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「Far Away」に見る平安女性の遺伝子

CHAGE and ASKAの楽曲「Far Away」、それはすれ違う男女の物語。
この曲を聴く度に「わかるよ君子さん(仮)、ホントこの彼わからず屋だわ...」と愚痴のようなことを思う。
主人公ではなく、彼女に共感してしまうのだ。

「今がすべて」、「確かめすぎないで」。
先のことは先のこと、今が大事だと言う男と未来も愛が変わらないことを確認したい女。
これは世の常なのだろうか。

昔、保健の授業で「女子は好きな人と精神的な繋がりを重要視する人が多く、一方男子は...」みたいなグラフを見た記憶があるが、それと同じように恋愛に対する考え方は、子どもの頃から、そして大人になってからも男と女で根本的に異なっているのだろうと思う。

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話は変わる。
古典文学が好きで、それ関係の本を読むことがある。
そこに描かれる恋愛の形は、自由に女たちの間を行き来する男性と、そんな男性をひたすら待ち続ける女性、というものだ。
女性は自由に動くことができず、会いたい人に会うこともできない。そのため恋愛は男性が主体になる。
つまり男性が飽きてしまえば、関係は絶たれることになる。

女性にできるのは、せいぜい「あなたが来てくれないから、涙で袖が色褪せました」のような歌を贈って、男性の気持ちを留めようとするくらいである。
また、一夫多妻の時代であるから、他の女性の元へと通う男性を容認しなければならない。嫉妬心を表へ出せば愛想を尽かされるだろう。

そんな不平等な恋愛関係において、女性たちの不安はいかばかりであったか。
男性に愛されながらも、いずれ愛されなくなって離れていくだろうという「予感がこの胸を詰まらせる」ことだったろう。

もしかして、現代の女性が恋愛の将来性を確認したがるのは、この時代の名残の本能なのではないか。


「Far Away」の彼女が「愛の行方とても知りたがる」のは、かつて男性を待ち続けることしかできなかった女性たちのように、彼がいずれ心変わりをしてしまうのではないかという予感から来るものではないか。
そして彼は、かつて幾人もの女性たちの間を渡り歩いて恋愛を楽しんだ男性たちのように、いつか他の女性と恋に落ちる可能性があるかもしれないという気持ちがあるのではないだろうか。

愛の行方 とても知りたがるけど はじめての夜に服を脱ぐよりもきっとむつかしい
恋のうちに 君と死ねたらいいね

これらは愛し続ける自信のなさから来る言葉ではないか。
好きになるのは簡単、しかし好きでい続けるのは難しい。
彼女は彼のその自信のなさに気づいている。だから不安になるのだろう。


書きながら思い出したが、「Garl」の彼に対しても同じことを思う。

このままこの時間にとり残されたいね

これも「Far Away」の彼が言う「今がすべて」と同じニュアンスだと思う。
そして彼女が言う、

いつかきっと終わるけれど 悲しむのは最後でいい

は、「今がすべて」だと考える彼の気持ちを汲み取った上でのものだ。
本心からそう思っているのならば、「優しく壊れる」ことなどないはずだ。


将来を考えられるかどうかという質問は、その実、現在の愛情の度合いを確認しているのだ。
だから、どれほど愛されているかを確かめようとして愛の行方を尋ねる女性に対し、その質問を言葉のままに解釈して「それはFar Away」と答える男性は永遠に分かり合えることはないだろう。


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