見出し画像

東京恋物語 ④そして、迷宮の中へ

「え~、えっへん」
しばらくして、運転席に座る江籐の咳払いが聞こえた。
「あの~、お取り込み中すみませ~ん」
ようやく江籐の声が届いたのか、ふたりは、いまこの時間を名残惜しむように、唇を引き離し、お互いを見つめ合った。
「え~、それでは・・・、いざ出陣っと」
江籐はそう言うと、車をゆっくり始動させ、二番町へとハンドルを切った。
奈々子が入居するマンションは、麹町の日テレ通りから、一方通行を入った比較的細い通り沿いにある。とはいえ、高級マンションだけあって、玄関までの車寄せのアプローチはきちんと用意されていた。
奈々子の予想通り、周辺には、機材を路肩に寄せて折りたたみ椅子に腰かける報道スタッフらしき人影が多く見えるものの、騒がしい雰囲気はない。
江籐は、石畳のアプローチからマンションの車寄せに向けて、ゆっくり車を走らせた。
「ふうっ」
江籐と祐太郎が、停車と同時に揃ってため息をつくと、すかさず車輌の後ろへ回り込み、バックドアを開けた。黒い寝台車と喪服の男がふたりいれば、誰が見ても遺体搬送と思うはずだが、念のためふたりは荷台スペースの棺に向かって、うやうやしく合掌した。
そして、かつての遺体輸送でコンビを組んだ勘が、いまだ残っているのか、慣れた手順でストレッチャーのストッパーを外し、棺とともに車から引きずり出すと、ムダのないスマートな作業で、あっという間にオートロックの玄関口へと到着させた。
祐太郎は、あらかじめ奈々子から預かっていたカギを玄関ドアのコントロールパネルに差し込み、ドアが開くやいなや、江籐とともにロビー奥にある地下ボイラー室の入り口ドア前へとストレッチャーを移動させ、その手前で素早くマットを敷くと、棺を床に下ろしたのだった。
「確かに、ここなら住人にも見られることはないな・・・」
事前に奈々子から教えてもらったこの場所を、改めて見まわしながら、祐太郎がつぶやいた。
「お疲れ様でした」
江籐が棺に声をかけ、その蓋を開けるとすぐに、祐太郎は奈々子の両眼を手で覆った。暗闇から、いきなり明るい場所に目をさらさないためである。
奈々子は、祐太郎の手を握りしめながら目を開けると、ゆっくり棺から身を起こした。
「ありがとう。江籐さん、小嶋くん」
奈々子は立ち上がりながら、ふたりを見つめて言った。
「あっ、そうだ。忘れてた」
祐太郎はそう言って、上着のポケットから預かっていたマンションのカギを奈々子に渡した。
「そうだ、私も忘れてたわ」
奈々子も咄嗟にそう言って、コートのポケットから小さなメモ紙を取り出して、たった今受けとったカギを添えるように、祐太郎に差し出したのだった。そのメモには、奈々子の部屋番号が書かれてある。
「えっ、どうして・・・」
「ん~、なんとなく。持ってて欲しいから・・・。じゃ・・・、また」
意味ありげな奈々子の言葉に、祐太郎は何も言えず、ただ、二階へと上がる階段に向けて、遠ざかる後ろ姿を見送るだけであった。

登戸の金沢企画に到着し、着替えを終えた祐太郎は、江籐とともに駐車場に止めてあるタクシー車両に向かっていた。
「江籐さん、ほんと急なお願いに付き合っていただいて、ありがとうございました」
「うちも、いい値段で寝台車を使ってもらったし、有難かったよ」
「ほんと、助かりました」
江籐の言葉に、祐太郎は改めてお礼を言いながら、車のエンジンを始動した。
「頑張れよ、この色男!」
「あっ、はい。それじゃ」
祐太郎は、はにかんだ笑顔で江籐に別れを告げると、世田谷通りへと向かってアクセルを踏んだ。
「ピーピーピー」
車の無線システムからの発信音である。
ディスプレイには、本日午前十一時ごろ青山銀杏並木通りで、反対車線へ急転回した車両は至急、本社営業部へ連絡するよう指示をする内容であった。
祐太郎は、前方の左側にコンビニを見つけると、速度を落としてパーキングエリアへと車を進めた。そして、車のサイドブレーキをかけ、ポケットから携帯電話を取り出すと、本社営業部へとダイヤルした。
「もしもし、営業第五課の小嶋ですが、今日、青山銀杏並木通りで急旋回した件で・・・」
「ああ、その件ね。えっ?ひょっとして、祐太郎さんがやったの?」
電話の相手は、明日午前十時までの宿直当番をしていた営業第三課長、三宅であった。
「ええ、ちょっと事情があって・・・」
「とにかく、センター案件になっちゃってるから、今から至急帰庫してもらえるかな。詳しい話はドラレコ見ながら教えてくれる?」
センター案件とは、東京タクシーセンターに寄せられたクレームやトラブルに対して、当事者は速やかに報告書を提出し、場合によってはセンターへの出頭、面談、そして勤務停止になることもある重大案件のことである。
祐太郎は、すぐに会社へ戻ることを伝え、電話を切った。三宅課長とは、ちょっとしたクレーム相談でも、親身になって聞いてくれる間柄である。今日の宿直当番が三宅であったことに、祐太郎は少し安堵感を覚えていた。
車内のデジタル時計は、午後九時を過ぎている。
祐太郎は、再び車のエンジンをかけ、都内の西早稲田にある会社へと向かった。

新宿駅から明治通りを池袋方面へ向かうと、通り沿いの西早稲田エリアに祐太郎が勤務するメトロキャブ本社パーキングビルがある。
祐太郎は、車内から守衛係の男性に手で挨拶をした後、そのまま車でスロープを六階へ上がり、営業本部事務所へと急いだ。
「お疲れ様です」
祐太郎はそう言って、入口ドアを開けると、静まり返った事務所には三宅のほか、相談役の長谷川五郎が奥のデスクに座っていた。
「待ってたで、坊っちゃん。早速、ドラレコ見せてぇや」
長谷川が、いつもの口調で立ち上がり、三宅とともに近づいてきた。
「相談役まで・・・」
祐太郎の言葉に三宅が、自分の判断で長谷川に連絡したことを告げた。場合によっては、社長にまで報告を上げる可能性があるセンター案件だけに、事前に判断を仰ぐ必要を感じたらしい。
祐太郎から、ドラレコのカードリーダーを受け取った三宅は、すぐさま自席のパソコンとつながるリーダーデバイスに挿入した。
「確か、時刻は今日の午前十一時でしたよね」
そう言いながら、三宅がパソコン画面の隅に現れた時刻一覧からクリックすると、録画された映像が、はっきりと映し出された。画面には、青山一丁目に向けて、背後から並走へとスピードを上げる白いベンツ、そんな外部と車内での様子が音声とともに流れた。
およそ二十分間、三人は黙り込んだまま、パソコンの画面に見入った。
「これは、いま流行りの、あおり運転ちゅうやっちゃなぁ。また、後ろのベッピンさんが、『ベンツを振り切ってくれ』って依頼してきとる・・・、うん、まあ~報告書だけで構わんやろ」
長谷川の言葉に、祐太郎は胸を撫で下ろした。
「センターからの話では、通報者はフィードバックを求めていないということですから、相談役の見立てで、私も問題ないと思います」
そう言って三宅は、所定の報告書を祐太郎に渡し、隣の休憩所で記入するよう促した。
三宅の言葉に従って、祐太郎はカウンターにある鉛筆と消しゴム、そして現場見取図を描くための定規を持って、事務所のドアを開けた。
「ああ、坊っちゃん、もう今日は上がったほうがええで、疲れたやろ」
「はい、そうします」
背後から聞こえた長谷川の温かさを感じる言葉に、祐太郎は、なぜか体の力が抜けたような、倦怠感に包まれた。そして車に戻り、課金メーターの清算ジャーナルを出力すると、そのまま駐車スペースに車を移動させ、休憩室へと向かった。

「三宅課長、悪いけど、さっきのドラレコ、赤坂見附の信号待ちの映像のとこ、もう一回見せてくれんか」
祐太郎が事務所を出た後で、長谷川が三宅に指示した。
「あっ、はい。でも・・・、どうかしたんですか」
三宅はそう言いながら、パソコン上で指定の画面をリプレイした。
「そう、ここや。後ろのベンツ、運転してる男や。ん~、サングラスが邪魔やなぁ」
長谷川の言葉に三宅は、コロンビア通り入口の信号待ちでは、サングラスを外していたことを伝えると、その画面へと早送りをして見せた。
「やはり、坂本や、坂本憲次。三宅課長、確か・・・あんたが主任になった頃に担当した事故、覚えとるやろ、五年前・・・、高速道路でのスリップ事故や」
「ええ、お得意先の重役を乗せてた時の・・・、でも、あれは前のバイクが先にスリップ転倒して、その衝突を避けようとした坂本さんは、減速しない横のトレーラーが邪魔で、仕方なく壁側に・・・」
目を閉じたまま、三宅の話を聞いていた長谷川が、ひと言つぶやいた。
「坂本には、気の毒なことをしたなぁ」
この事故を起こした後、得意先の会社からは、メトロキャブとの契約解除の申し入れがあった。しかし、会社として、契約解除を避けたいと交渉を続けた結果、坂本を解雇することで、相手側に承知してもらった過去がある。その際には、組合側ともかなり揉めた経緯があり、結果として、長谷川と馴染みのある、都内のハイヤー会社へ転職を斡旋したのだった。
長谷川と三宅は、黙ったままで腕を組み、静止した映像の中に写る坂本の顔を、ただじっと見つめた。

隣の休憩室には、雑談をしながら遅い夕食をとるドライバーが数人いた。そのためか、邪魔にならないよう祐太郎は、入口に一番近いテーブルに腰かけて、所定の報告用紙に、手書きで状況説明を記入していた。
奥にある大型テレビは、深夜のニュース番組を映している。
「では、次のニュースです。今日午後、女優の新藤奈々子さんが突然行方不明になった件で、都内の自宅マンション周辺は、一時的に、多くの報道陣で埋め尽くされた状況でしたが、たった今、新しい情報が入ったようです。それでは現場からの中継です」
突然の報道に驚いた祐太郎は、思わずテレビの前に駆け寄った。
「こちら、都内の自宅マンション前に来ています。これから間もなく、新藤さんの所属事務所スタッフから、今日の騒動に関する説明と、それとは別に何か新たな発表がある模様です」
そして、マンション前には、事務所の幹部らしき男性と、マネージャーの浅井が現れた。それと同時に、周辺にいた取材陣が一斉にふたりを取り囲むと、各社それぞれにマイクを向けた。
「本日は、お集まりの皆様ならびに、周辺にお住まいの皆様に、多大なご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした」
浅井はそう言うと、隣の男性とともに深々と頭を下げた。
「え~、本日の、新藤奈々子、失踪、行方不明という誤報につきましては・・・」
隣の男性がそう言うと、今日の経緯について詳細な説明を始めた。まず、失踪、行方不明の誤報については、昨日収録したバラエティ番組の地方ロケから東京駅に戻った後、明日にもクランクアップを迎える狛江市でのドラマロケを前に、タクシーを使って現地を下見していたこと、そして携帯電話の電源が切れて充電ができなかったことから、プライベートな知人が行方不明と勘違いし、今回の騒動につながったという内容であった。
男性がそう言い終わると、各社からは一斉に質問が飛び交った。しかし、今回は周辺の住民への配慮から、質問を一切受け付けない短時間会見であると男性が説明し、次の新たな発表について、と話題を変えた。
「では次に、新たな報告がございます。弊社所属の女優、新藤奈々子は、現時点での契約中または検討中のお仕事が、すべて終了次第、半年間の休養に入らせていただくことといたします」
「オオォ~」
取材陣が一斉にざわめき、驚きの声を上げた。
「では、詳細は明日の撮影がクランクアップした後に、新藤奈々子、本人が記者会見にて説明いたします。本日は、大変お騒がせいたしました。既に深夜、遅い時間となっており、近隣にお住まいの方々には、大変ご迷惑をおかけしております。どうぞ報道各社様におかれましては、速やかに社へお戻りいただきますよう、お願い致します」
男性のコメントが終わると、テレビ画面は報道スタジオへと切り替わった。
メトロキャブ本社の休憩室にある時計は、午後十一時をまわっている。
テレビ画面を見つめながら、祐太郎の頭の中は混乱していた。
「破局、復讐、裏の顔、そして、休養・・・」
奈々子との会話のなかで、祐太郎が不可解に感じていた言葉のいくつかが、思わず口からこぼれ落ちた。それと同時に、自分が未だかつて経験したことのない迷宮へと向かっているような感覚を覚えた。

<終> 第五話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/n4592da4715a9

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?