自分以外のキャラになれない病気

私は自分のデフォルトのキャラ以外が出来ない。
恥ずかしくなってしまうからだ。
周りのみんなのように、真面目な場で真面目に話すこともできないし、2次会のカラオケで馬鹿になってはしゃぐことも出来ない。

お昼ご飯を食べながら、そこそこ真面目に何かを語り、5-10分に一回、少しだけちょける。このキャラ以外ができないのだ。

例えば、
上司との数ヶ月に一度の面談で、真面目に将来を語られたりすると、ニヤニヤしながら「どうしたんすか、急に」などと言わずにはいられない。
2次会のカラオケで、半裸になって合いの手を入れる先輩に、「いや何してんすか、セクハラっすよ」と言わずにはいられない。
振り返れば面接で、将来のやりたいことを聞かれて、「いや、まぁ、そんな考えてないんですけどー」と前置きを入れずにはいられなかった。

どうしてだろうか、と考えていたんだけど、
そもそも逆に、みんなはどうしてこれが出来るんだろう。
いつ出来るようになったんだろう、と思うようになった。

この話を友人としていて、腑に落ちたのが、「少年期のコミュニティ所属経験」だ。
少年期に、自分のことを誰も知らないコミュニティに入ると、自ずとそれまでとは違うキャラをあてがわれることになる。そのことによって、学習していった、と言う経緯だ。
振り返ると、僕が所属したコミュニティはスイミングスクールと塾と学校の3つ。

まず初めに入ったのが、スイミングスクール。
だけどそこには姉が既に参加していた。
で、後から入った僕は、1番身近な存在である姉からの目線を気にして、家とほぼ同じキャラを貫いてしまった。「お前家と全然ちゃうやんけ」と言われるのが恥ずかしすぎたからだ。

次に塾に入った。
だけどそこにはスイミングスクールの友達がいた。

同じ流れだ。

自分のことを誰も知らない世界に入ったのは、思い返せば、幼稚園だけだった。

自意識が芽生えて以降に、自分のことを誰も知らない環境で、自分以外のキャラになった経験が全くないのだ。

それは当然、自分以外のキャラにはなれない。

子育てをしている親には伝えてあげたい。
・兄弟は別の習い事をさせること。
・出来れば、誰も知らないコミュニティに入れてあげること。
は社会性を育む上でとても重要だと。

まぁ誰も読んでないだろうけども。


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