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「何もない」なんて、嘘。

私には何も無い。そう思っていたからこそ、必死に探した。いや、探すんじゃない。今から作ればいい。そう思って、今を生きている。

先日もご紹介した執事の館・準備委員会の松原さんから発信される電書鳩(メールマガジン)。今日もそちらを拝借しお話をしたいと思う。今回は「第629号:難なくできること。」をお借りする。

(文面抜粋:全文はnote最下部にて)
ところでお嬢様、旦那様は、「何事も満遍なくこなせる人」か「突出して何かに秀でる人」の2者でいえば、どちらに該当なさいますでしょうか?料理に限らずご趣味やお仕事などの分野に広げて考えてみましょう。
前者は突出して秀でない代わりに落ち度もない。後者は誰にも負けない才能があるけれど、落ち度がある。

概していえば「何事も満遍なくこなせる人」の方が、他者に迷惑を掛けることが少ないかもしれませんが、それを維持する為には落ち度を無くす努力が必要です。
苦手な部分を克服し続けるため労力を割くものの、周囲からは「出来て当然」と思われやすいために葛藤しがち。ストレスを抱えやすいタイプとも申せます。

いっぽう「突出して何かに秀でる人」は、ある局面において目覚ましい活躍をするものの、苦手な分野はまったく駄目になって足を引っ張ることもございます。迷惑を掛けている自覚があると罪悪感が芽生えて、本来の良さが見失われることもございましょう。実はこちらも、ストレスを抱えやすいタイプと申せます。

実は「何事も満遍なくこなせる人」も「突出して何かに秀でる人」も、何らかのかたちで葛藤をしていて、自分とは真逆のタイプのひとを見ては羨やんだり、憧れたり、ときには嫉妬のような感情を抱くものです。
どちらが正しいか、間違っているか追究する意味はありませんが、お嬢様、旦那様はどちらを好まれますか?

これについて、Twitter上では数多くのお嬢様、旦那様方より「自分はどちらにも当てはまらない」と言う声が上がった。かく言う私も悩んだ末に答えを出した身なので、未だに「何も無いな」と思ってはいる。

これには恐らく理由があるだろう。あまりにも当たり前になんでも出来てしまう人が多い。そしてその当たり前に出来てしまう事を更に上回る技術で出来る人が「Twitter上に」多いのである。

素晴らしく手先が器用な造形の技術を持っている。編み物の才能が有って少し変わった編み方を得意としている。創作料理やアイデアで一風変わった飾りつけを得意とする人。絵が上手な人。歌が上手い人。見た目が綺麗な人。とにもかくにもどの分野においても、群を抜いた人と言うのは存在している。しかしよくよく考えて見てほしいのだが、それらはもしや「プロ」ではないだろうか。

その分野で食べていく事を生業としている人間と自分を比べて何の意味があるのだろうか。だって、彼らは「食べていく為に極めた」のである。それはある意味、前述の「突出して何かに秀でる人」と言えるだろう。それと極々普通の人間である自分を比較して卑下する理由はあるだろうか。

比較対象なんて本来ならば居なくてもいい。自分より勝っている人を見て、「自分には出来ない」と思うのか「自分もあのくらい出来る様になりたい」と思うのか…その程度で良いと思っている。

物凄く悪い言い方だが、「何事も満遍なくこなせる人」と言うのは「器用貧乏」の事であり、「突出して何かに秀でる人」と言うのは「アマチュア以上プロ未満」という事に過ぎない。ちょっと人より出来るだけ。ちょっと人より続けているだけ。それだけなのだ。ちなみにこの上はもう職業の世界なので、考慮してはならない。前述の「プロとの比較」に話が戻ってしまう。

私もかれこれ丸4ヶ月、毎日この「note」を更新するという事を続けている。毎日更新するというのは度々思うが骨が折れるし、書く時間がなければ本当に「どうしよう」と困るものだ。でも、続けることをやめてしまった人達よりは「続けられる努力」をしたと言う意味で、自分を評価しても良いと思っている。…Twitterももう11年やってるしね。

とは言え、私自身も日常生活では「何事も満遍なく出来る人」に分類されがちであり、「出来て当たり前」を強いられてきた。だからこそ「何も無い」と思い続けてきた。勝手に「できる」と期待され、出来なければ勝手に「失望」される。私はそんな万能じゃないよ、と何度心の中で泣き叫んだかわかったものじゃない。そんな私の劣等感を拭い去る為に、無理やりにでもひとつ突出した何かを作るしかない。そう思ってnote更新を始めたのだ。

(略)
「欠点の過大評価」でございます。お嬢様、旦那様がご自身にとって不得意な事柄を考えるとき、それを必要以上に大きく捉えている可能性が十二分にございます。もしかすると欠点と思っていることが、他のひとにとっては大した問題でないかもしれないのです。そこを気にしすぎるのは、勿体ないことです。

この「欠点の過大評価」と言うのは往々にして「謙虚」を重要視する日本人にこそよくあることだ。「自分はそこまで凄くない」「自分には何もない」なんて、本気でそう思っているのか?何事も満遍なくこなせる事も、何かに突出している事も、本当に無いと?
松原さんは絶対にこんなこと言わないだろう。だから私が言おうと思う。

その考えをさっさと捨てろ。自分を卑下する事、他の誰かと比較することがまず馬鹿馬鹿しい。貴方は貴方だろう。貴方は他の誰かの成り代わりだとでも言うのか?誰かより劣る自分を愛しているのか?自分に自信が持てないのは、自信を持つことを恥じているだけではないのか?待っていても何も得られない。だったら掴みに行け。「絵」か?「掃除」か?「スポーツ」か?「優しさ」か?「誰かのファンでいること」か?それは何だって良い筈だ。
掴もうと狙った「それ」こそが、他の誰でもない貴方が一番秀でているものなのだから。

そして「貴方の秀でている部分」を愛している人がいることを、絶対に忘れてはいけない。


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