見出し画像

東京恋物語 ②都心のカーチェイス

「お願い、あの白いベンツ・・・、振り切ってくれる?」
「ん~、なんだか分かりませんが、しっかり手すりにつかまって下さいよ」
奈々子からの依頼に祐太郎はそう言うと、助手席に置いていたドライビンググローブを、急いで両手に装着した。そして、ルームミラーで後続車がいないことを確かめると、急ブレーキを踏み、青山一丁目の交差点手前を左折レーンに入った。その後、交差点で信号のタイミンを見ながら、左折をすることで相手を振り切ろうとしたものの、白いベンツも同様に進路を変えて、後ろにピタッと張り付いてきている。
「クソッ。しつこくて、いやらしいドライビングをするヤツだな」
祐太郎は、白いベンツのドライバーが、かなり運転慣れしていると感じた。
青山通りに入っても、依然、二台の車は並走しながらスピードを上げて赤坂見附へ向けて走っていた。一般の公道では、スピード勝負で相手を振り切ることは不可能である。つまり、信号のタイミングで引き離すしかない。
赤坂見附で反対車線にUターンした祐太郎は、再度スピードを上げて青山通りを渋谷方面へ走り、信号のタイミングを見ながらスピードを緩め、右折で銀杏並木通りにすべり込んだ。
ルームミラーには、依然追随する白いベンツが見える。そして、その背後で遠ざかる信号は青の状態。勝負は、この信号が青から赤に変わる間に決まる。祐太郎は咄嗟にそう考えていると、対向車線に一台のダンプカーが近づいて来た。
「ラッキー。ゴッド・ブレス・ミー」
アドレナリン全開でハンドルを握っていた祐太郎は、思わず得意げにそうつぶやいた。そしてこの時点で、祐太郎は自分がタクシードライバーとして車を運転していることを忘れていた。
ふと、ルームミラーに視線を移した祐太郎であったが、そこに映る奈々子は、まるでこの状況を楽しんでいるかのように微笑みながら、祐太郎と視線を合わせた。
対向車線を走るダンプカーが近づいてくる。そのスピードに注意しながら、祐太郎はアクセルとブレーキペダルを、交互に何度も繰り返し踏み込んだ。そして、最後は一気にプレーキを踏み込んでハンドルを回し、サイドブレーキをかけた途端、車は見事にダンプカーの手前で、綺麗な弧を描きながらスピンターンをしたのだった。
祐太郎の車に驚いたダンプカーからは、怒りの声とクラクションが浴びせられたが、それにひるむことなく、祐太郎は一気に、正面に見える信号をめがけてアクセルを踏んだ。
案の定、白いベンツはUターンに手間取っているようで、ダンプカーの影で見えなくなっている。そして、祐太郎は間一髪、黄色信号の間に、先ほど走っていた青山通りを渋谷方面へと右折することができた。この段階で、もう背後には、ダンプカーも白いベンツの姿も見えない。
「ふうっ、終わった・・・」
祐太郎はその時、アドレナリン全開の緊張状態から解放された反動のせいか、ハンドルを持つ手と、足の太ももが震えているのを感じた。
「はっ、はははっ・・・、なんか、笑っちゃいますね。ホント、映画かドラマのワンシーンを演じた気分ですよ」
なおも高揚感が続いている祐太郎はそう言うと、表参道の交差点で、車をゆっくりと赤信号停止させた。
「ありがとう」
その声で、祐太郎が振り向くと、奈々子は大きな瞳でじっと祐太郎を見つめながら、何もなかったかのように微笑んでいる。表情ひとつで相手を虜にする女優の存在感。また、大揺れする車内でも冷静に座っている度胸の強さは、有名女優たる貫禄を感じさせる。
先ほどまで、単に有名な芸能人を乗せているだけだと、比較的冷静に対応できていた祐太郎であったが、今この瞬間、奈々子が放つオーラに接して、祐太郎は急に頬が紅潮し、心臓の鼓動が高鳴り始めているのを感じていた。
「あの、さっきの・・・、いや、予定どおり、桜を見に、中目黒へ・・・」
祐太郎は咄嗟に、奈々子が白いベンツを振り切る指示を出した理由を聞こうとしたが、なぜかそれを言い出せなかった。それは、教育係である長谷川からの教訓を守ってのことではない。今はただ、別世界の住人と思っていた有名女優の新藤奈々子が後ろに座り、二人きりでこの空間を共有している、そんな束の間のドラマを味わっていたかった。そんな祐太郎には、ただ「桜を見に行く」という言葉以外に、何も見つからなかったのである。
「ええ、お願い」
奈々子の返事と同時に、信号が青に変わり、祐太郎はゆっくりと、目黒川に向けてアクセルを踏んだ。

白いベンツは、青山通りの信号手前、銀杏並木通りの路肩に、ハザードランプを点滅させながら停まっていた。その運転席には、先ほど祐太郎とカーチェイスをしたサングラスの男性が座り、携帯電話で会話をしている。
「確か、メトロキャブの車両です、はい。ダンプカーの前でスピンターンをする様子は、車載のドライブレコーダーに録画されているはずです。危険運転として目撃情報を提供したく、電話しました」
電話の相手は、東京タクシーセンターである。このセンターは、東京二十三区と武蔵野市および三鷹市のタクシーを監督する機関で、様々なクレームや違反に対して独自の懲罰を課す権限を持っている。
「いえ、それは結構です、はい。では、よろしくご対応下さい」
白いベンツの男は、そう言って電話を切ると、不穏な笑みを浮かべながら、車をゆっくりと始動させ、青山通りを左折し、赤坂方面へと走り去った。

目黒川一帯は、遊歩道に沿って満開の桜が川を覆うように咲いており、一面ピンクのベールに包まれていた。道行く人々は、そのほとんどが若いカップルである。
「私も、あんなにお散歩したいけど、無理ね・・・」
 奈々子は、車窓から外を眺めながら、つぶやいた。
幾分、落ち着きを取り戻していた祐太郎は、車のダッシュボードに手を伸ばし、中からレイバンのサングラスを取り出した。
「これ、使ってみると、いいかもしれませんよ」
そう言って祐太郎が、後ろに座る奈々子に手渡すと、すぐにサングラスをかけた奈々子であったが、その様子をルームミラーで見た祐太郎は、先ほどとは全く違う奈々子の小悪魔的な変身ぶりに、鳥肌が立った。
「ティファニーで朝食を・・・、あのオードリーヘプバーンに似てますね」
どんなに変装しても、そのオーラは人目を惹きつけずにはいられない。そんな奈々子をミラー越しに見ながら、祐太郎がつぶやいた。
「それ、恋多き女ってこと?」
奈々子は、意味深な言葉を祐太郎に投げかけたが、奈々子のプライベートについて何も知らない祐太郎は、返す言葉がなかった。
「ねえ、ちょっとお腹すいたんだけど、いま何時?」
無言の空白を埋めるように、奈々子が言葉を切り出した。
「えっと、午後一時を回ったところですね」
車内のデジタル時計をみながら、祐太郎が答えた。
「もうそんな時間だったんだ・・・、ん~、何かないかな~」
「じゃあ、この近くに人気のカフェがありますから、車を止めて何か買ってきましょうか?」
祐太郎はそう言うと、川沿いから旧山手通りへと坂道を上がって、前方に見える交差点角のカフェを指さした。店の近くに車を止めて、ドアを開けようとした祐太郎であったが、突然、奈々子が手でそれを制した。
「あなたはここにいて。私が買ってくる」
「あっ、はい・・・」
祐太郎は、そう言うと、運転席下のドアレバーで、後部ドアを開けた。サングラスとマスク姿で財布を持ち、外に出た奈々子の座っていたシートには、バッグと携帯電話が置かれたままである。すると、その置かれていた携帯電話が、急に振動を始めた。通話着信のバイブレーションだった。そして、祐太郎は、何気なくその携帯電話を手に取ると、発信者名が表示されている画面を見つめた。
「宮野浩介?誰だろう・・・」
そう言いながら祐太郎は、最近の週刊誌やテレビのワイドショーで、奈々子との破局が報道されていたIT起業家の名前を思い出していた。
「確か、この名前だったよな・・・」
そして、祐太郎は何もせず、その携帯電話を元の座席シートに置いた。
しばらくして、両手にそれぞれ紙袋を持った奈々子が戻ってきた。
「この格好でも、声でバレちゃったみたい。何人も私のほうを、じっと見てたわ」
奈々子はそう言いながら、ふたつある紙袋のひとつを、祐太郎に差し出した。
「じゃ、いただきます。ありがとうございます」
かしこまった祐太郎の口調に、奈々子はサングラスとマスクを外して、クスッと笑った。
「ここは代官山に近くて、芸能界の人も多いでしょうから、少し離れた公園にでも行きましょうか」
祐太郎はそう言うと、車を池尻方向に走らせた。国道二四六号線を三軒茶屋方面に向かい、三宿で左折すると、世田谷公園が左側に見えてくる。公園沿いの路肩にある、パーキングゾーンに車を駐車させた祐太郎は、奈々子とともに公園内へと入っていった。
平日の午後、幸いにも公園内の噴水広場には、人はまばらで、数台あるベンチのいくつかは、誰も座っておらず空いた状態である。
「ん~、気持ちいい~」
ベンチでとなりあわせに座った奈々子が、背伸びをしながら声を上げた。
「確かに。それじゃ、ごちそうになりますね」
祐太郎はそう言って、出会った時から顔に付けていたマスクを外すと、奈々子は前のめりになって、祐太郎の顔を覗きこんだ。
「やっと素顔が見れたわ。ん~、もしかして私より年下?」
「たっ、たぶん・・・」
祐太郎は、少し頬を赤らめながらも、平静を装ってカフェの紙袋を開けた。
「えっ?」
 袋の中には、フィッシュサンド、ピザトースト、ローストビーフサラダと、かなりボリュームのあるランチフードが入ってある。
「さっき、白いベンツを振り切ってくれたお礼よ」
奈々子が発した言葉に、祐太郎はフィッシュサンドを取りだそうとした手を止めた。
「あの・・・、その車を運転してた人って」
祐太郎は、先ほどからずっと奈々子に対して質問したいと思っていたことを、思わず口にしたのだった。
「報道で、破局だの何だの・・・知ってるでしょ?宮野浩介。あの人の専属運転手よ。これまで何度か、あの車には乗ったことがあるわ」
「もしかして、その人は僕たちを尾行してた・・・」
「可能性はあるわね」
奈々子はそう言うと、今朝、東京駅でマネージャーと別れた後に、何度も宮野から「今どこにいるんだ?車を迎えに寄こすから」と電話があったことを話した。そして、宮野の車が先回りして二番町の自宅前で待機している可能性や、写真週刊誌の待ち伏せもあることから、祐太郎のタクシーを拾った後で、咄嗟に貸し切りにすることを思いついたのだと打ち明けた。
「あの人の会社が作ったGPSの位置情報アプリ・・・、さっきまで携帯から削除してなかったの。だから、どこにいるのか、すべてお見通しだったみたい」
「なるほど、そういうことだったんですね」
奈々子の話しで、ようやくすべてが腑に落ちた祐太郎は、肩の力が抜けたように、ゆっくりと安堵の息を吐いた。
そして二人の間に、しばらく沈黙が続いた。
「そうだ、あの時のスピンターン、すごかったわね。どこであんなテクニックを身につけたの?」
そう話しはじめた奈々子に対して祐太郎は、大学時代、自動車部に所属し、サーキットコースを舞台に幾度となく公式レースの表彰台に立ったことを伝えた。
「すごいじゃない。じゃあ、自動車の運転が好きだからタクシードライバーに?」
「いえっ、まあ、成り行きというか・・・」
祐太郎はこの時、父親か経営する会社に就職したことを、なぜか言い出せなかった。それは、自分が安易に親族の会社へ身を寄せる甘えた放蕩息子だと、奈々子に思われたくなかったからかもしれない。
「ちょっと、ごめんなさい」
バイブレーションの音に気づいた奈々子はそう言うと、コートのポケットから携帯電話を取りだした。
「はい・・・、それが何か?」
何やら男性からの電話のようだ。となりに座る祐太郎にも、携帯電話から漏れてくる相手の声が聞こえる。
「いま、彼とランチしてるの。それは・・・、あなたには関係のないことでしょ。えっ、その話なら、答えは同じ。ごめんなさい」
奈々子はそう言って、電話を切った。険しい表情で真っ直ぐ前を向くその表情は、何か強い意志を感じさせる。
「あの、いまの電話は・・・」
「宮野浩介。私と会って話をしたいって。あなたのことも聞いてきたわ」
「うっ」
祐太郎は、思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。
「ごめんなさい。あなたまで騒動に巻き込んじゃって」
「あの・・・、彼とランチって・・・」
「あ~、それも謝らないとね。ごめんなさい。でも、咄嗟に言っちゃったのよね~」
 首をかしげながら、奈々子が向ける無邪気な視線に、祐太郎は照れた顔を見られないように視線を落として、食べかけのフィッシュサンドを紙袋に戻した。
「これから、どうしましょう?」
祐太郎は、気を取り直してそう呟くと、となりの奈々子へ視線を向けた。
「そうね、かなりしつこい相手だから・・・」
「あっ、いえ・・・このあとの時間、どうしようかって」
「ぷっ」
奈々子が噴き出して笑うと、祐太郎もつられて、いつのまにか二人揃って大笑いしていた。その後、互いに距離感が近づくのを感じながらランチを終えた二人は、公園を後にして、駐車してある車へと戻った。
「新藤さん、ひとつ質問していいですか?」
 祐太郎は、エンジンを始動させると、前を向いたままで奈々子に問いかけた。
「何かしら、小嶋さん?」
祐太郎の少しかしこまった口調に、奈々子も同じ口調で、からかうように言った。
「宮野さんと破局した理由って・・・」
祐太郎の問いかけに、奈々子は、窓の外を見つめたまま、何も答えようとはしなかった。
「いえ、すみませんでした。プライベートなこと聞いちゃって」
祐太郎はそう言って、ウインカーをつけながら車をゆっくりと走らせ始めた。行く先は特に決めていない。というのも、先ほどベンチで食事をした際に、明日の早朝から予定しているドラマロケの台本に、車内で目を通したいという奈々子からのリクエストがあったからである。そして、祐太郎は、夕方六時頃に二番町の自宅へ車を着けて欲しいとだけ言われていた。

<終> 第三話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/nc24edbc4b9bb?magazine_key=m79f7c3b592b0

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?