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I want"ed" to see... :『NOPE/ノープ』

※本記事には映画『ゲット・アウト』『アス』『NOPE/ノープ』に関するネタバレが含まれています。ご視聴するつもりで、まだご鑑賞になっておらずネタバレを避けたい方は鑑賞されてからの閲覧を勧めます。

私は汚らわしいものをあなたに投げかけ、あなたを辱め、見世物にする

旧約聖書「ナホム書」3章6節

旧約聖書からの引用文と共にシットコムの中の一幕と思われる、和気あいあいとした会話のシーンが次第に惨劇と化す様子を納めた音声が背景に流れるオープニング。これを皮切りにスクリーンのカーテンが開かれるのがジョーダン・ピール監督作、2022年8月26日(金)日本公開の作品『NOPE/ノープ』である。

映画の撮影に使用される馬の飼育と調教を代々生業とする牧場の一家の長男であるOJはある日、父親が不可解な死を遂げた際に事故現場の空中でかすかにUFOを見かけたのをきっかけに妹のエメラルドと共に”それ”を激写するべく翻弄する。子役時代に経験したトラウマを背負うテーマパーク経営者のジュープもOJ達に接近すると共に彼らの行動に興味を示し始め、同時に”最悪の奇跡”も彼らに襲い掛かる…。

以上から展開される本作が漂わせる不穏で”未知”な雰囲気は上の予告映像からも感じることができるだろう。しかし、この作品が隠し持つ真実を語るのにこれはある種の餌でしかなく、ある瞬間を境に作品のアイデンティティといえる機能を果たす。他にも色んな仕掛けが施されている『NOPE/ノープ』を予習に近しい準備が必要なほどハードルが高い作品として紹介するつもりはないが、ジョーダン監督の作風や映画を観る(=見るのではない)姿勢を以て鑑賞することでその持ち味を最大限に楽しめるのは確かである。

この記事は読んだ方々による本作の鑑賞体験を後天・先天的により良いものにする目的で、編者なりの感想や考察などを紹介していく。本記事をご覧になった方を鑑賞へと導けたなら幸いであり、それが今の自分にできる最大の文化的奉仕活動だと自認している。ていうか普通にもういっぺん観たくなるぐらいこの作品はおもろいし、楽しい。なお、この記事をボリュームの関係から2稿に分けての構成でお送りする


  1. 『NOPE/ノープ』のジャンルとは

  2. ジョーダン監督流第三種接近遭遇

  3. 作品→の→主題(パターン①・①’)


1.『NOPE/ノープ』のジャンルとは

今まで映画作品を鑑賞してきて作品のジャンルを意識したことはあるだろうか?作品を選定する際に一度チェックするか、自分なりに分類する形で考えたことはあったとしても鑑賞後にそのジャンルを細かく振り返ることは少ないだろう。邦画 or 洋画etc…・実写 or アニメ・フィクション or ノンフィクションなど種類分けを始めるとそのカテゴリの多さに卒倒し得るが、その中でも作品の主題をめぐるジャンルは特に多岐に渡り、それぞれの線引きも曖昧であったりする。それは判断基準自体が個人の知識や経験、感性によって形成される以上、一概に”こうである!”と定義することはナンセンスでありむしろ、その違いによって生まれる面白みに価値が見出されているからである。

もちろん調べればそれぞれ定義のようなものが出てくるが、本稿は私の王国であり私がその王である(暴君)。そのため『NOPE/ノープ』のジャンルを考えていく上では編者自身の基準を紹介していきたい。まず、本作の作風から考えられるジャンルは「ホラー・サスペンス・スリラー」の3つであり、いざ判別をしようとするとカテゴリ間の曖昧さや類似性にも気付くことができる。そこで以降の紹介を進めていくために自身なりの定義を以下に示す。

  • ホラー・・・鑑賞者に恐怖を体験させるのがメイン

  • サスペンス・・・緊迫感(⇔緩和感)の体験がメイン

  • スリラー・・・主題・副題等のプロットを描くことがメインであり、      恐怖感などは結果的な演出に過ぎない

異論は大いに認める。ただ、見てもらえばわかる通り以上のジャンルはそれぞれ主とするものが明確に違う。さらに言えば2つは同じ型を持っており、もう1つは異なる型を持っていると言える。

お気に入りの『サスペリア』(2018)
型となるストーリーの世界観が好き。

ホラーとサスペンスはどちらも、ストーリーに登場するキャラクターや舞台などの細かい要素や物語にはあまり重点が置かれていない。そのため有名所のものや高く評価されている作品を見てみても、ストーリー全体が実は端的であったり展開を読めすぎる場合も多々ある。それはストーリーテリングよりも、鑑賞者らによる作品を通しての”体験”のクオリティを向上させる意図によるものである。

ホラーであれば「怖っ/ドキッ/ビクビク」といったリアクションが期待される恐怖の体験。サスペンスなら「ヒヤヒヤ/ドキドキ/緊張感」などのものを企図した緊迫の体験。観る者に与えるこれらの感情を高めるに前者では恐怖の源となるキラー(殺し手)のビジュアルや死の描写、後者では謎解き(画に集中させるため)やアクションなどの要素に力を入れ、よりフィクションによるリアルな体験を追求するのだ。そのためこれは「エンターテインメントとしての映画」の要素が強い型だと言える。

ホラーに限って言えばこの在り方はお化け屋敷のコンセプトと似ている。アトラクションを体験する上で客が求めているのが「恐怖を味わうこと」であるのと同時に、お化け側(メタい)が怖がらせようとしてくる構図が示すように、恐怖の需要と供給の関係があの場では最重視されているのだ。実際、入る前に伝えられた物語や設定を意識しながら屋敷の中を進む人が何人いるだろう?

超推しの『ドラゴンタトゥーの女』(2011)
同名小説が原作。冬場に観た後、外に出て夜景を眺めてみよう。

ホラー・サスペンスとは異なるものとして挙げたスリラーの型では鑑賞体験をあくまでも副次的なものとし、プロットに基づくストーリーや演出の存在に重点を置いている。これは大半の映画作品の制作における定石であり、「芸術としての映画」の側面が色濃く出ている形態と言える。そのため当ジャンルでよく目にするものに「一見すると無意味なカット」や「時系列を無視したシーン」など、鑑賞に際してある種のメタ的要素を介した上での理解を必要とする技法が挙げられる。(※メタ的要素・・・主題やメッセージ、パロディなどの作品内からは知り得ない要素)

しかしスリラー型のものがもはや映画製作のお約束となっていることから、以上の文学性を備えている作品が分別なくホラー・サスペンスのジャンルから一概に排除されるわけではない。むしろ「ホラー寄りのスリラー」や「サスペンス寄りのスリラー」といった分類で、そうとしか判別できない作品にまで目を利かせて多彩な鑑賞活動につなげる事ができる。SF/サイコ/ダーク・ホラーなどという言葉が生まれたのも同じ由縁だろう。

ここまでカテゴリを巡る紹介を続けてしまったが、本題の『NOPE/ノープ』はどのジャンルに分類されるのだろうか。公式の宣伝やその他メディア見る限りホラーと称されるケースが多く、物語の内容とプロットからもそう見なされることに不満はない。しかし満足もない。

人間の手と異形の手を映すこのカット、何を示すかは
鑑賞前後で変わる…。

なぜ編者が満足していないのか。ここまで読んできた人たちの中で、本作を鑑賞済の方であれば大概の察しは付くのではないだろうか。それは本作が2つのプロットで構成されている点において、スリラー型も踏襲しているためである。

後述もするが『NOPE/ノープ』ではOJとエメラルドによるUFO激写をめぐる騒動と、ジュープのトラウマとなったドラマ現場での事故の2つをそれぞれ、ストーリーと主題としての描写に分けて展開している。この構成は正に上述した例に該当するもので、観た人の府にも落ちるのではないだろう。これは現代社会における多方面への皮肉や批判を込めたメッセージを作品に潜ませるジョーダン・ピール監督の常套手段であるのと同時に、鑑賞に見ごたえを与えられるために多くの制作者に用いられる手法である。一筋縄ではいかないスタイルでもあるため「なんか面白かった」という感想だけで終えるパターンからステップアップするのに効果的と言える。

以上2つのジャンルが大体4:6ぐらいの割合で混ぜ合わされていることから、『NOPE/ノープ』は「ホラー寄りのスリラー」に属する作品だと言える。ジャンプスケアやアクションのジャンキーさと確固たる主題性による見事なフロマージュの完成度はさながら、ルー多めの絶品カレーライスと言ったところだろうか。さらっとジャンルの紹介を済ませるつもりがグルメな例えまでして長くなってしまった。次章では業界からの注目必至のジョーダン監督が魅せる作品性に迫っていく。

2.ジョーダン監督流第三種接近遭遇

ジョーダンという未確認才能への”第三種接近遭遇”だ。

8月26日の小島秀夫のTwitter上でのつぶやき

公開日にゲームプロデューサーとして有名な小島秀夫氏がTwitter上で本作に寄せた言葉だが、実に素晴らしい。この中に登場する「接近遭遇」というワードは地球外生命体を主とする未確認存在と人類の接触を意味する用語で、映像作品や文学作品における同様の展開を指すのによく使われる。しかし、ここで評価されるべきは接頭語的に”第三種”という言葉が加えられることで、対象の未知性を更なるものにしている点だ。

さらに言えば、ここにジョーダン・ピール監督の作品の特徴がここにギュッと詰められ彼の個性も明確に捉えていると編者は考えるからである。そこで『NOPE/ノープ』を中心にして、ジョーダン監督がこれまで手掛けてきた全3作から現時点で伺えるその個性を紹介していく。

監督が最初に手掛けた長編『ゲット・アウト』(2017)
OJを演じたダニエル・カルーヤが主演を務め、作品の完成度の高さから
その年の脚本賞を受賞している。

説明に先立って監督の特徴を述べるとそれはズバリ、「既知の皮を被った未知の存在」の登場である!!暗い夜道、異形の存在、馴染みの無い町、人知を凌駕した概念などの”未知”に恐れを抱く人間の傾向は度々題材とされており、色んなホラージャンルの作品からその存在に気付ける。映画で言えば殺し手として名高い『13日の金曜日』のジェイソンや『リング』の貞子、『エイリアン』のゼノモーフなどのキラーや、『ミスト』や『サイレント・ヒル』などの世界観が挙げられる。しかし、ジョーダン監督は未知のイメージをそのまま利用せずに、あえて”ありきたりの皮”を被せて披露する。この一旦ハードルを下げる方法は見る者にある程度の予測をさせるのに効果的かつ、皮が剥がれて未知の正体が現れた時のインパクトを演出することもできるため、通常のホラーでは見られない刺激のある展開を生むことができる。

『NOPE/ノープ』に登場する既知はUFOの存在である。本作の予告編やCM、フライヤーで姿を見せる奇妙な雲とUFOが与える印象は強く、これに魅かれて鑑賞に踏み切った人も少なくないだろう。実際、この手のものが大好物な編者は予告を見た瞬間にまんまと鑑賞を確定させた。それにしてもこのUFO、SF作品各所で機体デザインの差別化が図られている現在の映画業界を横目にあまりにありきたりなルックスをしている。いかにしてコイツに花を持たせるか、それを目当てに鑑賞に臨んだ者は私だけではないだろう。 
まぁ、

編者を含めたそんな人たちは皆
監督の策略にまんまと引っ掛かっているのだが。

なんやこのThe テンプレのUFOは。

本作をご覧になった方はご存じの通り、作中でOJが飼う馬や町の人間たちを喰らい尽くし”Gジャン”と呼ばれていた張本人で、その未知の正体は地球外生命体そのものであった。動物が本能に従って狩りを行うのと全く同じ理屈で食事をし、物陰に隠れる習性や狩猟本能・排泄行動も備えたそれにもはや「宇宙人」を指す”エイリアン”という表現は似合わない。野生動物である。おまけに観客が抱いていた宇宙船というイメージを踏みにじるかの如く、ハイパー・ミニマリズムを応用した変態機能も持っているのだから、真の未知性をまじまじと見せつけて分からせようとしているようにしか思えない。OJが途中で「無理や。(=Nope.)」と言って、匙を投げたくなるのもよく分かる。(※ハイパー・ミニマリズム・・・物理法則を無視/超越した機構に基づく性能のこと。変形によく応用される)

”Gジャン”の正体が露わにされた時の衝撃の要因は何なのだろうか?もちろん生命体自身の特徴やビジュアルもそうだが、やはりここで光るのは上述した監督が被せた”ありきたりのベール”である。というのもUFOという単語はそもそも「宇宙船」という意味を持たない、Unidentified Flying Object(=未確認飛行物体)の略語である。UFOという概念がマスコミやエンタメ、ポップカルチャーを通じて取り沙汰される中で宇宙船や宇宙人のイメージと結びつけられた結果、それらを半ば想起させる記号と化したのは周知の事実だ。未知ゆえの個性が既知として塗りつぶされる皮肉、これをジョーダン監督が制作段階で意識していたかどうかは明らかにされてはいないが、これほど親和性が高いと意図されたものと錯覚しかねない。

(以下、ガッツリネタバレ画像)

擬態していた生命体の姿を描いたものとみられるファンアート
ふつくしい…

監督が『NOPE/ノープ』の中で見せつけた手法は、彼が以前に手掛けた長編作品達からも見て取ることができる。細かい言及や解説は今回避けるが、鑑賞への道しるべとして2作に登場する”既知”を紹介だけする。その脚本の完成度から高い評価を得る『ゲット・アウト』のものは人種差別で、まだスタイル確立前だったためか少し変わり種の印象。『アス』で”既知”として登場するドッペルゲンガーは『NOPE/ノープ』のものに近く、より腑に落ちる説得力を個人的に感じる。

人々の経験や人生と共に静かに積もってきた、または受け入れてきた”ありきたりな存在”を利用したジョーダン・ピール監督流の第三種接近遭遇。非常にシンプルな構成ながらも幅広いジャンルに応用が効き、見る者に強いインパクトを残すその手法は特性上、新しい経験を作品ごとにさせてくれるポテンシャルを持っている。特に本作『NOPE/ノープ』との相性が非常に良く、模範的とさえ言えるだろう。しかし、このパートの最後で強調しておきたいのは、我々の中で「UFO」がメディア各所で取り沙汰された結果、それが「宇宙船」のシンボルと化した事実である。なぜならそこのプロセスにこそ、本作の主題との強い結び付きそして更なる皮肉も隠されているからである…。

『アス』(2019)
ジョーダン・ピール節の源流はこの作品で生まれた気がする。とりあえずルピタ・ニョンゴの演技は必見。

3.作品→の→主題

2回目の鑑賞に臨んだ時、初見と思われる男子高校生が上映終了後に「意味わからん。難った~!」とツレに言っていたのが印象に残っているが、どうして彼の口からそのような感想がこぼれたのだろう。もちろんストーリーを追うのに集中していたり、構成が目新しかったのが大きかったのだろうが、解釈が難航したのは恐らく主題・メッセージを意識していなかったのが大きい。

とか言う私自身、1発目にその主題を的確に「観抜いた」わけではないし鑑賞後にパンフレットに目を通して気付いたので偉い口を叩くには足らない。しかし『NOPE/ノープ』には明確な主題が設定されている上、それも意識して鑑賞すれば難なく気付けるものなので、(答え合わせも兼ねて)これ以降の鑑賞体験を向上させるためにその主題を紹介していく。

偶然か否か。こんな名前をした馬がいた。(マジ)

スペクタクル ー 映画作品のキャッチコピーに使われるのをしばしば目にする言葉だが実はこれが本作のテーマを語る上では欠かせない超重要キーワードでもはや主題そのものに近い。ただ、このワードを見た時にその意味をパッと的確にイメージできるだろうか、私はできなかったし正に今までぼんやりと捉えてきた。インターネット上のサイトではその意味が以下のように紹介されている。

スペクタクル【spectacle】光景。壮観。みもの。みせもの。

Oxford Languages より

スペクタクルとは視覚的に強い印象を与えるようなもののことであり、広くは光景や情景などが意味される。芸能での業界用語としては、視覚的に強い印象を与えるような大掛かりな場面や出し物のことが意味されている。

Wikipedia より

上記の2つから見るに、微妙にニュアンスの違う意味があるようだ。前者が人の目に映るより前から在って後天的に見られるのに対し、後半のものは演出や描写として先天的に見られることになっているといったところであろう。ここで注目したいのはどちらにも人々の視線を引き寄せる作用が生まれている点で、これによりスペクタクルは見る者の注目を半ば強制的に集めることができる。また、見る者の選択次第でその対象を恣意的なものにできる点も特徴の1つと言える。

本作では前述した機能を持つスペクタクルをエンタメやらビジネスに利用せんとする人やそれ自体を盲目に追い求める人、それ自身に囚われてしまう人まで多く登場する。それぞれ異なる背景を持つ彼らに共通して言えることが、動機の原動力が例の引力に由来して誰もが”見る”ことに何かしらのコンプレックスを抱えている(または隠されている)という点であり,それらを軸とするドラマの展開が示すのは主題「人のスペクタクルへの依存とその妥当性」である。以降ではそのテーマが垣間見えるポイントを簡単に紹介する。

All eyez on me. All eyez on you.

パターン①:OJ一派 (feat.エメラルド)⇒ ”Gジャン”

本編のストーリーの主軸であるOJ達による円盤型地球外生命体”Gジャン”を激写しようとする一連の流れとマスコミが彼らにたかる下りは、スペクタクルに踊らされる人々のテンプレとも言える模様を映し出している。”Gジャン”を捉えた映像をネタにマスコミ各所にタレコんでスクープをエンタメとして流布し、そこから生まれる利益で一攫千金を狙うこの計画を練ったのはOJの妹であるエメラルドである。兄のやり方に嫌気が差したために一家が代々受け継いできた稼業を副業呼ばわりし、インフルエンサーや歌手としての活動を仕事とする彼女はこの主題を如実に体現する。

寡黙で注目をあまり求めない性格の兄・OJとは対照的すぎるそのキャラクターには、ヘイウッド牧場という閉鎖的なビジネスでの経験と業界である程度名の知れた父が自分ではなく、OJに世話を焼いていた過去が関係している。これは次第に彼女の中で周囲の環境と己への不満という形で積もった結果、反動形成としてより開放的で人目を集めたがる性格を生むに至り、本人はその現状に満足している。ただ、それでもまだ引きずる不安定な自分のイメージを払拭して生まれ変わるためにスペクタクルを利用しようと試みるのだ。その結果、”Gジャン”の撮影とほぼ同時に兄が実はこれまでちゃんと”見てくれていた”ことに気付いたことで、当初に予想していた以上のもの収穫を得ることとなった。

何やこの良さげな画は。

なお、エメラルドがいかにスペクタクルの申し子かを象徴するシーンが本編にあるのだが日本公開版からはそれがカットされている。そのシーンは彼女がハリウッド・ストリートをインスタライブを回しながら歩き、道行く女性に声をかけるというもの(彼女がバイセクシャルまたはレズビアンであることが作中で示唆されているためナンパに近い感覚かもしれない)で、その後のふとした会話の辻褄が合うようになっている。※上に載せた予告編から確認可能

パターン①’:エンジェル ⇒ ”Gジャン”

平凡で味気の無い日常の中、中途半端な自分を”Gジャン”騒動で変えたいと願う者はエメラルドだけではない。雲の中に隠れたヤツをカメラに収めるべくOJらが訪れた家電量販店フライズ・エレクトロニクスに務める店員、エンジェルもその1人である。彼は作中、ヒストリーチャンネルの番組”古代の宇宙人”を口にしたり鑑賞中に観客が思うことを代弁する、ホラージャンルには欠かせない和みキャラとして目立つ一方で、奇怪な雲の存在を真っ先に指摘したり最終決戦に向けての電気系統管理を担当する”憎めないヤツ”としての印象も強い。

そんな彼の性格について本作でプロデューサーを務めたイアン・クーパーは「(彼は)自分をもっとビッグな人間だと捉えていて物足りなさを感じている」と言及しており、そこからエンジェルが抱えるコンプレックスが垣間見える。実際、彼が次期スター候補と言われていた女優との破局を最初の方で嘆いていたことからある種の”見られることへの執着”を察することができ、当初の卑屈な態度にも納得がいく。おそらく自分を理解しない他人や自分の意志にそぐわない周囲の環境への諦めから、色々ヤケになって自信さえも失いつつある状態いたのだろう。

初鑑賞時、横の横に座っていた方がめちゃめちゃエンジェルの言動でウケてたなぁ。

ただ、エンジェルはOJ達と行動を共にしていくに連れて徐々にその活気を取り戻す挙句に誰よりもその状況を楽しんでいるような素振りを見せ始める。結末はどうであれ、家族との繋がりを思い知ったエメラルドと同じく彼もただただ打ちのめされただけでない、本作中のスペクタクル劇を通して救われたメンツの中に入ることとなった。この手のジャンルで途中参加の和みキャラが命を落とさずして結末を迎えた展開やその立ち回らせ方から、コメディ要素も忘れずに「見過ごされた人々」も一員とするジョーダン・ピール監督には愛さえも感じる。

●インタールード

本稿ではここまで『NOPE/ノープ』の映画としてのジャンルとジョーダン監督の技法、本作における主題のパターンを紹介してきた。正直観てないと何のこっちゃな所が大半だろうが、ここまで読んでいただいた方々は少しでも楽しんでいただけてただろうか?今回は一旦、ここらで記事を締めて続きは後編の方で話すことにし, 最後にちょろっと本稿にまつわるトリビアや元ネタを紹介する。

・サムネイル
この記事のサムネイルとなっている画像についてだが、あれはワン・ダイレクションが2015年に発表した曲「Drag Me Down」のPVから一部抜粋したカットで、メンバーのハリー・スタイルズが宇宙飛行士訓練用のロボットとアイ・サインを送り合っているシーンである。編者の学生時代を知る一部の人は知っている通り(?)私がこのサインをしばしば使うのはこれの影響であり、これからもバンバン使っていきたい所存である。個人的に馴染みのある動きだったため、映画本編でこれがキーとして登場してくれたのはポイントが高い。

・"バズり動画"
エメラルドが作中で”Gジャン”を押さえた映像のことを”バズり映像”と呼んでいたが、なぜダブルクォーテーションが付いているのか。それは日本語訳の上で「いわゆる」というニュアンスを想定しているのとは別に、英語の「Oprah shot」の影響が強い。この「Oprah」というのはアメリカで超が付くほど有名なTVコメンテーターの Oprah Winfrey のことを指しており、日本で言うマツコ・デラックスやひろゆきの上位互換的な立ち位置の人と思ってもらって差し支えない。詰まるところ、あのワードは”Oprah並みに影響力のある映像”という意味になる。本国ではその意味が難なく観客に伝わったのだろうが、日本ではその馴染みが薄いがためにほとんどピンとこない場合が見込まれたために”バズり映像”と表す羽目になったと考えるのが妥当だ。

ただこの「Oprah」は編者に他の強い連想をさせる。それがケンドリック・ラマーの5作目のアルバム『Mr.Morale & The Big Steppers』に収録されている1曲「N95」内のリリックだ。

 (ちょいちょいおや?となる所もあるが、字幕を付けてみるのもアリ)

What the fuck is cancel culture, dawg?
Say what I want about you niggas, I'm like Oprah, dawg
I treat you crackers like I'm Jigga, watch I own it all
Oh, you worried 'bout a critic ?
That ain't protocol (bitch)

Kendrick Lamar 「N95」ー LyricFind

Hip-Hop界の王座に君臨する神童がコロナ禍で身近になったマスクと人間社会の中で被るペルソナをかけて、人々の偽善と批判に一声あげるこの曲は奇妙なことに『NOPE/ノープ』のテーマと重なる所が多々ある。フレックスも何もかも、すべてスペクタクルを求めてのものだと考えると腑に落ちすぎてペシミズムに陥りかねない一方でどこか勇気付けられるパワーも持った逸品、ぜひお聴きあれ!

・タイトルと締め
この記事と後編のタイトルはどちらも「Xファイル」シリーズのキャッチコピーにあやかったものになっていますが、その文言がキーワードにもなっているので注目してみてください。我ながら上手いとは思いませんが、それなりにイケてるとは思います。

ということで、前編はここまで!恐らく後編を見てからの方が筋の通る箇所が多かったと思いますが、もし読んで面白いと思って頂けたらスキしてください!気になる所・気に食わない所があったらバンバンコメントしちゃってください。それでは「I want"ed" to believe…」で会いましょう。


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