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「読者は5年で入れ代わるもの」

尾田栄一郎さん作のONE PIECEが1000話を突破した。23年の月日を経て、とうとうこの領域へ。私が今年で32歳になる。…確かに、子供の頃からこの作品を知っている。大人になってもまだ、この作品が続いているというのはひとつの奇跡であり、私の軌跡にもなっている気がする。

尾田先生は1000話達成の直筆コメントの中でこんなことをおっしゃられた。

読者にも忙しい人生があり、「読者は5年で入れ代わるもの」それが長期エンタメのセオリーです。だから僕は読者をあまりファンと呼ばないようにしてました。いつか去っていく人達だと言い聞かせていたからです。「おごるな」と。

彼ほどの偉業を成しえる御方でも、こんな姿勢で書き続けておられたということに何よりも驚いた。一見するととてもドライな考え方の様な気がする。確かに流行があって…と言うものだから、飽きが来る人も一定数いるかもしれない。だから、いなくなってしまったときに、寂しいと思わないように…なんだろうか、真意は彼のみぞ知るところではあるが、「いなくなるのが当たり前」の精神で続けられるって、強メンタル過ぎやしませんか。ちなみに、この話のあとに「その考えが恥ずかしくなるほどに…」と続けてらっしゃる。あ、やっと振り向いてくれたんですねせんせ~(すぐペンラ振るオタク)

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さて、自分のnoteをここで比較対象に持ってくるのはずいぶん烏滸がましいことではあるけど、彼の言葉を見て改めて振り返りたいと思った。

毎日noteを始めてからまだ丸2年経ってない。フォロワーさんも始めた当初と比べれば勿論増えてはいる。とは言え(私も他の人のこと言えないけど)そのフォロワーさんたちがどれだけ私のnoteに毎日目を通してくれてるかなんて知る由もない。もしかしたらフォローだけして、全然読んだことないですって人もいるかもしれない。それを咎めるつもりは全然無いし、逆にいつも読んでくれてる人がいることも知っている。

今、読んでくれている人たちが5年先も変わらずそこにいてくれるのか、と言うのは正直曖昧な話だと思う。Twitterを11年やっているけど、11年前から繋がっていた上に今もまだ現役で稼働しているアカウントがどの程度いるか、と考えたら、たぶん片手で足りるだろうし、もっと言えばそのアカウントたちが私のツイートを見える状態にしてるかどうかだって怪しいもんだ。

まともに読まれもしないし、埋もれ続ける私の言葉を拾ってくれるのは11年前から繋がってる誰かじゃなくて、ここ数年で繋がった人たちばかり。私のTwitterもnoteも「長期エンタメ」ではないけども、同じことが言える。これがすごい、かっこいい、面白い、楽しい、美しい。そう言って私の言葉に喜んでくれるのは最近出逢った人ばかりだ。


私は彼ほど「ドライ」でいられるだろうか。今、私の作品を待ってくれている人も、私のTwitterにいいねしてくれる人も、私のnoteにいつもスキをくれる人達も、いつかいなくなってしまったとして、私は自分に「おごるな」と言えるだろうか。迷わず、歩み続けられるだろうか。一個人であっても、「誰か」が離れていく未来は有り得る。

考えただけで、胸にぽっかりと穴が開きそうだ。私には到底、その域に立てそうにない。でも、いつか来るその日の為に、今の内に言っておこう。


おごるな、自分。



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