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1 苦しさの正体_この苦しさから解放されるのか?

今この記事を読むに至ったあなたは、きっと誰かとの死別に苦しみ、この苦しみとともに一生を生きるのだろうと思っていることでしょう。


深い、苦しいほどの悲しみ。
そして罪悪感…。


それがいかなる死であろうと、
どのような間柄の人であろうと、
あなたはそこに罪悪感を感じているのではないでしょうか。


あるいは、あなたは頭では理解できているのかもしれません。

自分のせいではない。
どうにかできる状況ではなかった。
精一杯のことをしてきた。


頭では理解できていてもどうにもできない、心に感じる激しい痛み。
心に大きなナマリの塊が打ち込まれたかのような、重く、冷たく、絶望的な痛み。


「いつかこの胸の痛みから解放されることがあるのだろうか?この痛みとともに一生を生きるのだろうか…?」
私自身が死別による深い苦しみを経験した際に最初に持った疑問。


あなたも同じように感じ、その痛みに対し絶望的な気持ちでいるのではないですか?


苦しみから解放された今、はっきりと言うことができます。
いつかあなたはその苦しみから自らを解放することができます。
もしもあなたがその苦しみから解放されたいと心から願うなら、必ず解放されます。


英語にはGriefという、「深い悲しみ」を意味する言葉があります。
日本語には、「悲傷_痛みを伴う悲しみ」など、その様子を説明する言葉はあっても、その悲しみの程度を説明する言葉がありません。


大切な人を亡くして間もなく、何事もなかったように日常を強いられるなど、日本ではその人の痛みに触れることをしてはいけないという風潮があるように思います。

そして、その痛みに耐え、心の奥深くにしまいこんでしまうという方法でやり過ごすのが常となっているのかもしれません。

この忍耐強さゆえに「深い悲しみ」を意味する言葉がないのかもしれません。


けれども、今、死別に苦しんでいるあなたははっきりと分かっていることと思います。
「悲しみ」とは違う「深い悲しみ_Grief」という別の感情があることを。


「Grief_深い悲しみ」とはどのような感情でしょうか。
それは、「悲しみ」と共に「罪悪感」があることなのだと思います。


あの時、そばにいてあげられたなら…。
もっと優しくしてあげれば良かった…。
あれが最後と分かっていたならあんなにひどい口の聞き方をしなかったのに…。


苦しかったのではなかろうか…。
寂しかったのではなかろうか…。
悲しかったのではなかろうか…。
やり残したことがあったのでは…。

できることなら変わってあげたかった…。


様々な思いがあることでしょう。
そして、その思いを持つ時、あなたは心に「罪悪感」という痛みを感じていることでしょう。


今、あなたが苦しいのは、
この悲しみが「Grief_深い悲しみ」だからであり、
頭で理解したからといって取り去ることのできない「罪悪感」という痛みが心にあるからです。


苦しみの正体がわかったところで、心の痛みは消えないでしょう。

それでもひとつ知っておいてほしいことがあります。

死別に苦しんでいるあなたのような人が、その痛みから解放されるよう、癒されるよう、心から願っている人が世界中にいます。

少なくとも似た苦しみを経験し、解放された私はいつかあなたが癒され、楽になれることを心から願っています。
その願いから、私がたどった道と、少しでも楽に考えられる方法を綴っていこうとこのブログを始めました。


今は激しい心の痛みに苦しんでいるあなたが少しずつ癒されるために、そのお手伝いができるよう、切に願います…。

日々の気づきを大切にし、それをできるだけ多くの方とシェアできたら嬉しいと思っています。サポートしていただけるととても励みになります。