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東京恋物語 ⑥策士の作法

「奈々子はいったい、何を企んでいるんだ?」
二子玉川の自宅マンションから、国道二四六号線を渋谷に向かって走る白いベンツ。その後部座席には、ひとりつぶやく宮野の姿があった。
日曜日の早朝五時、あたりはまだ暗い。この先、三軒茶屋から首都高速に乗り、三郷ジャンクションから常磐道に入った後は、谷和原インターへと、車はスピードを上げて疾走していた。
宮野は最近になって、自分が主催する接待ゴルフについては、茨城県常総市にある名門ゴルフ場をよく使用している。というのも、このゴルフ場創設者は、宮野が経営するエムケーフォースの株式上場に向けて、IPO(新規株式公開)の主幹事をしている東西証券の創設者でもあったからである。今日は、その東西証券役員と、衆議院議員秘書を招いてのツーパーティーで、コースを回る予定となっていた。
そして、宮野はいつもパーティーのメンバーには、必ず女性を参加させることにしていた。今日の組み合わせは、宮野のプレイする組には東西証券の役員、そして専属ドライバーである坂本のプレイする組には、衆議院議員秘書が入り、各組それぞれに、女性がひとりずつ参加することになっている。
今回のように、接待費処理がデリケートなメンバーを誘った場合は、相棒として専属ドライバーである坂本をメンバーに加えることが多かった。つまり、宮野自身の判断で接待費用の処理をするためには、自社の役員を含めた社員は極力排除する必要があったからである。よって坂本は、宮野の個人的な秘書役という業務も担っていた。
午前六時。宮野の乗った白いベンツは、ゴルフ場のエントランス前で、静かに停まった。
後ろのトランクから、キャディバッグを二つ下ろすと、そのまま坂本はパーキングスペースへと向かった。出迎えのゴルフ場スタッフが、慣れた手つきで二つのバックをクラブハウス前の専用ラックへと運んでいる。
フロントで先にチェックインを済ませた宮野は、ロッカールームで着替えを済ませ、敷地内にある、ネットがない開放式の打ち放し練習場へと向かった。
すでに明るくなった早朝の青空のもと、あたり一面、薄く霞に包まれた緑の林が、遠く正面に見える。
宮野は、思わず深呼吸しながら、コインをマシンに投入すると、練習ボールをカゴに入れて、打席スペースへと進んだ。
「おはようございます」
宮野がそう声をかけた先には、すでに打席に入ってドライバーを気持ちよくスウィングしている東西証券の役員、河波正治が微笑みながら手で挨拶をした。さらにその奥には、河波が行きつけにしており、最近になって宮野も紹介されて訪れたことのある銀座のクラブ、シルバーキャットのオーナーママ、芳野由紀子がいた。オーナーママと言っても、年齢は若くまだ四十代後半と聞いている。
「宮野さんのお誘いで・・・、今日は久しぶりのコースなのよ。足を引っ張ったら、ごめんなさいね」
芳野は、上品な口調でそう言いながら、真顔でスウィングを始めていた。そんな彼女を今日のゴルフに誘ったのは、宮野ではあるが、ここまでの移動については、河波の運転手付き社有車で、ふたり一緒に来ているはずだった。
「こちらでしたか、おはようございます」
宮野の背後から声をかけてきたのは、衆議院議員秘書の若槻英男である。今日は、秘書として仕えている代議士が地元へ戻っており、その間は、地元事務所に所属する秘書が対応していることから、今日の参加となっていた。
「若槻さん、先日は・・・、本当に失礼しました」
宮野は、若槻の声に振り返るなり、声のトーンを低くしてそう言った。
「いや~、先生も表には出していませんでしたが、内心相当にカンカンでした。でも、なんとか鉾を収めていただきましたよ。大丈夫です。もう安心して下さい」
若槻も、小声でささやくように答えた。
宮野の会社は、先日、キャッシュレス決済アプリを、新期参入組としてリリースしたばかりである。そこで、後発組であっても、その存在感を官公庁へ示すために、経産省の進めるキャッシュレス普及活動に、新藤奈々子をキャンペーンガールとして起用する案を、若槻を通じて代議士へと根回ししていたのだった。
しかし、奈々子が事務所を通じて、急に辞退する旨を経産省に申し出たため、寝耳に水の関係者は、その面子を失くしてしまっていたのである。
「若槻さん、ちょっとドライバーの打ち方ですけど、アドバイスしていただけます?」
やや甘えたように話す女性の声は、宮野が手配したハイヤーで、若槻とともにゴルフ場へやってきた柏木真由子だった。真由子は、夜の飲食店でアルバイトをしながら、アプリ開発を学ぶ専門学校生である。宮野はその専門学校で非常勤講師を務めているのだが、かねてから宮野のファンで、授業の後でも積極的に宮野へ質問をしていた真由子とは、ほどなく一緒に食事をする間柄となっていた。そして時折、宮野からの依頼でパパ活と称し、今では、さまざまな場所に出向いて、高収入の仕事をしている。若槻とは、これまで何度も飲食を共にするなどして、すでに親しい仲となっていた。
「では、みなさん、そろそろスタートのご準備をお願いします」
遅れてやってきた坂本が、メンバーに声をかけながら、クラブハウス前に集まるよう、促している。
そして、清々しい緑と空気の中、メンバーが向かう先に佇むクラブハウスの背後には、快晴の青空に浮かぶ白い雲が、春一番の爽やかな風に吹かれ、なびくように流れていた。

午後一時。新宿の街を久しぶりに歩いていた祐太郎は、都内でも有名な新宿三丁目の老舗デパートへと入っていった。日曜日の昼下がり、デパートの中は多くの人が行き交っている。これまで、数回しか訪れたことがなく、買い物にも不慣れな祐太郎は、ひと通り女性向けの商品を扱うフロアを回ったものの、結局何も買うことなく、早々に建物の外に出てしまった。
「やっぱ、苦手なんだよな~」
大学時代にホワイトデー用に、義理的なプレゼントを買って以来、個人的なプレゼントを女性にしたことがない祐太郎は、そう呟きながら、あてもなく西新宿方面へと歩いて行った。
新宿三丁目から甲州街道へ入り、新宿駅南口を通過すれば、その先が西新宿である。途中のファッションビルにある専門店街を見ても、これはというものが見つからない。
あてもなく歩き回ってしまった祐太郎は、新宿中央公園を横目に、副都心エリアに林立する高層ビル群を眺めていた。この近くには、愛車の車検やメンテナンスを任せている自動車販売会社もあり、かつては休憩がてら、ヒルトンホテル一階のラウンジでひとりランチをしたこともある。
「そうだ、あれがいいかも」
そして祐太郎は、何かを思いついたのか、足早にヒルトンホテルのロビーへと入って行った。
「そう、この香り・・・」
このホテルロビーは、中に入るなり爽やかで優しい香りに包まれている。
かつて、この香りに魅了された祐太郎は、いつか彼女になった人へ、こういった香りのエアアロマを贈りたいと、何気なく感じたことを思い出した。そして、そのひと瓶を手に取ると、祐太郎は満足そうに笑みを浮かべて、キャシャーへと向かった。

「ナイスショット」
河波が放ったドライバーショットの行方を見ながら、宮野が言った。
すでに午前のハーフを終えた後、クラブハウスで昼食を済ませ、午後の最終十八番ホールへと進んでいた宮野たちは、多少の疲れを感じながらも、順調にコースを終えようとしていた。
「フェアウェイど真ん中、もうワンハーフできるくらいの勢いですね」
宮野が得意とする褒め殺しトークと分かっていても、河波は機嫌よく手で合図しながら、次の宮野へティーグラウンドを譲った。
「ナイスショット。宮野さんこそ、まだ余力は十分そうですな」     宮野のドライバーショットを見届けた後、河波が言った。
「いえ~、飛距離は短くなってますよ。河波坦務ほどでは」
河波の言葉をうけて、宮野がそう言うと、芳野は笑いながらティーを芝生に刺して、素振りを始めた。スポーティーなミニスカートから延びた細く白い肢体が、眩しいほど目に飛び込んでくる。
「ママは変わらず、セクシーですね」
ささやくような宮野の声に河波は、目を細めながら笑みを浮かべた。
「だがな、もう歳かな。以前なら、このあと彼女を誘うところなんだが、もうそんな元気はないよ。ハッハッ」
自嘲気味にそう言った河波は、既に六十歳を過ぎているものの、見た目はまだ五十歳代で通るほどに、顔は艶やかである。多くの代議士たちに対し、個人的な投資指南役もしている河波であるが、銀座のオーナーママである芳野へも、投資に関する多くの助言をしてきたのだった。かつては、お店の顧客としてだけでなく、投資アドバイスもしながら、芳野の気を引こうと、河波が積極的にアプローチをしていたことは、宮野も知っていたが、このふたりが、それなりの仲になったのかどうかまでは、いまだ確信が持てずにいた。
河波とそんな会話をしていると、次のパーティー三人が、宮野たちのいるティーグラウンド横にカートを停止させ、キャディバッグからドライバーを取り出しはじめていた。
坂本は、遅れて最後にドライバーを取り出すと、ティーグラウンドにいる宮野に向けて、微笑みながら軽く会釈をした。順調に進んでいるというサインである。
宮野が、今日のゴルフを主催した一番の目的は、議員秘書である若槻への慰労であった。河波からの紹介をきっかけに、宮野は若槻に急接近し、経産省ヘキャッシュレス・キャンペーンガールの提案を画策した。しかし、奈々子から突然ともいえる辞退を受けたことで、根回しの中心的役割を果たしてきた若槻に対しては、どうしても機嫌をとっておく必要があった。
「さすが若槻さん。調子いいみたいですね」
坂本からスコアカードを見せてもらった宮野は、若槻へ近づくと、そう言った。
「いや~、まぐれですよ。ドライバーもパットも普段はこんなに良くないんだけど」
「柏木さんと一緒だからじゃないですか~」
宮野が冗談っぽく言うと、若槻は照れたように真由子を見つめた。
「お帰りのハイヤーは、ご帰宅されるまで時間無制限で借りてますから。どうぞご自由にお使い下さい」
宮野は笑みを浮かべながら、若槻に小声でそうつぶやくと、足早にフェアウィへと走って行った。その先には、ふたり談笑しながら、カートに乗って前方をゆく河波と芳野の姿があった。

<終> 第七話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/ndaa3b1f64d34

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