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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#157

 

27 鹿鳴館 (4)

 外交は外務卿に一任されている。かといって、話をする相手、博文の不在が馨の判断にためらいを残していた。そんな時、岩倉公に馨は呼ばれた。

「井上はん、朝鮮についてお聞きしたいのだが。どうも迷ってらっしゃるようですな」
「迷っているとか、そういうわけでは」
 馨は思わず取り繕っていた。決めかねていることは確かなのだが。
「清の動きも気になってなぁ」
「以前と比べれば清の力は弱くなってきております。我が国の存在感を示す時期とも言えます」
「朝鮮を巡って、清と対立するんは、注意深くせんとな。戦はいけませんな」
「それは重々承知しております。山縣とも話し合っております。今後10年は戦をすることのないようやっていく所存です」
「と、すると、方針は定まっておると」
「我が国の影響力を保持しつつも、清との分断を図り、独立した朝鮮政府への道筋を策定していくつもりです。幸いなことに軍制の改革など、手がかりはございます」
「わかりました。くれぐれも、清との戦は避けるのですよ」
 この岩倉との会談で、馨の腹は決まっていった。

 その軍制の改革が綻びを生じたことで、大きな問題を起こしていた。
 突然、吉田清成が外務卿の執務室に入ってきたのだった。
「井上さん、大変なことが起きました」
「大変なこととは何じゃ」
「朝鮮の、日本の公使館が襲撃されました」
「なんじゃと。いつのことかそれで、花房は」
「7月23日のことです。どうにか抜け出して、今はイギリス船に保護され、長崎に到着しました。しかし、軍の指導にあたっていた者などが殺害されたようです」
「朝鮮の軍が、我が国に対して暴動を起こしたということか」
 馨は、落ち着けと己に言い聞かせながら、吉田に尋ねていた。今一番最初にやらねばならぬこととは。
「京城は動けないとして、釜山は大丈夫か」
「釜山からは特別なことは入っておりません」
「釜山との連絡は緊密にするんじゃ。朝鮮に居る日本人の安全をまず図る。それと…」
 馨には東京にいることがまだるっこしく感じた。江華島事件のときに、山縣たちは後方支援で、下関にいたのを思い出した。そうだ、下関に基点をつくろう。
「それと…?」
 吉田も繰り返していた。
「わしは、下関で指揮を執る。吉田君は東京で外務卿代理として、情報の精査と廟議への報告を行って欲しい。そのための起案を大至急頼む」
「わかりました」
「そうじゃ。花房にはすぐに事態の報告書を上げさせろ。釜山が大丈夫なら、反乱自体はそれほどでも無かろう。帰任させて、事態の把握を急がせるんじゃ」
「可能だと思います。すぐさま伝えます」
 そう言うと、吉田は執務室をあとにした。

 残された馨には、落ち着いて事にあたる吉田が頼もしかった。ふっと窓の外を見て、これは長州で対処した脱隊騒動が、朝鮮で再現されたのではないか、という思いも浮かんでいた。そして、三条実美宛に一報を出すことにした。

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