求めに応じていた。そして、しばらくの間、ふたりは玄関先に立ったままの状態で、抱き合っていた。
やがて、お互いを求め合っていた唇が、ゆっくりと離れた時、奈々子が大きな瞳を祐太郎に向けて、ささやくように言った。
「明日は、お仕事なの?」
「実は・・・、休みだよ!」
祐太郎の勿体ぶった言い方に、奈々子は両手で祐太郎の胸を、何度も軽く叩いた。
「もうっ、嬉しい。私もよ」
奈々子はそう言って、もう一度と、求めるような眼差しで祐太郎を見つめた。
再び、息も出来ないくらいに、もつれ合いながら抱き合っていたふたりは、まだリビングルームに入ってない。
「深夜の歌舞伎町で見かけたけど。何かあったの?」
ゆっくりと唇の動きを止めた祐太郎は、お互いの顔が、鼻を突き合わせる距離にまで離れたところで言った。この時すでに祐太郎は、無意識にではあるが、奈々子との会話から丁寧語を外していた。
「その件だけど、実は、ある人からもらった情報があって・・・」
奈々子は、そう言いながら、ふたり並んで腕を組む状態になると、リビングルームへと向かった。
ソファーに並んで座った祐太郎へ、奈々子はテーブルの上にあった名刺を手に取り、差し出して見せた。
「瀬戸翔太、フリージャーナリスト?」
「そう。以前から、宮野のことを密かに取材していたらしいの」
奈々子は、瀬戸と出会った経緯と、先日の会見では、最後に鋭い質問を投げてきたこと、さらには、宮野が裏のビジネスで、かなりの収益を上げており、脱税の疑いもあるという、かなりきな臭い情報を入手したことを話した。
「数日前に、私の事務所に来てもらったの。その時に出た話が、そういうことだったから、私もびっくりして」
さらに奈々子は、宮野が手掛ける裏のビジネスについて説明を始めた。
まずは、宮野の会社が所有する赤坂の自社ビルを拠点にした、女性向けアダルトコンテンツの撮影と、製作である。出演するAV女優は、宮野が多くのメディアへ出演することで知り合った、さまざまな芸能事務所に所属する知名度の低い女性たちである。
その手口は、最初に彼女たちを食事に誘い、うまく酔わせた後で、新宿歌舞伎町にあるホスト系列のバーへ連れ込む。そして、言葉巧みにホスト通いを開始させることで、貞操観念や金銭感覚を麻痺させる。さらには、担当ホストがパパ活を斡旋することにより、遊び金を作らせるのだが、それこそが、宮野にとって、ビジネスの接待でその女性を利用することが可能になる仕組みであった。
ここまでは、奈々子の後輩女優である栗原翔子が体験したケースと一致していた。
注目すべき点は、その後にある。
赤坂の自社ビルでは、女性向けのアダルトコンテンツを撮影、製作しているのだが、映像では男性の露出がメインとなり、女性の顔は口元までしか映し出すことがない。さらにそのコンテンツは、ショートドラマ風のシナリオも用意されていることから、出演への誘惑に負けてしまう女優やモデルの卵たちが多くいるという現実があった。
さらに、そのコンテンツ販売については、決して表では流通しない独自のルートを作り、その収益は、一般に公開される財務諸表に計上されることはない。
現在のところ、これ以上の詳細情報は、フリージャーナリストの瀬戸も把握しておらず、調査中であるらしい。
「それで、奈々子さんは、夜遅くに歌舞伎町で・・・」
「あっ、もう『奈々子さん』でなくて、『奈々ちゃん』でいいわ」
「それで、奈々ちゃんは、夜遅くに歌舞伎町で何をしてたの?」
祐太郎は改めて、そう言い直した。
「瀬戸さんの情報だと、独自の販売ルートには、ホストクラブが絡んでいるらしいの。だから、その場所とか雰囲気を知っておきたくて、ちょっとね」
さらに奈々子は、宮野とつながりのあるホストは特定できていて、そのホストこそが、後輩女優の翔子を陥れた本人であることも打ち明けた。そして、半年間の休養期間を設けた本当の理由は、自分がそのホストクラブに通い、裏のビジネスに関する会話を録音したり、さまざまな現場の写真を隠し取りすることを考えていたと話した。
「かなり、きわどいことかも。それと、もっと心配なのは、店内で飲食する時はマスク外すでしょ?すぐに、新藤奈々子ってバレるんじゃ・・・」
「女性はね、化粧すればどんな顔にでもなれるものよ」
「奈々ちゃん、僕より度胸あるかも」
「そうでないと、女優なんて、できないわよ」
そんな奈々子の言葉に、祐太郎は、初めて出会った日の車内で、落ち着き払った奈々子の姿を思い浮かべていた。
「このまま、宮野を野放しにはできない」
奈々子は、真顔でそう言った。
「確かに、そうかもしれない。でも、それで・・・、つまり、奈々ちゃんの目指す、最終ゴールって何なのかなぁ?宮野氏を破滅させることなのか、まあ、そこまでいかなくても、彼を法的に裁くことなのか・・・」
奈々子は、祐太郎の話を真剣に聞きながら、その表情はやがて柔和な笑顔へと変わった。
「じゃあ、坊っちゃんなら、どうする?」
「えっ?」
「初めて出会ったあの日、あなたが五郎さんって方に電話した時に、携帯電話のスピーカーから声が漏れてて、聞こえちゃったの・・・、五郎さんの声がね・・・、すっごく大きいから」
「普段、会って話す時は、そんなに大きくないんだけどな~」
祐太郎は、そう言いながらも、頭の中では考えを巡らせていた。
「じゃ、まずは坊っちゃんからの答えだけど・・・、たぶん僕なら、客観的な法的証拠を集めるだけにするよ。相手が何か攻撃をしてこない限りはね。ただ、ジャーナリストの瀬戸さんは違う考えだと思うけど・・・」
「じゃあ、私もそうするわ」
「えっ?」
奈々子には、いつも驚かされることが多い。
「あと、例のNPO法人だけど・・・、いいと思うよ。だからこそ、これからその組織を健全に運営するためには、相手の弱みを握っておいたほうがいいんじゃないかな。決して復讐の道具に使わないほうがいいと思うよ」
祐太郎は、今日の報道を見て思ったことを、そのまま伝えた。そして、五郎のことについても。
「あと、五郎さんのことだけど・・・、彼は長谷川五郎といって、うちの会社の相談役なんだ」
祐太郎の言葉を、奈々子は真顔で聞いている。
「じゃ、その人を五郎さんと呼べるってことは、祐くんは・・・、もしかして社長さんの息子なの?」
「さすが、奈々ちゃん。頭がいいね。そういうこと・・・、だね」
「そっか。な~んか、普通のタクシードライバーさんとは、違う雰囲気があったから、いまの話を聞いて納得したわ。話してくれて、ダンケシェーン」
奈々子の言葉に、祐太郎は笑いながらも、これまでこの事を言い出せなかった理由は、自分が甘やかされて育ったボンボンだと思われたくなかったことを、正直に伝えた。
「ぷっ」
奈々子は、それを聞くと噴き出して、「私はそんな偏見を持つ女じゃないわ」と強調した。
この時、祐太郎は、これまで言えずに隠していたことを、奈々子に伝えることができたことで、今からは、より自然に振舞うことができる、そんな自分を感じていた。
「ねえ、お腹すいたでしょ。四月だけど、今日はちょっと寒かったから、お鍋を準備してるのよ。食べながら、これからのこと話さない?祐くんには、いろいろと手伝ってもらいたくて・・・」
奈々子はそう言うと、ソファーから立ち上がって、キッチンへと向かった。「祐くん?」 祐太郎は、そう言って奈々子が何気に発した自分への呼び名を繰り返すと、微笑みながら奈々子の後ろ姿を見つめた。

翌朝になっても、ふたりは昨晩、何度も求め合ったせいか、ベッドの上でお互いの手をからめたまま、ぐっすりと熟睡していた。
ようやく祐太郎が目をこすりながら、サイドテーブルに置いた腕時計を手に取ると、今の時間を確認した。
「もう、こんな時間か・・・」
時計の針は、午後一時をまわっている。                 なぜか祐太郎は、ベッドの中から出たくなかった。昨晩、食事をしながら奈々子と今後のことを話したせいかもしれない。それは、これから現実と直面する、いや自分たちが新しい現実を作ってゆくことに、少なからず恐怖を覚えているからだろうか。今はただ、このベッドの上にある快楽に、少しでも溺れていたいというのが本心だった。
祐太郎は、隣で眠る奈々子の美しい顔を見つめた。女優としてではなく、もはやすべてを解放させた、ひとりの女性としてここに存在している。
そして、これから半年のあいだ、彼女と共に日々を過ごすことになる。
昨晩、ふたりで練った行動計画に沿って・・・。
「乗りかかった船・・・、いや、僕が自ら選んだ船だ。そう、自分で選んだ・・・」
祐太郎は、ぼんやりとつぶやいた。
横になって祐太郎に顔を向けながら眠る奈々子の白い肩を、そっと指先でなぞってみる。 奈々子は、その指の動きに反応したのか、目を閉じたままの状態で、ふたりの体にできた隙間を埋めるかのように、祐太郎の背中へ腕をまわしてきた。そして再び、ふたりは強く抱き合いながら、求め合うのだった。

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https://note.com/miyauchiyasushi/n/ncdfbaf8861c8

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