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「病気」だと認識することの重要性

「喘息」と診断され早2週間。ハッキリした病名がわかることがこんなに楽か、と感じ始めていた。何が楽って、そう、メンタル。

今までは「気管支が弱い」としか言われてきておらず、風邪で喉を潰す度に実家近所の掛かりつけのお医者さんにも「みずほさんは小さい頃からそうだからね…」と言われるに過ぎなかった。今思うとこの時点でさっさと呼吸器内科を探すべきだったのだが。

とは言えその程度の認識しか持っていなかったこの身、来る日も来る日も咳止め薬とのど飴がお友達。ただただ「どうせ気管支が荒れているだけ」程度にしか思っていなかったことが自分の甘ったれな部分であろう。自分の体だぞ、ちゃんと見てやれよ。

月初の1週間は本当に今までにないほどに咳き込んで、それでも体が風邪ほどに怠いという訳でもなく、まさに「未知の領域」体験状態だった。…あんまり嬉しくないんだけど。だからこそ病名が付いたという事実が、ショックであった反面、「あぁ、これちゃんとした病気だったんだ」とようやく落ち着いた気がした。

何においてもそうだが、「原因不明」と戦うことほど怖いものは無いと思う。理由がわかっていて、原因が判明していて、戦う方法もあるという現状のなんと素晴らしいことか。無意味な咳止めとはおさらばだー!ただし一生ものの病気であることも事実なのだが!…嬉しくないけど、ただただ安堵感があったのも確かだ。

毎日同じ時間に薬を服薬するという習慣が必要になった。生きていく為ならば仕方あるまい、と今日も吸入薬を手にする。大した負担ではなかった。「これさえあれば辛くはならない」と言う理由だけが続ける気持ちになった。…なんかこう書くと危ない薬みたいだけど、喘息のお薬の話ですよ。

今は徐々に症状も落ち着いてきてはいる。ただ生活によって悪化の可能性も十分にあるのだそうだ。…病気だからな。それは知ってた。

仕事の都合もあるので当分定時退社チャレンジはそうそう出来そうにないが、それでも長時間の残業だけは避けねばならない。悪化してそもそも人として使い物にならなくなったら本末転倒だ。

忙しい時期に限って体調を崩す辺り、もはや天命か何かかと疑ってしまうが、そういう生き方をする人間として生まれてきたのだろうな…。今後益々自分の体との付き合い方を考えなくてはならない。見た目は健常者でもそうじゃないって宣告されたばかりだからな…。情けないとは思わないが、ただただ悲しいな…あはは。

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