「傑作note」までのプロセス|#125
自分では「よく書けた!」と鼻高々で投稿した記事が期待に反して伸びなかったり、かと思うと意外な記事に反響があることもあって、noteはつくづく面白いプラットフォームだなあと思う。
そしてごくたまに、自他ともに認める「傑作note」が生まれるときがある。
本心で言えば毎回傑作であってほしいけれど、まあ、たまにだから価値があるのかもしれない……、と正当化。
最近の「傑作」は、これ。
コメントも沢山いただいた、
お一人だけご紹介。
出た、神回!!
こういう記事に出会えるから
noteを続けていこうと
思えるのです☘️
-ハル・ウララ@育児noteさん
他のnoterさんの記事でもご紹介いただいた。
あと、noteのこんな場所にも表示されてた。
そしてTwitterでも。
反響の喜びは、累乗的に増幅する気がする。1つ、また1つと通知が届くたびに、自己肯定感のコップが満ちていく。
これまでの「傑作note」には共通点がある。
それは日常の些細な出来事を綴ったもの、ということ。
きっと得意分野なんだろう。
子どもとアイスの容器を探しに行った夜の話とか、ある日公園の砂場での出来事とか、スタバで赤ちゃんを見かけた日の話とか……。
本当に小さな、日常の片隅の出来事ばかり。
そんな出来事をひとつの記事に仕上げるまでには、プロセスが必要で、
振り返ってみると、このプロセス(制作過程、かな)にも共通点があるようだ。
プロセスをさくっと振り返ってみた。おそらく、こんな感じ。
【傑作noteが生まれた過程】
⓪ 日常の些細な出来事が起きる
① 出来事に心が動いたことを感知する
② 心が動いた理由を探る(自分と対話する)
③ ピッタリしっくりハマる「言葉や表現」じっくり探す
④ メッセージ性より「共感」を前面にして書き上げる
「自他ともに認める傑作note」はこの4段階を完璧に通っている、1つ残らず。
「自分なりにはよく書けたと思ったんだけどなあ」というnoteは、振り返ってみると、①~④のどれかがイマイチだった気がする。
そう、きっとこの4段階のすべてに自分のアンテナが感度よく反応したときに、「傑作note」が生まれるんだ。
* * *
「① 気づきの感知」は一瞬だ。それこそ淡雪のように、捉えられずに消え去ってしまうことも多い。ここが最初の勝負。
「② 気付きを深める」はさほどの手間はかからない。家事をしながら、子どもとお風呂に入りながら、頭の片隅で「昼間のアレ、どういうことかな」と考え続ける程度。
実は一番時間がかかるのが「③ 言語化」。
②が終わった段階では、まだこんな状態だから。
✔ 自分だけが理解している(=他人に伝わる状態になっていない)
✔ ビジュアルで脳内に存在している(=テキスト情報になっていない)
ここから「読者に伝わるように」「テキストにして」整える作業に入る。PCも登場、文字を打ちながらあーでもない、こーでもない……。
ただ一番「書いている!」実感を得る段階でもある。
私の脳内情報を、できるだけそのまま相手の脳内に描きだせる最適な言葉はどれだろう?って。
語彙と表現を駆使する時間は「文章書いてるなあ」と最高に自己満足だ。
「④ 共感」は③と切り離すのが難しいけれど、記事全体の方向性という位置づけ。
私はどうやら情熱的で温度の高い記事よりも、平熱付近で淡々とまとめ上げる方が得意らしい。
そして「こうすべき!こうしたら良いよ!」というメッセージ性の高い記事よりも、共感寄りの日常の切り出しが得意らしい。
こうした記事の方向性は、人それぞれ得意不得意、好き不好きがあるから、一概に「こうしたら良い」という話でもない(ほらね、こういう温度感で書くんだ、いつも)。
と、そんな感じで①~④までが見事にハマったときに、「傑作note」『神回』が生まれるのかなと振り返ってみた。
そう、全ては①にかかっている。
日常の小さな出来事をキャッチして、②に持っていけるかどうか。
出来事に対するアンテナ感度は、自分の気の持ちように影響される。心の余裕がある方が、当然キャッチできる。
それでも。
「日常の小さな出来事」とはいうものの、私にとっては3,000字に昇華させる、それなりの密度を伴っている。
そう毎日起こっては疲弊してしまう。
毎回のnoteが「傑作」であれば最高だけれど、まあ、たまにだから価値があるのかもしれない……、とまた正当化して、今日はここまで。
*
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