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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#158

27 鹿鳴館(4)

 その後は、馨の考え通り進んだ。花房公使は京城に一時帰任し事態を確認した後、下関に到着した。馨も特派全権大使として下関に向かった。
「花房君、報告書は読んだ。軍の改革で、新式の軍制を用いた部隊と旧式の部隊で待遇に差が生じたと。その不満を使って、クーデターのようなものが起きた。そういうことじゃな」
「そうです。改革を進めていた王妃の閔氏の一族や、それに協力していたとして我らが、狙われたのです」
「それで、現状はどうなっとる」
「閔氏に対立していた、大院君が主導権を握っています。大院君は…」
「大院君は国王の父だったな。それで、どうなっとるんじゃ」
 馨は落ち着けと、己に言い聞かせるしかなかった。花房が口にするのは、失態であろうことは予想できた。
「大院君は清を引き込み、己の体制維持に強化を図っておりました。清からは李鴻章という実力者の一派が来て、取り仕切っておりました。その後、清が大院君を逮捕し、清にて幽閉されるという事態に」
「それでは、我らの不在につけ込み、清に乗っ取られた、ということではないか」
 完全にやられた。その怒りは一度頂点に上ったが、不思議と冷静にいられた。ここで、冷静さをなくせば、清との戦になりかねない。それだけは絶対にしてはならないのだ。

「いいか、花房君。おぬしに、歩兵一大隊を預ける。それで、朝鮮に居る、我が国民の安全を、図るのじゃ。よいか、この軍は国民の保護のためのものじゃ。その上で、仁川に向かい朝鮮政府と交渉をするのじゃ。今回の事件で、日本が受けた被害についてどう対処するのかとな。これが訓令書じゃ。一応、在朝鮮の我が国民に被害があった場合となかった場合など想定させることは書いてあるはずじゃ」
「はい、今回の始末はこの交渉にて、必ずつけてまいります」
 そうして、花房は歩兵一大隊、軍艦7隻を連れて仁川に向かった。そこで、被害の弁償や日本軍の駐留などを取り決めた、済物浦条約を結ぶことになった。馨はこの結果に、満足をせざるを得なかった。しかし、公使の花房には、これ以上は無理だと考え、代わりに竹添を送った。

 清の朝鮮政府への干渉は、大院君に替わり閔妃を政治の中心にしていた。その上で袁世凱を駐留させ、軍事教練を指導し、親清勢力を作るなど大きくなっていた。これに危機感を持った朝鮮の開化派は、修信使として来日した際に、板垣や後藤象二郎と交流を持ったり、慶應義塾で学び、改革をするための準備をしていた。
 一方で、この事件が明るみになると、外務省の対応が弱腰だとの批判も起きたが、馨が気にすることはしなかった。

 その頃ウィーンに居た博文はシュタインにあっていた。
 ドイツでの憲法や行政についての調査は、思ったよりもはかどらなかった。そこにはドイツ語の壁もあったし、権威主義的な教授の日本人を見下したところも大きかった。このままでは、成果がえられないと考えた博文は、ウィーンに移り、かねてから話題に出ていた人物に教授を頼むことにした。それが、シュタインだった。
 シュタインは英語を使うことができたのも大きかったし、憲法に必要な行政学から指南していた。国の設計図である憲法は、作るだけでは意味がない。国あり方から、憲法や法律の運用まで、様々な知識を得ることができて、博文の研究は進んでいった。ドイツの仕組みを一通り理解できたとして、イギリスを見ておこうと移動していた。

 先年のアメリカ元大統領のグラントの来日をきっかけに、日本への理解が進んでいたアメリカから、一つの提案がされた。馬関戦争の賠償金のアメリカ分78万5千ドルが返還されることになった。
「井上さん、アメリカ公使がお見えです」
「これは、ようこそお越し頂きました」
「先年来のお約束がようやく果たすことができうれしいことです」
「我が国こそ、貴国にこうしてお認めいただくことができ、うれしいことです」
「できれば、この金は教育の充実のため使っていただけるとうれしいです」
 その約束は果たせなかったが、産業の振興のため使われることになった。外務省としては、今まで行ってきた、賓客への対応が一応の成果を見せたものと、自信を持つことができた。外交の成果の一つだった。

 また一つ西洋を取り入れたものとして、叙勲制度が運用されることになった。まず手始めに、維新に貢献のあった人たちへの叙勲が進められていた。そして叙勲した人々への伝達もされていた。馨が使者として伝達したのが山岡鉄舟だった。
「よりによって井上さんかい」
「はぁ、どうも、僕が勝さんたちの集まりに、顔を出しているのを知られていたようで」
「まぁ、維新への貢献だなどど言っても、お前さんのように今勲章つけて反り返っている連中は、西郷、木戸、大久保といった人たちが、やっていたことについていっただけじゃないか。そんな連中のほうが幅を利かせているのはなんなんだい」
「あの、僕は木戸さんと一応一緒に」
「そうだったね。勝さんから長州との戦の始末のことを聞いたことがあった」
「とりあえず、お役目なので、これをお受け取りください」
 そういって勲章と、なんとか手に入れた贈り物を置いて後にした。

 全く面倒くさい人物相手に、まわされたものだと思った。受け取る、受け取らないは、好きにしてくれといえば良かったか。それにしても、維新の頃とはの。ずいぶん昔のような気がしていた。あの頃一緒に活動をしていた、木戸さんも、高杉も、広沢さんも、御堀も今はいない。

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