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第ニ話 〜1つ目の壁〜

【父の癌の告知】

おバカな私も高校生🎵
県立の進学校に無事合格し、まぁまぁ可愛かった私は、
「◯恵ちゃんに似てる〜!」
と、けっこうモテたのです!
(今では誰も言ってくれません。旦那も、息子も💦)

そして、毎日勉学に励んだのです!

と、
言いたいところですが、これがまた、
実は遊び呆けていました。
田舎娘の私は、ちょっと都会方面からやってくる子達の、その洗練された空気感に、興味シンシンの毎日でした。

私は、田舎者丸出しだったのです。

特にヘアスタイルに興味を持っていました。
→それが後に美容師の世界に入ることになるとは!

「蘭ちゃんみたいにパーマお願いします」

その頃、キャンディーズ全盛期!
蘭ちゃんを知らない人はいない!
私も、蘭ちゃんみたいになるんだ!

ワクワクしながら鏡の前に座ること2時間

「えーーーーーー!!!」

衝撃的な姿が鏡に写し出されていました!

「どこのおばちゃん?」
私が住んでる田舎に生息している、
くるくるパーマの、
私が1番なりたくなかった
くるくるパーマの、
そんなおばちゃん頭がそこに居ました💦

なんと、修学旅行の前日の出来事💦

どこのおばちゃんかわからない、
くるくるパーマで臨んだ修学旅行の記念写真には、
やはり、だれだかわからないヒトが映っていたのは
言うまでもありません。

そんな苦い思い出も、あっという間に薄れ、
高校3年生になると、
みんな受験勉強に必死になっていました。

進学校なので、
ほとんどの生徒は当然大学を目指していました。

でも、私は早く社会へ出て、稼いで、
家を守りたいと思っていました。

とはいえ、いつも、流されてしまう私は、
友達と歩調を合わせ大学受験をすることになったのです。

結果は不合格!

そりゃそうです。
大学に行く目的も無ければ、
勉強もしていなかったのですから。

自分の中に、目的を見出だせないと、
行動すら起こせないものですよね。

それからは、学校という束縛の無い、
いわゆるフリーター人生を歩むことと相成りました。


フリーターとなり、自由を謳歌していたある日のこと。

「みーちゃん!みーちゃん!」

私を呼ぶ母の声が悲鳴のように聞こえたのは、
確か新緑が映える5月頃。

「お父さんが倒れた!」

受話器を持つ手が震え、血の気が引いて
真っ青になった母の顔を一目見て、
私はその電話が、父が勤める会社からの
非常事態の連絡だとわかりました。
私は母と、急いで病院へ駆けつけました。

「どなたか他にご親族の方はいらっしゃいませんか?
一緒に聞いてもらいたいのですが」

神妙な面持ちで、そう、医師から告げられ、
すぐに、これは容易い病気ではないと想像できました。

「胃ガンです。余命は、持って3年。。。」

倒れそうな母を、
あわてて来てくれた叔父が支えていました。

父の病名を知っているのは、ここにいる、
母と叔父と私の3人だけ。

父本人には、「胃潰瘍」ということにしておこう
ということで、3人の結託は固く結ばれたのでした。

手術は8時間にも及びました。
開いてみて、しばらく話し合いがなされたようです。
胃の全摘、他の臓器にも転移の恐れがあるため、切除!

(大丈夫! お父さんは絶対助かる!)

今にも不安で押しつぶされそうになりながらも、
自分で自分を奮い立たせていました。

手術は無事成功!

その後、父が少し食べれるようになると、
母は毎日家で父の好物を作り、
病院へ持って行くのが日課となりました。

(私も何か役に立ちたい!)

私は、そのために車の免許を取り、
母の送り迎えをすることになりました。
ウルトラマンへの第一歩です!
そう、私が正義の味方として、
家族を守ると決めていたのです!

そんな必死の家族の思いが届き、
父は、わりと早くに退院することができたのでした。


【美容業界へ、、、化粧品インストラクター】

そのころ、私に声をかけてくれたのが
不動産会社を営んでいた叔父でした。

「お前、どうせ、ヒマやろ。宅建取れ!」

ヒマは余計やろ!と思いましたが、当たってる💦
確かにヒマなので、勉強してみたら、これがまぁ
なんと一発合格!!

これを期に、私は建設会社の一般事務員として
就職をするのでした。

「これ、コピーして」
「お茶持って来て」
「ここ、掃除して」

自分でやれよ
と言いたい事ばかりの仕事内容に、ウンザリする毎日。

ここで、素直な良い子は「はい!」と言って、
言われたことをちゃんとやるのでしょうね。

私も最初は『言われたこと』をやっていました。
掃除、お茶くみ、コピー、買い出し、電話番。。。

無理だ、そう、私には無理なんです。

元々好奇心旺盛な性格なのに、
好奇心が湧いてくるような事柄を見いだせないのです。

私には、机に向かってただ言われるがままの仕事は
ムリだ
ということに気がつくのに、
それほど時間はかかりませんでした。

事務の仕事が悪いわけではありません。

私には、あの、悪から市民を守る
ウルトラマンの仕事とは、
到底思えなかったのかもしれません。

もしかしたら
『何かにチャレンジしたい、
創造性がありスキルアップするものと出会いたい、、、』
そう、願っていたのかもしれません。


やがて退職し、次に向かったのは、
某化粧品メーカーの事務員。

またもや、事務員に応募したのは、やはり、
父や母を家に置いて、出張の多いインストラクターには
応募できないと思ったからです。

面接時、面接官と意気投合して、
楽しく大笑いの中で面接を終えました。
頂いた通知は、『インストラクター合格』

どうやら私は、人当たりだけはピカイチだったようです😆

両親の承諾をもらい、私の『好き』を仕事にした、
第一歩でした。

そして、本格的な「ウルトラマンの役目」を
社会的にもすることになっていったのです。


【カリスマ美容師との出会い】

本社(関東)でのインストラクター研修が始まりました。
田舎っぺで九州から出たことが無い私には、
そりゃあもう、見るもの聞くもの、
全てが新鮮で洗練されてて、
夢の中にいるような気持ちでした😄

元々、興味のあったヘアスタイル等も、
メイクやファッションも、
他のインストラクターの先生達と比べると、
私はホントにみごとなまでに
田舎娘の極みを呈していました。

「こりゃいかん💦」

と、近くの美容室へと向かいました。
あの、以前の、「くるくるパーマ事件」がフッと蘇り、
一抹の不安を抱えながら…。

のちに、わかった事ですが、その時に
私が向かった美容室は、
なんと、「サロン・ド・ボーテ•◯◯」という、
たいそう有名な美容室だったのです。

お値段も、私がくるくるパーマにされた
美容室の3倍くらい💦

不安な顔でソワソワしている私の、
後ろに立った美容師さん。
「本日、担当をさせていただきます〇〇です。」
と笑顔でご挨拶!

その、イケメン美容師さんに髪を切ってもらいながら、
「どちらからですか?おひとりで?
お困り事はないですか?」
なんて優しく話しかけてもらった私は、
社交辞令とはわかっているものの、
密かに恋の芽生えを感じざるを得ませんでした。

彼の美容に対する熱意や、
業界の話にどんどん引き込まれ、
やがて、私もその世界に身を置くことになる、
キッカケになるとは、
この時はまだ知る由もありませんでした。

【父と母の永遠の愛、そして別れ】

そんな飛び回るような日々を送っていた私とは裏腹に、
父の病状は一進一退と、入退院を繰り返していました。
父は、退院して来るたびに、
私達に奇跡の回復を見せてくれたかと思われましたが、徐々に、そして、確実に
癌は父のカラダを蝕んでいきました。
私達が、父に癌という病名を隠していたように、
父は父で、本当は、自分のカラダのこと、
全てお見通しだったのに、知らないフリをして、
元気を装っていたのかも知れません。

私は父の笑顔がとても好きだった…

そう言えば、私がまだ5〜6歳のころ、
兄の面倒で忙しい母の代わりに父がよく
私と一緒に居てくれました。
ある日の昼下がり、いつものように
父とふたりでのお留守番をしていた時のこと。

ウトウトと、父は昼寝をしてしまい、
その間、私はひとりで遊んでいました。
近くにあったハサミで何でもかんでも切り刻んでは、
きゃっきゃっと楽しんでいたのを今でも覚えています。

「きゃ〜!なんね、その頭は!」
「お父さん、なんしよっとぉ〜!」

家に帰るやいなや、絶叫する母!
その叫びで、父も昼寝から飛び起き、
そして、私を凝視する!

「わぁ〜ハッハッハ!」爆笑する父

私も爆笑😆
ひとり、鬼の形相で仁王立ちする母。
何が起きたのか?

私は、自分で自分の前髪を
ゾリゾリとハサミで切り落としていたのです。
前髪が、ハゲ散らかし状態!

あくる日から、私の頭にはスカーフが巻かれ、
「こじゃれた女の子」になりました😆

何があっても怒らない、
ありのままの私を受け入れてくれる父が、大好きでした。


そんな父の4回目の入院の知らせ。
あの余命宣告から、既に3年の歳月が流れていました。

嫌な予感…

母は、病院に泊り込みでつきっきりの看病を始めました。
私は、母の着替えや、洗濯物等を毎日持って行くのが
仕事になりました。
この時はもう、父の側に居ることを優先し、
楽しかった化粧品会社を退職することを決めていました。

いつものように洗濯物を届けに病室を開けた、その瞬間、
私の目に写った光景は、

父と母が、背中合わせで、
膝を抱えてベッドの上に座りこんでいる姿でした。

父の背中は、小さく小さくなり、
母の背中も、また同じように、
今にも消えゆく幻のようで…
その光景は、今でも目に焼き付いて離れません。

ふたりの小さなその人影。
秋の夕焼けの陽の光は、美しくも儚く、
ふたりを照らし続けていました。

何も言わず、ほんわかと、
静かに時間が止まっているかのように。

私はドアをそっと閉めました。
廊下の壁にもたれて、ズルズルとしゃがみこみました。

涙が止まらない。

溢れる涙をこらえることができませんでした。

私を産んで育ててくれた父と母
まだ、父に恩返しをしていない
まだ、生きて、生きててほしい

愛おしくて、愛おしくてたまらなかった。

家に帰れば
私はいつもひとり。

居間にかけてある父の大きな背広。
あの背広を着せて家に連れて帰るんだ!

そんな思いも虚しく、
12月、少し暖かい陽射しの昼下がり、
父は眠るようにこの世を去りました。

きっと、兄の事を気に留めながら。

「母と兄を守る!」と決意した、
22歳の私がそこにいました。

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プロローグ~成功と失敗~
第一話~強い使命感~
第三話~運命の仕事、ヒト~


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