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この青空をうつくしいとは思わなかった

落ち着くことのない雨音は、行くあてのないこころを静ませる。青がなく、むらのある、とてもいい色だ。大粒とも小粒ともいえないような雫の音。目を閉じてもこの身に染み入るような湿度。空調の効いた部屋の中で、そのぬめりに身を宿す。コンクリートに生えた緑色の苔の群のなかに入ったみたいな気持ちで、どこでもなくここであるところに意識を置く。

こういうとき、なにを考えているのだろう。

静かな雨の日が好きだ。曇り空の灰色は中庸を示すようにあって、黒とも白ともつきたがらないわたしのこころにピタリと寄り添うようで。それでいて、遠く、遠いので、わたしは突き放され、安心する。どこにもいくことのない、わたしのものでさえないわたしのもつすべては、空のような、天気のような、人間の手では到底どうにもならないようなものと同調することを強く望んでいる。この身のように、この精神のように、自分の思うがままに動かせるはずだ、という錯覚を憶えずに済むもののほうへ、それらを預けようとして、それはほとんど現実逃避のような、あるいは瞑想のような、いや、ただの戯れか。

2階のベランダの手すりに腰掛けていると、危ないよ、と言われる。

光が影に溶け込んでいくような様相をしている。あの醜い太陽光がいなければこの目に映る色たちは、こんなにも美しく混じり合っていくのだ。すべての音はこの耳に届くより前にやわらかくやわらかく遮断され、飲み込まれ、すこし虚を帯びたものになる。晴れた日の鮮明で強烈な色彩、コントラスト、人々の表情とは違った、柔さ。

青空がきらいだった、というと、そんなに暗い人だっけ、と言われた。

天を仰いでも雲がない。動くものがない。波の立たぬ海とさして変わらないし、触れることができない分、より退屈だ。ずっと見つめていたら、錯乱してしまうかもしれない。ひとびとは何を考えてこのような青空を言祝いでいるのか、わたしは、なにをどうして、こんな空をきれいだと思うようになったのか。


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