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今日が本番

noteに記事を、毎日投稿するようになってから、
私は、Xにピアノ動画をほぼ毎日ポストするようになった。


何かを毎日継続するのは気持ちが良い。


それまでにも、何回かピアノ動画をポストしてきたが、継続できなかった。


たかが、ピアノ動画だが、撮る時は非常に緊張する。何度撮っても、間違えてしまう日は、動画撮影を諦めていた。


もちろん、「練習動画」と割り切って、
間違っても御愛嬌、と考えても良いだろう。
しかし、動画をポストするなら、
私は自分のピアノを「作品」として考えたかった。


ピアノ動画を毎日ポストするのが困難なのは
①レパートリーの少なさ
②動画を撮る時、緊張して間違えてしまう
③動画を撮る時間が無い

という3つの理由からだと思う。


この全ての理由は、計画的に練習して、練習量を増やす事で解消される。


しかし、実行するのは難しい。


もし、リサイタル等でステージで弾く為の練習だったら、何が何でも練習するだろう。


この違いはなんだろうか?


それは、私が、ピアノ動画を「本番」と考えていないからだ。


自分で決めた事だから、辞めるのも自由だ。
私がピアノ動画をポストするのを辞めても、
誰にも迷惑はかからないし、
誰も困らない。


しかし、この考えを改めなければ、
私のピアノは永遠に宙ぶらりんで、
行き場を失うと思った。


私は、ピアノが大好きなのに、
人前で弾くのが異常なほど苦手だ。


これを何とか克服したい、
人の為に弾けるようになりたい、
と思い動画撮影を始めたが、
練習では上手に弾けても、
スマホ撮影をし始めると
あの異常な緊張感に襲われる。


この緊張感に負けて、継続を辞めてしまっていた。


辞める、という事は、
本番だという意識がないからだ。


本番では、辞める事は許されないから。


最近、

「練習の為の練習では無く、本番の為の練習を」

という文章に出会った。


そして、私のピアノ動画への意気込みが変わった。


私は、何の為に練習しているのだろう?


練習は本番の為にあるはずだ。


それでは、毎日のピアノ動画を「本番」と考えよう、と決意した。


本番があるって幸せだ。


考えてみれば、
今日という一日に、
たくさん「本番」はある。

夫と食事をする場面、
友人や家族と会話する場面、
仕事を頑張る場面、
公園を散歩したり
美術館を訪ねる場面…


全て、練習なしのぶっつけ本番のように思えるが、
毎朝、精神統一したり、
美しい言葉を使おう、
悪口は言わない、
感謝の気持ちで接しよう、
と決意すると、
本番で自然と美しいセリフと動作が
サラッと出てくるかもしれない。


今日が本番。


今日も「本番」の意気込みを持とう。


一日一日と千秋楽に近づいているのだから。










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