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MIYOSUI的こころ

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みよしが書くエッセイ、のようなもの。
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散り行く花見客を見送る桜に、あの日の祖母を想う

昨春花見に行ったのは、3月31日。4月を待たずに、ほろりほろりと放れていく白が、しんしんと降る牡丹雪のようだった。年々早くなっていく桜を憂いていたが、今年は久方ぶりに遅めの開花。入学式の背景にはやっぱり桜が咲いていて欲しいと思うのは人間の勝手か。 この時期、道々にポツポツと現れる桜にも目が行く。いつもの景色でさえ、花が咲いて初めてそこに桜があることを知る。木の存在に気づいていたとしても、花が咲いて初めてそれが桜であったと知る。一度知りさえすれば、花を咲かせていない冬の姿でも

寛容とは、白黒つけずに余白を残しておくこと

「あなたが大人になったと実感したのは、どんなときでしたか?」——昔、あるテレビ番組で司会者がゲストにそう質問するのを聞いて、はて、自分の場合はそれがいつだったかと記憶をたぐり寄せてみた。そうして頭に浮かんだのが「白黒つけるより大事なことがある」と悟ったときのことだった。 学生時代、大切な友人を激怒させたことがある。その理由は私の正義感の押しつけにあった。その人のためと考え、非を打ち、自分が正しいと思うことを突きつけた結果、相手は逆上した。今思えば「逆上した」というより「逆上

笑う門には福来たる〜ため息の対処法

朝起きてテレビをつけると、一日のはじまりだというのに暗くて下世話なニュースをやっている。それを見ながら、ふと自分がため息をついていることに気づく。「はぁ〜」と、思わずため息をついてしまったとき、私はすかさず「しあわせ❤︎」と言ってみることにしている。 昔、友人がこんなことを言っていた。 「『はぁ〜』ってため息つくやん?あれ、自分の意識とは無関係に脳みそが聞いてんねんて。マイナスオーラ満タンの声聞いて、潜在意識下で『あか〜ん!』ってなってますます元気なくなんねん。でもな『あ

「鼻くそついてますよ」のうまい伝え方

今日からできる「言いにくいことを明るく伝える方法」いってみよう! みなさんはリフレーミングって知ってますか? 簡単にいうと、物事を今と違った見方でとらえ直すこと。 同じ物事でも見方によってとらえ方が変わります。 例えば、今まさにコーヒーをいれようとしている私のコーヒーカップ。 横から見ると四角くて黄色い。だけど、 上から見ると丸くて白くて取っ手がついている。 このカップのことは普段「黄色いコーヒーカップ」と呼んでいる。だって色が目立って特徴的だから。でも、もう少し詳し

SMAPは誰のもの? 〜みんなの所有欲をちょっとだけ手放したらたぶんオーライな話

2016年、何かと騒がしく始まりましたね。 国民的アイドルの解散騒動。「解散」って聞いたらそりゃ衝撃やし、残念やなぁと思う。でも「SMAP解散したら日本は潰れるんか?」くらいの過剰な反応というか、1アイドルグループへの依存度には危うさを感じます。 諸行無常、形あるものはいつかは壊れるんですわ。終わりがあるという前提があるから今が有り難く美しいわけで。失うものあれば、また新しく生まれるものもあるやろうしね。 あんなにたくさんのHappyをみんなに与えてくれた彼らが、悲壮な顔

台風災害の記憶〜恐れを忘れず毎度備える

大きな台風が近づくたび、子どもの頃に経験した水害のことを思い出す。 実家のある小豆島は、昭和49年とその2年後の51年に甚大な台風被害を受けた。 私は当時6歳と8歳。両親と5人姉妹が住む実家は2度床上浸水した。2つの災害の記憶が混じっているが、断片的に今でもはっきりと覚えている光景がある。 1回目は七夕の頃。大雨に満潮が重なった。近所には川があり、うちの家は川より少し低地にあった。「水や!水が来よるぞ!」と近所の人が叫ぶ声。あわてて家の外に出ると、川から溢れた水が道路に沿

人生の仲間を増やせ。パーティーを組め。

友だちは量より質。仲間は多いに越したことはない。 大人になったら友だちの数なんてわざわざ数えないけど、私の場合、友だちはそんなに多くない。長く会ってない友だちもいるが、だからと言って関係性が変わることもない。離れていても「いつでも味方やで」とは思っている。 友だちは量より質が大事だと思っている。対等に接することができる人。一緒にいて自分らしくいられる人。そんな相手には自分も何かプラスをお返ししたいと思う。長い人生のうちに数人いれば上々。だから一緒にいてしんどい相手とは、無

100歳の自分は今の自分に「やれよ」と言うと思う。

どうも。ゲッターズ飯田「五星三心占い」で金のインディアン座「一生陽気な中学生」みよし@54歳です。 人生100年時代とか。 そうは言っても、実際のところ何歳まで生きるか、何歳まで元気でいられるかは分かりません。でも、どうせ長く生きるなら元気でいたいものです。 私が生まれた1968年の日本人の平均寿命は男性69.05年、女性74.30年でした。それが、最新のデータ2021年になると男性81.47年、女性87.57年。私が生きてる間だけでも10年以上長くなってます。 厚生労

とうの昔からSDGsを地でいく小さな食料品店の話

テレビ番組で食品ロスの問題が取り上げられていた。ロス削減のために「賞味期限切れ商品を安く販売する店」が生まれているという。それを見ながら、ふとある店のことを思い出した。 私の故郷である瀬戸内の島にあった小さな食料品店。チェーンストアの台頭や後継者不足など、時代の流れとともに地元の商店が次々と廃業していく中、必死に生き残っていた昔ながらの店だ。 昭和を感じさせる緑のテント看板。夏には打水された店先に葦簀(よしず)が立てかけられ、それをくぐった先に人のいい小柄なおばちゃん店主

「ヘルメット」被るか被らないかは、己の人生の選択の一つにほかならない。

「あなたヘルメットかぶってます?それともかぶってない?」 「・・・・・・」 「いやいや答えはどちらだっていいんですよ。ただしその理由は重要ですけどね」 「・・・・・?」 自転車乗用時のヘルメット着用が努力義務化 なぜ? 道路交通法の改正により、4月1日から自転車を運転する際のヘルメット着用が努力義務化され、毎日のように着用率や市民のさまざまな反応が報道されている。 まずは、ヘルメット着用が努力義務化された背景について整理しよう。近年、日本全国の交通事故死者数は減少してい

母の日は懺悔の日。

今日は母の日。この10年余り私にとってこの日は、亡き母に「ありがとう」を伝える日でもあり、自らを悔い改める日でもある。2012年の暮れに書いたエッセイをもう一度読み直す。 暑い夏の日、母が交通事故に遭った。それから4ヶ月が過ぎ、もう冬を迎えるというのに母はずっと眠ったままだ。 最初の10日間くらいは生死の境を彷徨った。大切な人が今日死んでしまうかもしれないという恐れや不安。昇る朝日を見るたび「また今日を迎えられた」と安堵し、感謝する。病院から一歩外に出れば、通勤を急ぐ人や

「あなたは見てないんだよね?」おせっかいな私を一蹴した警察官の言葉を今も思い出す。

 中学1年生の時だったか。友人宅で遊んだあと、仲間4人で帰ることになった。3人が自転車で一人は徒歩。家まではそこそこ距離がある。「大通りに出るまではバレないだろう」と、みんなの総意で一台は途中まで二人乗りで帰ることにした。  車一台が通れるくらいの川沿いの狭い道路を私が先頭で下り、2番目に二人乗りの自転車、その後ろにもう一人が続いた。途中、後ろから車が近づいてくる音がしたのと同時に「危ない!」という声が聞こえた。止まって振り返ると、軽自動車と二人乗り自転車が何やら接触してい

ちょっと変わった国語の先生の授業が好きだった話

学生時代を振り返って「心に残っている授業」ってありますか? 1980年代半ば。高校生のときの国語の先生がちょっと変わった人だった。七三分けでメガネをかけていて色白でちょっと弱そうな男性の先生。 先生は授業には必ず紙袋をさげてやって来た。 どこにでもありそうな使い古された手提げの紙袋に、これまた使い古されたプリントが突っ込んである。紙袋は破れるたびに新しいものに替わるが、どの紙袋にも必ず黒マジックで丸囲みされた先生の苗字が記されていた。 先生は生徒に対して丁寧な言葉を使う

「そうぞう」が愛を生んだ話

30代の頃、とある高校で学級担任をしていた。 受け持ったクラスはプチ『ごくせん』って感じで なかなかのやんちゃ揃い。 教室の後方には、分別用ゴミ箱が並んでいたが、 愛すべきやんちゃくれたちは、ゴミを分けない。 それどころか、床にゴミが散乱していることさえある。 「いいか…お前らよく聞けよ! ゴミはゴミ箱に入れるんだよ! それがマナーってもんだろうが!」 と、上下ジャージでヤンクミばりに叱咤するも、 「マナー?なんすかソレ?美味いんすか?」 に、はらわたぐつぐつ。 怒り