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第一話 〜強い使命感〜

【ウルトラマン誕生秘話、、、呪われた家】


「みーちゃんって、何人きょうだい?」

小学生の頃の私にとって一番困る質問でした。

私のきょうだいは「一応」
3人きょうだいではあるものの、
いつも家にいるのは私ひとりなのです。

姉は母の実の子供ではありませんでした。
そしていつの頃からか、
姉は家から出て住み込みの仕事をしていました。
兄は小児マヒで施設に入ったっきり。

だから、家にいる子供は私だけなのです。

そんな複雑な家庭で育ったので
「3人だよ」とは私にはどうしても言えなかったのです。
あとの2人のことを説明しないといけなくなるから…

「めんどくさっ」

心の中でそうつぶやき、「3人」という言葉を
いつも飲み込んでいる私がいました。

私、ひとりでいい。
ひとりっ子みたいなものなのだから。


私は、1958年、両親の大きな期待の中、
五体満足で生まれました。

なぜ期待されたかというと、
3歳上の兄が障害を持っていたからです。

「あんたは兄ちゃんを助けてあげて」
「あんたはずっーとこの家を守りなさい」

物心ついた時から、
私はこの言葉をずっと母から聞かされて育てられました。

「あんたが男の子やったら、
兄ちゃんをかかえることができるんやけどねぇ。。。」

ふと、母がもらした一言に

(そうか!ホントは、母は、男の子が欲しかったんだ!)

と、少し悲しい気持ちになった私。
その日から、私は母の期待に応える人生を歩もうと
幼心に誓ったのです。

私は物心ついた時から、兄のことを理解しました。

歩けず、首も座らず、なかなか言葉が出てこない
いつも、ハイハイの格好で這いつくばってばかり
手の動きも悪く、食事を摂るのも
人の手を借りなければならない…

兄は他の子とは違ったけど、私は大好きだったのです。

「ありがとう、ありがとう」

一生懸命に言ってくれる、
そんな兄が大好きだったのです。

ただ、世間の目はそうではありませんでした。
今から60年以上も前の日本。
兄のことを、
まわりの大人達は奇異な目で見ていたのです。

因習深い田舎では、ちょっと珍しいことがあると
噂話をしたがるので、
かっこうのネタになりやすかったのでしょう。

「後妻で入ってきた人(私の母)は、
元々居た子供を追い出し、
生まれてきた子供は、不具者だそうな」

「あの家は呪われとるばい」

そんな心無い言葉をあちこちで言ってまわる人が、
普通に居たのです。

また、ある時は、私達の姿を見るや否や、
ヒソヒソ話を始めたり、
中には自分の子供に
「見ちゃいかんよ。病気が伝染る」と言い放ち
とっさに子供の目を手で覆ったお母さんもいました。

「兄ちゃんをバカにするな!」

そんな大人達を私は唇を噛み締めながら
睨み返していました!

(外へ出ると辛いことばかりが私達に襲いかかってくる…)

いつしか母は、
兄を外へ連れ出そうとしなくなっていきました。

強くなりたい!
大人達を見返したい!
兄ちゃんやお母さんを守りたい!


「そうだ!ウルトラマンみたいに私がなれば良いんだ!」

私の心の中には、
子供ながらにそんな気持ちが芽生えていったのです。


私の父は聡明で穏やかな人
母は明るく負けず嫌いな人

ふたりとも農業をしていて、
いつも家には居ませんでした。
だから私は、兄とふたりで家の中ですごしていました。

「ほら! 立てたよ! 立てたよ!」

私は兄をタンスの取手につかまらせて
立たせて訓練したり、
硬直して動かない足をマッサージしたりもしました。

(いつか奇跡が起こる!
絶対歩ける日がやってくる!)

祈るような思い、いや、
「私がそうしてみせる!」という、
使命にも似た魂の叫びは
今、思い出しただけでも涙が溢れてくるほど、
強烈なものでした。

【兄との別れ】

ある日のこと、
朝から何ともいえない異様な空気が流れていました。

父も母も一言も口を開かないのです。
いつもは、朝から元気な私でさえ、その重い空気の中、
ざわざわする気持ちを抑えていました。

父と母、そして兄と私を乗せた車は、
「重度身体障害者施設〇〇学園」という
看板の前で停まりました。

父は無言で兄をおんぶして施設の中に入って行きました。
その後ろ姿は、心なしか、
いつもより小さく思えたのです。

しばらくして父はひとりで、施設から出てきました。
その父の顔は、苦悩で溢れ、
言葉をかけられる状態ではありませんでした。

私は今でも忘れることができません!
施設の玄関から、父と母と私の3人を乗せた車の方を、
両膝をついてじっと見ていた兄の姿を。
涙をこらえながら、
ずっとずっと手を振り続けていた兄の姿を!

「なんで?なんで?兄ちゃんをおいていかないで!」

泣きじゃくる私に、
「兄ちゃんの為たい!」と、言い放つ父。
そんな父の目にも、光るモノがあったのでした。


【ウルトラマンになる!】

それから、いつも留守番は
私ひとりですることになりました。
寂しかった。

(今ごろ、兄ちゃんはどうしているのだろう)

(ちゃんと、ご飯食べさせてもらってるかな?)
(お友達、できたかな?)

(兄ちゃんも寂しくないのかな?)

兄と立ち上がる練習を何度もしたタンスを見ても、
兄専用の座椅子を見ても、
何を見ても、此処に兄は居ない。

私は、独りぼっち。

夕焼けで紅く染まった畳の上で、
電気も点けずにずっと両親の帰りを待ち続けていました。

唯一、楽しみにしていたテレビ番組がありました。
その頃、テレビ番組のヒーローと言えば
ウルトラマンシリーズでしたが、わかりますか?

地球を救う為に、
ピコピコと胸のタイマーが切れる寸前まで怪獣と戦う姿。
いつしか私は、そんなウルトラマンの姿に
「この家は呪われている」と言い放った大人達から
家族を守るんだ、という自分の思いを
重ねていたのでした。

お父さん
お母さん
兄ちゃんのことは、私が守るんだ!

そんな大それたことを考えていた私ですが
当時の私と言えば、相当な、おバカさんでした。

好奇心が旺盛すぎて、おもしろいモノを見つけては、
帰りの時間がわからなくなったり
小学校では、いろいろ質問しすぎて先生から
怒られてばかりでした。

当時、知能テストというものがあり、
私はテスト自体の解説が理解できず、
なかなかのバカっぷりを常に披露していました。

職員室に呼ばれ、
「何、ふざけているんだ!」と怒られることは
日常茶飯事。
「ふざけてません」と答えると、
「おまえはバカか」と、あきれられました。
そう、私は少々テンネンだったのです。

(先生から見放された💦)

この日を境にモーレツに勉強に励みました。

(私を見放し、バカ呼ばわりした先生を見返したい!)

私の反骨精神は、そんな周りの大人達の言動により、
たくましく前へ進むチカラとなっていったのです。

「私は勉強がんばる」
「私はお金持ちになる」
「私は家族を守る」
そして
「私は家族のウルトラマンになる❗」→
どこぞのアニメの「海賊王」になるみたいな(笑)

もしかしたら、こういった気持ちは、
「寂しい」「振り返ってほしい」「認めてほしい」
という気持ちの表れなのかもしれませんね。

10歳の私は寂しかったのです。
そして、みんなに認めてほしかったのです。

そんな『承認欲求』と
『反骨精神』というものが、
表裏一体であることに、
まだまだ幼かった私は気付けずにいたのでした。

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プロローグ~成功と失敗~
第二話~1つ目の壁~


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