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川上未映子『夏物語』を読んで

今年ちょうど100冊目の本。

第一部は『乳と卵』の感想文に書いたので、今回は第二部の感想を書く。

男性には女性の気持ちをすべて理解することはできないのだから、男性の私の感想が女性から見て、わけのわからないものになっている可能性は否定できない。
これは決して言い訳ではない。男性が女性の気持ちを読めないのと同じように、女性も男性の気持ちは読めない。男女間の問題はほとんどが自分は相手のことをわかっているという誤解から生まれる。

人間には男性と女性がいて、子供を出産するのは女性の役割(子孫を残すという意味で)となっている。この出産するという役割を権利と見るか、ハンデと見るかによって、女性の考え方も半分に分かれる。
人間には生物の本能として、子孫を残したいという欲望を持っている。他の生物との違いは、科学の進歩により、性交をしないでも子供が生めるようになったことだ。
この小説では、その科学の進歩が正しい道なのか、あるいは間違った道なのかを読者に問うている。
もうひとつ、子供を生むことが人間のエゴなのか、生まれてくる子供の人生が苦しいものになるならば生むべきではないのかが問われている。

生まれてきたくて生まれてきた人間は歴史上一人もいないし、これからも絶対にいない。反抗期の子供が「なんで自分を生んだんだ? 生まれてきたくて生まれてきたわけじゃない」と言うときがあるが、これは真実であり、だからこそ親は傷つけられる。

特にこれから生まれてくる子供たちは過去のツケをすべて回されてくる世代となる。苦しみの多い人生を歩む可能性が高いと言わざるを得ない世代だ。それが日本の少子化の問題の大きな原因となっている。
だが、男女が子供を作らなくなれば、最終的に人類は滅びてしまう。この問題はミクロとマクロの両面から考えなければいけない問題なのだが、権利の主張を第一とする今の社会を生きる人たちはミクロの問題でしか考えていない。

<ここからはネタバレがあります。>
話がそれてしまったので、本題に戻すと、主人公の夏目夏子は自分の子供に会いたいという理由で、他人の精子を手に入れようとする。そこには子孫を残したいという本能があるのか、姉の巻子とその娘の緑子の関係(すったもんだはあったけれど)を羨ましく思ったのか、本人自身にもわかっていない。

本やネット情報、講習会、精子提供者との面談など、いろいろな情報を得ることで、自分が子供を生む理由を後付けしようとした。

しかし、善百合子の言葉を聞くと、今の自分は間違っていると思う。子供が欲しいというのは孤独でなくなるためという、自分のエゴから出てきた発想ではないかと疑問を持つ。

もし夏子に逢沢潤という存在がいなければ、夏子は出産を断念していただろう。そう考えると逢沢潤との出会いは運命としか思えない。

編集者の仙川涼子はガンで亡くなってしまったが、仙川の死と夏子の新しい生命の誕生を対比することで、宇宙観と言えばいいのか、作者の死生観が表れており、それは他の場面にもいくつか記されている。

生命の誕生の場面はやはり川上未映子だとわかるほどキレイな文章で綴られている。
美しい文章の合間に関西弁がアクセントのように配置されている。比喩もたくさん出てくるが、どれも独特な表現になっていて、こんな比喩表現が出来たらなと嫉妬さえ感じてしまうほど文章を輝かしている。

夏子の人生にはこれから苦労もたくさんあるだろうが、その苦労を超えるほどの喜び(子供を生んだ喜び)を味わってもらいたいと思う。

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