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やりすぎちゃう問題

こんにちわ

先日お友達と休日何してる~?という会話をしていた時のこと。
彼女は、キックボクシング、筋トレジム、フィールサイクル、でガンガン動くことをするらしく。
死にそうになるくらい心拍数があがったり、筋肉がパンパンになるのがとにかく好きなのだそうです。

一方、マラソン大会が無いことを第一条件に高校を選択したほど、心拍数をあげることへの拒否反応の強い私からすると

ゼンゼンワカラナイ!!!!
リカイフノウ!

だけど、ふと、気付いたんですね。

肉体酷使への欲求はないけれど
脳酷使への欲求なら、似たようなとこがあるかもしれないと。
簡単にいうと、馬鹿みたいにマルチタスクを抱えて頭フル回転してる時は充実感があるんですよね。
まあ最中はただの苦しみなんですけど、成し遂げたあとの達成感は計り知れない。

やりすぎちゃってエネルギーをたくさん要する状況、
過剰さ(無さすぎることも含めて)みたいなものは、
生きてる実感が感じられたり
自分の存在感が強調されたりする。
そこへの欲求はきっと多くの人がもってる。

やりすぎちゃう。と言えば
ピラティスの動きでも、無理して力をいれてしまうこと、よくあるんですね。これも同じ欲求からくるものなのかもしれません。

やってる時にはやりすぎてることに気付かない。
無理を自覚していない人は、無理して生じたそれをできてる感覚だと認知する。
骨盤底筋を使う感覚、尾骨と頭頂を遠ざける感覚、などなど、それを感じようとするがあまりにやりすぎてしまって、本来の動きが失われるみたいなこと、よくあります。
でも本人は自信満々だから、やりすぎを削ぎ落とすのはとても大変です。

逆もある。

無理を求めるがゆえに、それが無いと出来てないって思ってしまう。
難しい、自分はできないって。


【過剰さ】に身を預けて
無理して頑張ることが必要な場面はあるけれど

【過剰さ】を基準に己を判断することをやめる日は大切だよなぁと思ったのでした。
そして【過剰さ】を自覚できることが大事。

からだの深い内側を探求する作業は、過剰さを手放す作業。
無理していたことを自覚する作業。
無理をしなさすぎていたことを自覚する人もいるかも。
いずれにせよ、玉ねぎの皮を剥くように、自分の奥底にある本当の欲求に出会う作業。

とはいえ、楽チンゆるゆる体操ではなく、強さも要するのがピラティス。
自身の欲求を実現していく、そんなパワーややり抜く粘り強さ、持久力、これもあれば便利。

どこかしらで苦しいとこに直面するのがピラティスで、そこを超えられると、きっとすごく拓ける。
そこに寄り添いたいです♪

今日も全てに感謝です♡







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