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徒然エッセイ│【恋人】の意味について考える

 恋人である意味って何だろう。お互いを好きでいられるなら、恋人じゃなくたって構わない。そんな名前がなくたって、好きだという事実は一ミリも変わらない。どんな関係性でも、私たちは愛し合うことができる、触れ合うことができる、一緒にいることができる。むしろ「恋人」としてふるまう必要がない分、ありのままの「好き」を守り抜くことができるはずだと思う。

 高校生の頃、恋人という言葉が燦然と輝いていた。とろけてしまいそうなほど甘い響きをもって。部活終わり、ロッカーの前で待っている、その人の手をとって日の落ちた帰り道を並んで歩く。背伸びした服で出かけて、おしゃれなカフェでお話をする。人のまばらな駅のホームで隠れてキスをする。それは紛れもなく、恋人同士だけに許された特別な時間だった。何にも変えることのできないものでした。

 それから、よくも悪くも私たちは大人になった。恋人じゃなくても手をつないだり、キスをしたりするようになった。二人きりのデートだって、あの頃みたいに特別なものではなくなった。あの頃と変わらない楽しさだってある、ドキドキだってする。ただ、必ずしも恋人と言う名前を使う必要がなくなっただけ。だからますますわからなくなる。どうして私たちは恋人と言う関係になりたいと願ってしまうのだろう。

 明日も好きでいられる保証なんてどこにもないけれど、そんなことどうでもよかった。明日のことなんて考えもしなかった、あの頃。目の前に広がる、色づいた今が、私たちの全てだった。そんな風に生き続けることができたならと、思い出してはうらやましくなる。大人になるのは寂しいことだ。

 明日のこと、来月のこと、来年のこと、もっと先はどうなるのだろう。歳を重ねるごとに、未来のことが不安になる。恋人になったとしても、明日も好きでいてもらえる自信も、好きでいる自信もない。またつらい想いをするくらいなら、恋人になんてならなくてもいいと自分に言い聞かせると、胸の内側がちくりと痛んだ。

 「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」。ブライダル雑誌に掲載されていたコピーの言葉。なんだかいいなと思って、ずっと覚えている。今になってその意味がようやく分かったように思います。きっと結婚だけじゃないのだと思う。恋人だとか、友達だとか、関係性に名前を付けなくてもよい時代。私たちはそれでも、確かな名前を求めている。それは時に私たちを枠組みの中に押し込めてしまう。その名前に縛られて、息が苦しいこともある。でも同時にそれは愛しい約束になると思う。

 ずっと好きでいると約束しても、その言葉を守り抜く保証なんてどこにもない。指切りげんまん、一生に一度のお願い。私たちの約束はいつも拙い。大人になって嘘をつくのが上手になった。でも同じくらい嘘を信じることが上手になった。誰かの恋人になると決めたとき、私たちは言葉のない約束を交わすのだと思う。後悔なんて知らない顔で、多くの可能性を捨てて、たった一つを選びます。好きだという言葉を信じて抱きしめます。たとえいつか終わりが来るかもしれないとしても。それは凛として、雨音のように穏やかに、私たちの中を流れていく。そんな素晴らしい名前の意味に気付いた時、たまらなく愛しく思えました。

 関係性に名前を付けなくてもよいこの時代に、私は、確かな名前を付けたいと思う。そうして交わした約束達が、私たちをかたちづくっていくのだと、信じていますす。


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