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昔あった国の映画で一度観たような道を行く

唐突だが、今回のエッセイのテーマに相応しい島崎藤村の随筆があったので文章を一部抜粋させてもらう。

ほんとうの百姓というものは下手に土をいじらないものと聞く。むやみと土をいじるのは素人で、ほんとうの百姓は下手に手を触れることをしない。そんなことをしようものなら手が荒れてしまって、到底長い耕作に堪えられるものではないという。素人は土を見ると直ぐに手を使いたがる。百姓は手を大事にして、鍬や鋤を働かせる。ほんとうの百姓のみが土の恐ろしさを知っているのだ。

この随筆から私が思うのは、長期間同じ仕事に従事する人は上手く道具を活用していて、そして、なによりも自身の身体を大事にしているのだと再認識した。

最近引退したイチローの凄さを語る多くの人は、彼の輝かしい記録や成績を取り上げることが多いと思うが、その偉業を達成するためには、何よりも心身が十分でないと達成出来ない。イチロー自身も怪我には特に気を遣っていたとテレビやネットで観た覚えがあり、同業の選手からは「怪我をしない身体を持っていること」を評価する人も多いと聞く。そんな話からもイチロー自身はプロ野球選手として自分の身体のケアを重要視していたと思われる。

プロ野球選手でなくても長年同じ仕事に就かれる人は、ある程度の能力や技術的な向上も必要だと思うが、同時に、長期間同様の労働をするだけの身体的な素養も必要だと思われる。
私が指摘するまでもなく、すでに一定の仕事に従事している人は、自身の身体の同じ箇所に莫大な負担がかかっていることに気が付くと思う。例えば、長年肉体労働に従事している人であれば、自身の身体の特定の筋肉を過度に使うためそこの部分に疲労がたまりやすいだろうし、デスクワークをしている人でも、長時間のパソコン操作や長時間椅子に座り続けることで、目や肩や腰の疲労は蓄積されていき、そのダメージに身に覚えがある人は相当数いると思われる。
プロの定義が難しいが、長期間継続して一定の仕事に従事する人をある種のプロフェッショナルだとすると、その仕事のプロ程なによりも自身の身体の負担を減らすために、道具を上手く使う技術や一定時間ごとの休憩の大事さを知っていると思われる。冒頭に引用した、農民が鍬や鋤を働かせて直接土に触れないようにして手を大事にしている話のように。

若い頃は特に考えなしでも無理が効くかもしれないが、当時の無茶したツケは確実に自分の身体に溜まっていて、それはいつか爆発して一生自分の身体に刻まれる重荷になるかもしれない。自分の身体というものは自分にとって絶対に替えがきかない大切なもので、それを最後まで守れるのも自分自身しかいない。

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