見出し画像

-映画紹介-『異人たちとの夏』 あの日、ぼくは28年前に死に別れた父さんと母さんに会ったんだ!

《乱れ撃ちシネnote vol.156》

『異人たちとの夏』 大林宣彦監督 1988年日本

鑑賞日:2022年03月05日

【Introduction】
数多くの名作ドラマを生み出した脚本家の山田太一が11月29日老衰のため神奈川県川崎市の施設で亡くなった。
享年89歳。

ぼくはTVドラマを熱心に見てないので山田太一の代表作といわれる「岸辺のアルバム」(1977)や「ふぞろいの林檎たち」(1983)も断片的にしか見ていない。

ただし、もし生前山田さんにお会いすることが出来たら一つだけお聞きしたいことがあった。
鶴太郎はやっぱり駄目でしたか?

小説「異人たちとの夏」(1988)で山田太一は山本周五郎賞を受賞している。
その作品を映画化したのは大林宣彦監督。

大林監督は大学生の時に初めて「EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(16ミリ)を新宿蠍座で観て涙を流して以来大好きな監督だ。
「EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ」は分けがわからないけれど面白かった。日本にもこんなに映画を愛している監督がいるんだと嬉しくなって涙が出た。

蠍座は芸術映画を公開していたアートシアター新宿文化の地下にあった小さな映画館。

1960年代。
今や死語になってしまったアヴァンギャルド文化が新宿から吹き出ていた。
コンクリ打ちっぱなしの狭い空間に数十席の簡易椅子が備え付けられた「新宿蠍座」もアヴァンギャルドの発信基地で当時ワケも分からず興味本位で前衛映画を観に通った映画館の一つだ。

同じ頃には青山の草月会館の草月シネマテークの会員になりアンディ・ウォーホールやらケネス・アンガーやら金坂健二やらソビエト、東欧の前衛映画、実験映画を観に通っていた。
面白い映画とは巡り会えなかったけれど凄い映画をたくさん観ることが出来た。多くの作品は「これも映画なの?」だった。
なにしろ実験映画だからね。

2020年4月に亡くなった大林監督は黒澤明監督と並んで我が最愛の映画監督だ。
もっとも、映画監督と呼ばれるのを嫌った大林監督は自らを「ぼくは個人映像作家です」と語っている。
『異人たちとの夏』は大林監督の傑作の一本だ。

原作は読んでない。浅草出身で両親が浅草六区で大衆食堂を経営していた山田太一が浅草花やしき界隈を舞台に描いた小説だ。

創作にいきづまったシナリオ・ライターが28年前に死に別れた両親と出会いひと夏を過ごす物語。
最初大林監督が頭に描いた主人公の父親の寿司職人のイメージはエノケンだったそうだが大林監督は片岡鶴太郎の江戸弁が気に入ってキャスティングした。
それを聞いた原作者の山田太一は「あんな太ったヤツの寿司は食えない」と反対し、それを聞いた鶴太郎は必死のトレーニングで減量して撮影に間に合わせた。

初めて川崎の映画館でこの作品を観て以来、TV放映で、DVDで、サブスク配信で、何度も何度も観ているこの作品では夫婦愛、恋人との愛、親子の愛、さまざまな愛が語られている。
初めて映画館で見た時にはまだお笑い芸人だった鶴太郎の演技にビックリし、切なさが身に沁みた。
主人公のシナリオライターが風間杜夫、父親が片岡鶴太郎、母親が秋吉久美子
全編に流れるプッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」で歌われる「私のお父さん」が切なさを盛り上げる。

鶴太郎はこの作品を契機にお笑い芸人からプロボクサーへ、役者へ、書道家へ、ヨガ実践者へと変身していった。

【物語の概要】
壮年の人気シナリオ・ライターの原田(風間杜夫)は妻子と別れてマンションに一人暮らし。
ある晩、同じマンションに住む若いケイ(名取裕子)という女性が飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきて「飲みきれないから一緒に飲みません」と誘うが原田は彼女の誘いを断る。
数日後、原田は幼い頃住んでいた浅草で12歳のときに交通事故死した両親と出会う。
原田は幼い頃に死に別れた両親の住む二階建ての古臭い木造アパートへ通い出す。
「ほらほらこんな暑いんだからランニンをお脱ぎ、洗濯するから」
「おいおい、飯をこぼすんじゃねえよ」
遊びに行くたびに父親(片岡鶴太郎)からも母親(秋吉久美子)からも子供扱いされ色々注意され心地よく甘えられた。
死んだ両親との甘く懐かしい日々と魅力的なケイと過ごす日々。

この後物語は思わぬ展開にシフトしていきます。

親子水入らずで浅草の今半別館ですき焼きを食べるラストシーンは何度観ても切なくて涙を誘います。

【Trivia & Topics】
*原作について。
『異人たちとの夏』は第一回山本周五郎賞を受賞した山田太一の小説。
40歳の主人公が12歳の時に死別した34歳の父と32歳の母と巡り合うファンタジーです。

*絶妙なキャスティング。
「あんな太ったヤツの寿司は食えない」と言われた片岡鶴太郎、
出演を依頼されたとき「何でアタシがこんな役を演るのよ」と口にした秋吉久美子、
『蒲田行進曲』で脚光を浴びた風間杜夫。
この3人の絶妙なアンサンブルが創り上げた見事な作品です。
この頃から鶴太郎は徐々にお笑いの世界から距離を置くようになりました。

*第12回日本アカデミー賞の記録。
・優秀作品賞
・最優秀脚本賞
・優秀監督賞:大林宣彦
・優秀主演男優賞:風間杜夫
・最優秀助演男優賞・片岡鶴太郎
・優秀助演女優賞:秋吉久美子、名取裕子
・優秀撮影賞:阪本善尚
・優秀照明賞:佐久間丈彦
・優秀美術賞:薩谷和夫
・優秀録音賞:小尾幸魚
・優秀編集賞:太田和夫

大好きな大林監督の6作品。
・「EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ」[16ミリ](1966)

・「HOUSE」(1977年)

・「転校生」(1982年)

・「時をかける少女」(1983年)

・「異人たちとの夏」(1988年)

・『野のなななのか』(2014)

【5 star rating】
☆☆☆☆

(☆印の意味)
☆☆☆☆☆:超お勧めです。
☆☆☆☆:お勧めです。
☆☆☆:楽しめます。
☆☆:駄目でした。
☆:途中下車しました。

【reputation】
Filmarks:☆☆☆★(3.7)

u-next :☆☆☆☆★


本作品は現在u-nextとAmazon Prime Videoで定額見放題です。



電子書籍「きっかけ屋アナーキー伝:昭和♥平成企画屋稼業♥ジャズもロックも本も映画も」を販売しています。
Kindle Unlimitedでもお読み頂けます👇



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?