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思木町6‐17‐4

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記事一覧

思木町6‐17‐4(1)

  (無題)

 防音で空調完備の「部屋」があるとする。「部屋」は閉ざされていて、窓が無い。そして温度、湿度を一定に保った状態とする。温度23℃、湿度55%というところかしら。周りの音も聞こえず、景色も見えず、振動も伝わらない。降っても晴れても、雷が落ちても「部屋」の中からは分からない。つまり「部屋」は外界の影響を離れ完全に独立し、逆に言うと「部屋」の中から外界の変化を知る術は無い。
 あなたがこ

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思木町6‐17‐4(2)

    南向き、日当たり良好な世界

 「ミナ!」チッチが出したパスを受け、ディフェンスをかわして両手でレイアップシュートを決めた。試合終了――梅ノ山中学校との練習試合は、52対33でわたしたちが勝った。わたしはこの試合、32点を挙げる活躍をした。
 試合の帰り、梅ノ山駅の時計を見ると四時五十分になっていた。ジャージを着ている女子バスケットボール部の皆とわいわいがやがや、プラットホームで列車が来る

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思木町6‐17‐4(3)

  南向き、北側の非常階段と共用廊下

 目が覚めると、小高い緑の山に囲まれた田舎の道を歩いていた。白雲の浮かぶ青い空のもと、舗装された固い道を歩いていたが、車道・歩道の区別は無く、古く汚れたガードレールはわたしを崖から落とさないようにと、うねりながら設置されていた。緑の濃い杉山と、先の方まで田畑が続いていたが、列車の窓から一面見渡すような景色では無く、崖まじりの高低差のある土地に作物を植えている

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思木町6‐17‐4(4)

  北向き、ツリーハウス

 霞のようなものが――少しずつ消えてゆこうとすると、外の地面が目の前に広がっていた。目前から先の方まで、床をなぞって行ったが灰色だった。頭のなかは、何となく甘いぼんやりとした感じだった。小さい頃にもこうして、どこかの地べたに寝そべっていたような気がする。かくれんぼでもしていたのかもしれない。目線の先にコンクリートの壁があり、白い扉がある。ふと鼻に刺戟のある臭気がし――。

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思木町6‐17‐4(5)

  北向き、マツリ

 オーキナに連れられて、わたしは九階の、東の端の角部屋に招かれた。その部屋はどうも、この建物のなかでは一番良い部屋らしかった。入口の間隔からして、他の部屋の二倍の大きさがある。他の部屋と同様に、部屋中に蔓木が巡っていたが、自然の荒々しさは見えず、むしろ整然としていた。どこか現代的な、新しい考えによって生み出された住居――カルチャー雑誌の表紙にでも載りそうな印象が、無いでもなか

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思木町6‐17‐4(6)

  北向き、鍵と庭

 次の日の朝、わたしはT駅の構内を歩いていた。親戚の住むS県の駅で、わたしが去った新幹線の改札は太いスチールの柵で鎖されており、行き交う人もおらず、フロアは無味乾燥としていた。わたしは駅員に見せた新幹線の切符をはっきりと覚えていた。列車を降り、階段を上って、切符を手放すことが、特別なことに感じられたからだ。重いリュックを背負いなおし、改札を出たところで、その景色を見た。
 駅

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思木町6‐17‐4(7)

  北向き、セレン

 惨めで、恥ずかしく、情けない気持になったけれど、結局わたしは、細かな木々に包まれて用を足した。選べるような状況ではなかったにしろ、全て済んで、土の器を見たあとは酷い後悔の念に苛まれた。ポケットティッシュがいくつあるかを考えた。リュックに今までのものが溜まっている可能性は高いが――わたしはヒヤリとした。後ですぐ確認するにしろ、本当に――一刻も早く、帰らなければならない。
 わ

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思木町6‐17‐4(8)

 北向き、非常階段と共用廊下における狩猟採集生活 

「雨が降りそうですな。空気が弛んできました」オーキナはそう言うと、ひと呼吸置いて、水を飲んだ。わたしたち三人の前にはコップくらいの土の器が置かれ、そこにはセレンが汲んだ水が入っていた。
「まずは、遠回りになるかも知れませぬが、わしらの暮らしぶりを話したほうが良いと思いまする」
 わたしはオーキナの顔の皺を見た。
「ウチでは、季節を問わず実が採れ

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思木町6‐17‐4(9)

  北向き、蝶・屈折する星くず

 昨日のことだ――わたしたち三人は、大樹の階段を下りていった。男達の獲った獲物を見に行くために。オーキナが先導し、曲がりくねった幹と幹のあいだを渡って行った。太陽も傾いて来ている。わたしは、昼間なのに薄い闇に覆われている、二階の廊下を思い浮かべた。
 七階まで下りてきた。今日も鳥の囀りをよく耳にする。春の日から、もう七日が経とうとしている。今年も多くの鳥がつがいに

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思木町6‐17‐4(10)

  南向き、子供の情景

 窓の、ベランダの方から小鳥の鳴く声が聞こえると、部屋の明るさと、外の日差しが混ざっていくのを見て、目が覚めた。むくりと体を起こすと、日差しの中のほこりが、星の運行のように、膝の上を動いている。わたしは毛布からもぞもぞと出てきて、おトイレに行った。
 部屋の、鉢植えの観葉植物を見ながら朝ごはんを食べた。トーストした食パンに、バターをがりがりと塗っていく。バターナイフの上の

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思木町6‐17‐4(11)

  北向き、ファウル・トラベリング

 屑葉の上で目を覚ますと、まだ辺りは暗かった。朝になっていないのだろうかと、毛皮に包まれたまま考えていると、雨の音がしていた。横になったままウロのなかを眺めていると、蔦や蔓の輪郭がぼんやりと浮かんできた。わたしは窓の方を見た。雨が降り続けているが、夜は明けたらしい。寝返りを打って出入口の方を見ると、セレンが横になっていた。毛布がたゆたい、規則正しく呼吸をしてい

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思木町6‐17‐4(12終)

  北向き、予見

 自分が、香の甘い匂いを嗅いでいることに気が付くと、わたしは目を覚ました。ぼんやり左側の壁にくり抜かれた窓を見ると、まだ光が差している。東側の壁――うとうととしていたのは、それほど長い時間ではなかったらしい。
 わたしはもたれかかっている脇息から肘を離し、座り直した。ショウジンたちが外の木を切り、わたしのために新しく作ってくれたこの脇息は、頬杖をつくのにも、体を寄り掛からせるの

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