見出し画像

田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『廃墟の観音』

あなたは神様を信じますか?

私はずっと神様の存在を疑っていた。神様を信じることが宗教だと思っていたから。私は無宗教であり、宗教を信じない。だから神様も信じなかった。

しかし最近、神様と宗教は違うのではないかと思っている。その大きな理由のひとつは、今の宗教は金儲けを第一に考えているとしか思えない現実を見てしまったから。神様がお金を欲しがる理由を私はひとつも見いだせない。だから、宗教は信じなくても、神様が存在してもいいのではないかと思う。自分の人生をポジティブに生きるためには、神様が必要だとも思い始めている。

神様を信じていない日本人でも初詣には行くし、神前結婚式を挙げる人もいる。神社に行けば祈りを捧げ、御朱印ももらう。こういった矛盾が起きるのも、心のどこかに神様を信じたい気持ちがあるからだろう。

実際に神様がいるのではないかとしか思えない偶然の出来事に遭遇した経験は、誰でも一度はあるだろう。

著者は真鶴半島の先っちょにある小さな原生林の中で内袋観音を祀った祠を見つける。そこは人から完全に無視されたように荒れ果てていた。信仰を持たない著者だが、観音様に手を合わせ、祠のまわりを掃除する。人間が設置したものとはいえ、そこには観音様を置くべき理由があったからだと筆者は考える。太古から神性の宿ると思われる場所を人々は祈りの場としてきた。

「神様はいてくれたほうが人生が楽しい」と著者は言う。
人間は弱いから誰かに助けを求めざるを得ない。その誰かが神様であっても全然構わないと私は思う。神様を信じたほうが人生を楽に生きられるのならば神様を信じてもいい。まして人生が楽しくなるならば、神様を信じたほうがいいのではないだろうか。

真鶴半島の原生林は新緑の季節で、「芽吹いた新芽はエメラルド色に発光して見え」たらしい。今の季節はまだ冬だが、暖かい日が何日もあったせいか、上野公園では早咲きの桜が咲いていた。街を歩いていても、木々の枝先から芽が膨らみ始めている。足早に歩くのではなく、ゆっくり歩いていると、東京のど真ん中でも四季を感じることはできる。少しは時間に余裕を見て、街を歩いてみることも人生にとって必要な時間だと思う。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?