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怪談水宮チャンネル ⑩

①ご神木

そういうものは神社のいちばん古い樹、と思われがちだ。
が私は十にもならぬうちから、そうではないと感じてきた。
近所の公園にはさほど大きくないが、挨拶をする友達の木があった。姿の佳いケヤキだった。

初めての家出?は八つで、何かのことでひどく叱責でもされたか。自転車に乗り、もう家には戻るまいと走った。着いたのは、時折行く地元の大きな神社だった。
参道は大きなケヤキの並木。夕間暮れ、鬱蒼と暗くひと気もない。私はそのうちの一本の根方に自転車を倒して寄りかかり、膝を抱えてうつむいていた。
これからどこへ行ったらいい。
すると不思議な、コーラスのような声が降った。見回す。誰もいない。
木がしゃべってる!

「おまえのこと むかしからしっているよ だいじょうぶ いいこ 
 今日はお帰り だいじょうぶ
 またおいで」

風のような、沢山の鈴の鳴るような声に促され、私は帰った。


②ご神木 2

お向かいの庭、私の部屋の窓から姫沙羅の木が見える。その手の庭木ものにしてはとても大きい。
不思議なことにこの木は、周りの同じような高さの木がしんとしているのに唯一、大きく揺れていることがある。
その後、決まって天気の急変や変事がある。
静かだとほっとする。見るたびいつも黙礼する。


③現実化する筆

以前、長編小説を三本書いた。いずれも、ファンタジーである。特に発表はしていない。
ところが数年後、少しずつその物語が、私の人生の中で現実化してき始めた。
あり得ないと思ったが、場所、縁のできる人や物事、起こることが現実になってきた。
まったく創造で想像の物語を書いたのであって夢や理想のことではない。そんな予想もまったくしていなかった。
掌編小説もなかばドキュメンタリーだ。

④調伏

相手に害意がないもの、と思って基本人とは接する。
が、その人物が私の生活や心を脅かしてしまう事態もまれにある。たいがいはその人物が私を意のままに動かそうと思っているか、自分の利便のために型にはめたり矯正したりしたがることに端を発する。
こちらからすれば、見ようと思えばその人のそんな意は読めてしまう。たいがいは、何かに怖がってるか不安か、なのだ。表れ方が人により異なる(まあ全部、感じ悪いけど)だけで。

そういう場合、わら人形打つみたいな黒魔術ではなく、日中白い魔術をする。
その人を想念で遡り、そうさせている原因まで行き着くと、大抵困って泣いている子どもがいる。私は「その子」を見、横にしゃがむ。同じくらいの子どもになる。背中をそっと撫でる。つらかったね、よくがんばったのね、と。
あくまで思念の中だけのことで、直接連絡を取って話すとかはしない。想念が大きすぎる時は神社に預けてお願いしてくる。この子を頼みますと。普通に近所のお社でもいいし、出かけられない時は部屋で一人祈るだけ。

後日、たいてい突然謝ってくる。

それでもどうしてもダメな場合、腕か脚を一本あげるつもりで縁を切る。その方が双方のためになる場合は。そしてお幸せに、と願う。そして営為に向かう。
ひと筋の恨みも残さない。

これは実際的で、効果的な「白魔術」だが、難しいことも不可思議も何もない。
自分を守ることと同様、どんな相手も守られ、幸を願われて然るべきという魔術で、誰にでもできる。また、調伏とは自分の中の良からぬものを自ら散じさせるというような意味だったと思う。


⑤飛天

昨日の夜明け頃、いつもの川辺を散歩した。涼しい風が吹く。誰もいない。
鳥の姿を求めて空を見た。
と、燭光のうすべに色が差してきた淡い水色の中空に、こつぜんと飛天の姿が現われた。
おいおいマジか。思わず微笑んでしまった。
国宝の薬師寺・吉祥天女に似ていたが、もう少し鳥寄りというか。半分鳳凰っぽくて、衣と羽根がゆるやかなウェーブや弧を描いて風に舞っている。半透明、そして色とりどり。
ほんの10秒ほど彼女は楽しげに舞って、消えた。
私はとってもいい気分になって、川辺の花を摘んで帰った。

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