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#26|子どもの自由な発想を伸ばしたい!言ってはいけない「何を描いてるの?」

「お絵かき、だーいすき!」
子どもが伸び伸びと自由に描く絵はいいですね。

我が子ならなおさら!
どんなに訳わからない絵でも、へたっぴでも愛おしくて仕方ない!


さて昨今、「アート思考」が注目されています。
子育てにも生かせる考え方です。

「アート思考」とは自分だけのものの見方・考え方を鍛え身につけるという思考法。不確実な世界を生き抜くために必要だと、ビジネスの世界でも真剣に議論されています。

「すべての子どもはアーティストである。
問題なのは、
どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」
-パブロ・ピカソ

誰もが子ども時代は自由な発想・着想を持っていたのに。
年齢を重ねるにつれ、旧来の価値観に縛られ「ふつうの生き方」を良しとしている気がする。

一体どこに置いてきてしまったのか、「本当の自分らしさ」。

絵も、描くだけで楽しい頃もあったのに。
いつからか「上手に描けることが良いこと」になり。
評価を気にし、独創を敬遠し、学校の廊下の絵は画一的に…

もっと自由でいいと思う

そんな風に「アート」に考え巡らせている折、娘のお絵かきまわりで興味深い場面に遭遇しました。


最近、娘(4)が描く絵はこんな感じです。

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画用紙にぐちゃぐちゃに線を引き、隙間をクレヨンで塗りつぶす。余程楽しいようで、日に何枚も制作します。

これは才能が開花するか、
末はピカソかマティスかと喜んでいるのですが…


家族は、決まってこう聞きます。

娘ちゃん、何描いてるの?

あるいは、
「この黄色いのは何かな?オムライス?」
「カタツムリを描いたのかな?」



彼らに悪気も意図もありません。
興味津々、コミュニケーションとして話しかけているだけです。

ただ「何描いてるの?」「これは○○?」何気ない一言が、子供に「絵を描くこと」に対する固定概念を植え付ける可能性があると発見したんです。

「絵は、具体イメージがある対象を描くものだ」という大人の固定概念を。


我々大人は、「何が描いてあるか」を無意識に探しませんか?対象が明確で写実的なほど「いい絵だ」と納得します。

何が描かれているかわからない絵は「なんだ?これ??」「抽象画はわからないなあ」と片付けがちでは?


見比べてみてください。どちらも超有名な絵です。

▽ミレーの「落穂拾い」

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▽ジャクソン・ポロック

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私も「13歳からのアート思考」を読むまでは、具体的・写実的な絵を評価していたクチだったので自戒を込めて。


4歳の絵に話を戻します。

娘は『対象物を具体的にイメージしてから描く』わけではありません。
「オムライスを描こうと思って⇒形をイメージして⇒手を動かした」、こうではない。
描いたものが結果的にオムライスに見えることもありますが、それは結果論で意図して描かれたものではありません。


娘は自由に、思うままにひたすら手を動かし、
できた線や色合いを起点に、またイメージを膨らませます。


実際、「これは何?」と尋ねられた時の返答が「これはねー…、うーんと、≠〇§¨〈\@%;だよ!」と意味をなさないことも。


これは娘が正しいと思うのです。
本当の意味での「子供の自由な発想」はこれではないか。
自由ゆえに、イメージに名前も付かないんです。


「子どもの自由な発想」とされているものの多くは、「大人が『子どもにはこうあってほしい』と期待する範疇での子どもらしい表現」ではないかと感じます。

「オムライス」を黄色いクレヨンで描くのが子どもらしい?大人はオムライスを唐突に画用紙に描いたりはしないから?


たぶん、違います。


子どもが大人が解釈に困るような絵を描いている時こそ、本当の意味で自由な発想がさく裂している瞬間ではないかと思うのです。


そこで「何を描いているの?」そんな野暮なことを聞かないように。
子供に「イメージ先行で描くものだ」という不要な固定概念を植え付けてはいけません。


ただただ、子どもが描くのを見守り、共に楽しむ

それが子どもの「アート思考」を育てるコツだと思います。


今日はそんなところです。

▽補足▽
「何描いてるの?」と声をかけていいケースもあるという記事はこちら。子育てはケースバイケースだから悩ましいですね。




一緒に楽しみながら高め合える方と沢山繋がりたいと思っています!もしよろしければ感想をコメントしていただけると、とっても嬉しいです。それだけで十分です!コメントには必ずお返事します。