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#36 プリンセスで育てるか、使用人で育てるかの考察


子どもの頃の話だ。


普段叱らない母だったが、私が誰かの気持ちを傷つけるようなこと、失礼なことを言った時には、私は母から猛烈に叱られた。


我が家は祖父が果物の農園をやっていた。父は長男なので同居だったが、一切畑仕事を手伝うということはなかった。そのため、農繁期には母が普段の仕事を休んで手伝っていた。


学校の社会科で、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんによる『三ちゃん農業』というのを教わり、ああ、家はまさしくこれだ~と思ったものだ。


私が中学生くらいの時に、出荷前の選別を手伝いに来てくれている近所の腰の曲がった小さなおばあさんが居た。そのおばあさんが、もう憶えていないが何かの理由で仕事に来れないという話を大人たちがしていた時のことだ。

「〇〇ばあちゃんの仕事ぐらいミズカがしたるわ」と得意になって言った私に、「なんやとぉ?もういっぺん言うてみぃ。ミズカが〇〇ばあちゃんの代わりになると、そんなおこがましいことだけは言うてくれるな」と、叱られて、嘆かれた••••

母は、我が家がいつもその方のお世話になっていながら、生意気な小娘が驕ったことを口走ったことに我慢がならなかったのだろう。

私の母は一貫して、『身の程をわきまえろ』ということを私に教えた。


この出来事と、もうひとつだけ私が今でも思い出されることがある。それはもっと自分が幼かった時のことだ。はっきり憶えていないが、私は小学校の低学年だったと思う。

当時、うちの家計は苦しかったのだろう。散髪代というものが家族全員に掛かっていたら多分やっていけなかったと思う。

ところが、母の姉は嫁ぎ先で家族で理容室をしていた。そして妹家族の経済を知っている姉夫婦が、おそらく子どもの料金を受け取らなかったり、いつも大人のついでに切ってくれたりしたのだと思われる。
もちろんそんな事情は後で聞いたことだから、子どもの私が知るよしはなかった。

その日、母の姉『床屋のおばちゃん』が私の髪を切り終わった時に、私は「こんな頭、嫌や~。こんなみっともない頭、嫌いやぁ~」と大声で泣いた。
その日のカットのなにがどう嫌だったのかまでは憶えていないが、とにかく『こんな頭で世の中には出られない』と嘆いた自分の絶望感は今でも思い出せる。
そしてその時の叔母の困った表情や、母の泣きたい顔が目の前の大鏡に映っている•••• 半端のない『やっちまった感』は子どもながらに持ったものの、私も後に引けない。

母は姉夫婦に平身低頭で謝り、私は怒られた。その場でだったか、帰りの車の中でだったかはもはや憶えていない••••

今にして思えば、あの時の母は今の自分の娘のような歳だった。

私は今日、シャワーの湯気の中であの時のこと、そして母が私に望んだことを考えていた。

生まれながらにしてプリンセスのような境遇がある。そしてプリンセスがいるところには必ず使用人がいる。

私の母は、私に一番でなくてもいいが、『愛され信頼される優れた使用人』となれるよう育てたかったのだと思う。おかしなことではない。身の丈に合わせてベストを尽くすとはそういうことなのだ

だが母の道徳観念は私にも当然の呪縛をもたらしたはずだと思う。
母が間違っていたとは言わない。だけど、私はプリンセスのように育ててほしかったのだと知った


プリンセスが変な髪形になったら大問題だ。


もちろん、髪を切ってくれた人に申し訳ないと感じる気持ちは大事だし、子どもを甘やかして言いなりになるのは違う。でも『プリンセスのきもち』を汲み取ってもらえていたら私は自分の価値を見失わなくて済んだかもしれない。

世界がなんと言おうとミズカは私たちのプリンセスだと言って育ててくれたなら、私の自己肯定感は高かった気がする。

けっして自分の半生を恨めしがっているのではない。ただこんな自分の想いに気づけたことと言葉にできたことが、すごいなと思ったのだ。

シャワーを浴びると、いろんなことが降りてくる••••


私には『なんだか申し訳ないきもち』が常々つきまとう。

そんな時の、友達のこのアドバイスはイカシテタと思う。

「なんでぇ?自分がプリンセスならなんの問題もなし。ほら、私の額にはいつもティアラが載ってる、って思ってればいいねん」 by Yちゃん


めちゃめちゃ教訓になるわ




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