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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#163

28 条約改正への道(2)

 博文が主導していた華族令が交付された。これにより旧来の家柄だけでなく、武功や国に貢献した人物にも爵位が得られることになった。
 馨も博文と一緒に伯爵になった。ちなみに武子の実家岩松家は新田を名乗ることを認められ、一足先に男爵となっていた。これには馨の存在が、後押しをしたとも。

 そんな時、また朝鮮で動きが起きた。また、京城にある公使館が襲われたというのだ。
 大輔の吉田が、外務卿の馨の執務室にやってきた。
「京城で動きがあったようです。先程、清の駐日公使からも話がありました」
 冷静を努めてやっている感じに見えた馨は、受けとめる心の準備をした。
「何があった」
「朝鮮の独立党が政府の転覆を図ろうとしたようです。それに日本から行った壮士たるものが協力したようです」
「日本人も一緒にか。それで、どうなったのか」
「失敗しております。首謀者と言われるものは既に殺害されてます。金玉均は朝鮮から脱出を図って、日本に向かっております」
「それで、何故日本の公使館が襲われたのじゃ」
「それは……」
 吉田は口ごもってしまった。一度息を吐いて、意を決したようで、続けて言った。
「公使の竹添自らも、独立党と連携していたようです」
「なんじゃと。そげなことが認められるはずはなかろう。そのことを知っとるものは他に誰がある」
「それが、明らかになった発端のものがおりまして。福沢諭吉の書生であった、井上角五郎というものが……」
「福沢の弟子が協力しておったと。それでは、時事新報に筒抜けじゃな」
 馨は、その後の言葉を考えねばならなかった。

 冷静になれ。こんな時に打つ手は。何が何でも公使館は被害者であらねば。時事新報には記事を書かせぬことじゃ。

「京城に新聞社は人をおいとったかの」
「流石にそこまでは」
「さすれば、時事新報には口止めをせにゃならんの。そのうえで新聞紙条例を使うか」
 吉田はハッとして言った。
「確かに、外務卿にも指揮権を認めさせてました」
「そうじゃここが使い時だろうな」
「一度その井上角五郎と福沢諭吉の2人を呼び出しますか」
「そうするしかないじゃろ。やつが東京についたら、すぐに呼び出せ。わしが対応する」

 一刻も早くと、新聞紙条例に関する取締りを始めた。外務省だけでは把握は無理なので、内務省にも協力を仰いだ。
 馨は、事態の深刻さを感じていたので、伊藤や内務卿でもある山縣有朋に、事実の確認と調整のため会談をすることにした。福沢らが来る前に済ましておく必要があったのだ。

「忙しい中すまん。事態の把握にも手間取っておるがの。京城の日本公使館が朝鮮の政変に手を貸した。反閔妃側の独立党の政変に加担し、守備に回った清の軍と派遣した我が国の軍が衝突し、負けて公使館は焼かれた。竹添たちは済物浦まで引いているということじゃ」
 馨は事態を手短に説明した。
「それでは、朝鮮では清の影響力が増すのか」
 山縣が改めて確認をしてきた。
「そうならざるを得んだろう。朝鮮の自主独立は日本が唱えるだけとなるかもしれん。清への属国化は明らかになってくるはずじゃ。清は朝鮮の内政にも関与しつつある」
「井上毅が朝鮮の中立化を提案しているが」
 伊藤博文がこれまでの路線の変更をも視野に入れてきた。
「日本と清との関係で言っても、ロシアやイギリスも含めるとなかなか難しいと思うが。あとは清と戦をしておるフランスかの」
「とりあえず、この事態の収束をつけなくてはならんな」
 博文が現実的な話をしてきた。
「国内的には新聞紙条例を使い竹添の関与を隠す。できれば対清の好戦的な記事も押さえたい。金玉均ら独立党の日本への亡命は認めんといけんじゃろ」
「国内の統制は、内務省も一緒に行うつもりだから大丈夫でしょう。基準は外務省で、作って欲しいところじゃが」
 山縣も確認をしてきた。
「あぁそうじゃ。官報を使って、政府発表の情報を流すこともわすれんでくれ」
 馨は民間対策も視野に入れていた。

 そして、一番肝心なことを言ったのは博文だった。
「問題は、対外交渉じゃな。国内対策もある。早く手を打っておきたいの」
「俊輔、そこはまず朝鮮に公使館の保護を図れなかったと責任を取ってもらうつもりじゃ。肝心な清との関係は次の手としたいが」
「対朝鮮と、対清と二段構えにするということか」
「それがええと思う。朝鮮との交渉はわしが行く。清との交渉は俊輔に行ってもらいたい」
「聞多さん、それは薩摩対策でもあるようじゃ」
「たしかに、黒田あたりが出しゃばってきそうだ。俊輔ならばやつは抑えられるじゃろ」
「わかった。僕が仕上げるとするか」
 やっと笑いが出てきた。
「絶対に揺るがせられないのは、清との戦は回避することだな」
「俊輔も、狂介もそこはまず第一で頼む」
「軍の拡大をしようにも金がかかるから仕方がないということですな」
「狂介にそれを言われると、辛いものがあるの。物分りが良すぎて。そうじゃ、なしてわしをさん付けするじゃろうか。わしら三人協力しちゃっていかんにゃあいけんじゃろう」
「そうじゃ狂介、聞多と一緒にやっていかんと」
「たしかにそうじゃ、俊輔、聞多とやっていくのがええの」
「それじゃ、朝鮮からの報告にまず、公使館員が来る。そのあと福沢らの状況説明を受けることになる。よろしく頼む」

 三人で報告を受けて、状況を確認し共通意識を持つことができた。つまり、国内では薩摩の軍人系からの対清開戦の要求をかわし、清の朝鮮撤兵を認めさせる方針を決定していた。

 井上馨が漢城に行き、交渉の相手はあくまでも朝鮮政府とした。このとき清から派遣されていた呉大激とは交渉を回避していた。清の助言を受けていた朝鮮政府と「公使館襲撃」の賠償などを定めた、事件の始末となる漢城条約を結ぶ。

 このころ対清強硬論を唱える時事新報を始めとする新聞対策のため、外務省は交渉に関する情報を流していた。特に伊藤博文が天津で清の李鴻章と会談することに決まると、情報の精査に神経質になっていた。
 また同様に対清政策の上で重要な列強の一つイギリスに対しても、朝鮮についての日本の方針を通告し、駐清公使のパークスに援助の要請をするように工作をしていた。
 それにはもし、イギリスが協力しなければフランスと協定を結ぶことを考えていると、ちらつかせることもした。しかし、条約改正交渉を考えると、あまり強くも出られなかった。
 しかし、朝鮮が空白化すると、ロシアが進出する事を警戒していたイギリスは、清の撤兵問題には色よい返事をしてこなかった。

 清に渡った博文は、清の李鴻章と交渉を始めた。
外務卿井上馨の方針は、
1.事件に関係した将官の処罰 
2.被害者への賠償
3.撤兵 
4.日本と清の衝突回避のための協定締結
ということで、閣議でも決定していた。

 その中でも、特に重視するのは3番の撤兵だった。しかし博文は1番、2番にも色気をしめしていた。
 その結果交渉は決裂の危機を迎え、李鴻章は対日戦争回避のために動き、仲介に入っていたパークスの代わりのイギリス公使オコナーも、事件の調査を申し出て第三者の介入を調整しようとしていた。日本の馨も交渉決裂を避けるよう電文を打っていた。

 その結果まず撤兵問題をまず話し合うということになった。そして、清との妥協点をどうにか見い出し、「一旦撤兵するものの、他国の朝鮮への侵攻や朝鮮の重大事件時の出兵には相互に通告する」ということで決着を見ることになった。

 これによって落ち着いたように見えた朝鮮問題もイギリスによる巨文島占領事件が起き、政策の変更を求められることになった。朝鮮の状況をめぐり、日本と清だけでなく、ロシアとロシアを警戒するイギリスの思惑が交差するようになっていた。日本はロシアとイギリスがぶつかることを、警戒せざるを得なくなるのなら、朝鮮の安定化のために清の影響が及ぶのも仕方がないと考えざるを得なかった。

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