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綺麗な日本語って、なんとなく。

「綺麗な日本語」と聞いて、何を思い浮かべるだろう。きっと人によって定義が異なるのがこの言葉の難しい所だと思う。

きっと誰かは「語感」が美しいものを指すし、きっと誰かは「語呂」が良いことを指す。きっと誰かは「言葉遣い」を指すし、きっと誰かは漠然としたイメージだけを指すだろう。なんとなく、そう思った…みたいな。

この『なんとなく』と言う言葉だってそうだ。…大多数の人は「いや別にこの言葉は綺麗な日本語ではないだろう」と考えられるのではないだろうか。

『なんとなく』は意味としては『どうしてだかわからないが』『どことなく』言うような意味を持っている。意味さえもかなり曖昧なのがこの『なんとなく』と言う言葉だと思う。

しかし、『なんとなく』を実際に遣うときのことを考えてみて欲しい。何か伴うものがないだろうか。私はその伴うものは『感情』と『思考』だと思っている。「なんとなくそう思った」「なんとなく違う気がする」「なんとなく食べたい」など、不確定であるこれは所謂『かもしれない』と言う思考と感情で出来ていると思う。

とある人が書いていた。この『なんとなく』という言葉には大きな役割がある、と。それがこちら。

「なんとなく」とは、あなたのマインドであり、心の声。
誰かに、何かにマインドコントロールされるのではなく、自分自身が心の声に耳を傾けて、それを感じ取ってあげること。
その答えがきっと「なんとなく」。

直感的、思考停止、欲求。全てに当てはまるのである。こう考えると、『なんとなく』という言葉も随分奥深い様に感じるし、「心の声」と言う名の甘いだけの液体をやんわりゆっくりゼリーに変えていくまでの途中経過の様な、優しい言葉の様に聞こえてくる。なんとなく、そう思うだけ。

時にこの言葉は何の意味も持たないのだろう。「何と無く」と書くこともあるのだから、無くても良いのかもしれない。ただほんの少しだけ、自分の気持ちを後押ししてあげる柔らかい言葉なのだろうな…と私は思っている。

綺麗な日本語って何なんだろう。きっと誰にも答えは出せないんじゃないだろうか。だって、誰もが同じ答えにはならない。この『なんとなく』と同じように。

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