見出し画像

あの夏の思い出 2

初球は外に大きく外れたが、電光掲示板の球速には、118キロと表示されていた。最高球速に近いボールが投げれている。なんとかなるか。いやなんとかなってくれと願いながら合間で肩をつくる。しかしその後も原のボールは一度もストライクになることなく簡単にファーボールを与えてしまった。

ノーアウトランナー一塁で迎える打者は、今日当たっている3番バッターだ。その時ベンチから後輩の松野がブルペンにやってきて、俺に
「監督がランナーが2塁に進んだら先輩に変えると言ってます。」と伝えに来た。その言葉を聞いて緊張感が何倍にも増した。胸の鼓動が5メートル以上離れている松野に聞こえるのではないかと思うほどだ。もちろんこの時のために練習を続けていたのだが、心のどこかでは出番はないと安心してしまっていたのだろう。こんなときにいつでもいいよと思えるメンタルではない自分に腹が立つのを何とか隠し、精一杯の強がりで「まかせとけ」と笑顔で松野にそう言い返す。その瞬間さきほどの原の気持ちが痛いほどわかった。人間は大丈夫ではない時も大丈夫と返す生き物なのかもな。そう思いながら3番バッターに対する原の初球を見る。その球はまたも外に外れるボール球だった。それを見て気づけば原に向かって叫んでいた。

「おい。お前何のために1年間練習してきたんだ。ストライクなげんかい。どうせ負けるなら打たれてしまえ。自分を信じろ。」と

 原の心境が痛いほど分かる。だからこそこのまま終わって欲しくないと思い叫んだのだ。

その声が聞こえたのか原はこちらに向けて手を上げた。すると次の球は内角に良いストレートがストライクに入った。よしその調子だと思っていた次の球を完璧に捉えられ、強烈な打球はショート正面のライナーになりワンアウト取ることができた。
「本当野球は良くできているな」と呟き一安心をしたが次は、今日ホームランを打っている4番バッターだった。大丈夫と念じながら見ていたその初球はまたも完璧に捉えられ、俺が投げているプルペン奥のレフトポールに向かっていく。その打球はファールとなったが、あと1メートルそれていたら危うくサヨナラホームランだった。俺はビビりながらも原に「大丈夫。大丈夫。ファールはどのくらい飛ばされてもファールだ。」と叫んだがビビッて出したその声は先ほどよりも小さく、原まで届かなかったのだろう。この時の声があと少し大きければ良かったと後から後悔をする。完璧に捉えられて完全に委縮してしまったのだろう。原の投げた次のボールは、キャッチャーが完全に届かないボールになりワイルドピッチでランナーが2塁に進んだ。
その瞬間ベンチを見た私に松野が叫ぶ。「長倉先輩、交代です」。

 これ以上緊張することがないと思っていた出番前をはるかに超える緊張に吞まれそうになりながらマウンドへ向かう。その途中、原が交代したときには聞こえていたスタンドの黄色い声援が一つも聞こえないなと思いながらマウンドに走る。そんなどうでも良いことに気づく自分にあれ意外と冷静かもなとも思ったが、やはり緊張しておりフワフワした感覚のままマウンドについた。そして原からボールを受け取るのだが、その時の原の悔しそうな表情はいまだに忘れられない。フワフワした感覚は原がマウンドから去ったあと集まった内野手の顔を見ると少し落ち着いた。そこにいたのは、いつも練習試合で投げていた時に後ろを守ってくれていたBチームのメンバーだったからだ。
「まさかこのメンツで最後の公式戦試合にでているとはね」と言うと
投手になってからずっと球を受けてくれていた内田が「一番驚くのは、そのマウンドにお前がいることだよ」と返してきた。「うるさいわ」と突っ込みマウンドに笑いが生じた。自分たちの高校野球がもう終わるかもしれないとという場面でいつも通りのやり取りができたことでさらに落ち着いた。そして俺は松野からランナーが2塁になったら交代と告げられた時からずっと考えていたことをみんなに言う。

「牽制で2塁ランナーをアウトにしよう」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?