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タオのプーさん

30年ほど前のこと。

私は派遣事務の職に就いた。ささやかながら歓送迎会のようなものがあり、私の隣にはそこで一番若手の男性社員が座った。私より確か一つ年下、つまりほとんど新卒の青年で、今で言えばイケメンのインテリ。その彼が私に向かって笑って言った。
「水宮さんはプラトンとか、読んだことないですよねえ」
高卒の私を明らかに蔑んだ物言いだった。はあ、無学でしてと笑いながら内心
「あとで吠え面かくなよ小僧」
とは、思った。


散会後すぐ近くの大型書店にすっ飛んで行き、哲学書のコーナーへ。その名前が哲学者、ということだけは何かで知ってはいた。
「野郎。いつもガキのくせにふんぞり返って偉そうに。見てろよ私だって哲学書くらい軽〜く読めるもんね」
聞いたことのある名前をたどる。ソクラテス、カント、デカルト、ハイデガー。
片っ端から手に取って開いてみて…


愕然とした。
日本語なのに一行も読めない。一ミリも理解できない。おかしいな私日本人じゃないのかな。悔しい、このままではあの小僧の鼻をあかしてやれない。
困り果てた私の目の前に、ふと現れた背表紙。


『タオのプーさん』



野球選手だっけ?
プーさんは小さい頃、お向かいのおばさまから誕生日プレゼントで貰った本を持っていた。あの愛らしい絵と子どもにはかなり意味不明だがなんかのんびりしたストーリーの、あれ?哲学となんの関係あんの?
大体哲学、って何。


だが、これは読めた。スイスイいける。そりゃ、あの原作のノリで書いてある「お話」なんだから。寝物語にせがむような。
購入した。
家に帰って読み進み、完読するも。
やっぱり全然意味わかんない。


それでも折に触れ、手に取っては読んだ。原作者のA.A.ミルン、そのオリジナルの絵が多く使ってあり親しみやすかったし、疲れた時になんとなくめくる絵本のようなもので。
タオイズムというのが仏教でも儒教でもない道教というものなのも分かって、それは宗教ではなくて儒教みたいに上の者が下をしめつけ支配するのに便利なシステムでもなくて、心優しい哲学なのだということ。それは弱者のために生まれたのだということも分かった。カンフーの源流、太極拳は道教から生まれた。あのモッタリした動きをものすごく速くすると実は最強拳法と化すという。弱い村人たちがモロ武術をやってるように上に見せないため、「健康体操やってま〜す♪」的に日頃鍛錬して有事に備えていたのだと。お好きな方は八卦掌なんて聞いたことあるかもしれない。


物理的な話も出てくる。たとえばコルク。
水に浮かぶコルクをいかなる力自慢がどんなに叩こうが、コルクを沈めることはできない。強く叩けば叩くほどコルクは跳ねあがるだけで、力自慢はおのれの発した力でへとへとになり、コルクは相変わらずただプカプカ浮いている。強い者が発してきた攻撃の力をそのまま返したりかわしたりすると、そうなる。こちらが何一つしなくても攻撃した方が疲弊して倒れるということ。


昔話、たとえ話、老子、荘子、ディケンズ、ガンジー、日本の説話もある楽しいごった煮。
たまにつらつら読むうち、なんとなくそんなことがらが蓄積されていった。


そして買って20年は経ったある晩のこと。
確か休日前でいつもより多めにお酒を買い込み、自室で本を散らかしながら気ままな一人パーティをしていた。やっほう夜ふかししちゃうから🎵好きな音楽もかけまくりんぐ〜🎶


で、飲みつつ聴きつつふんふん♪散らばした(と言っても数は少ない)本をならべてパラパラめくっていた。そのラインナップに、タオのプーさんも。


だいぶへべれけになってタオのプーさんを読み始めたその時。
20年、ほとんど何言ってんだかわかんなかったそれが、だしぬけにすべて理解できた。


!?
分かる。理解できる。酔ったから?でもなぜ今、急に?


その言わんとすること、エッセンス、日常と人生にどう役立てていけばいいか。
言葉で表すとボワっとしちゃうしそもそも私にはその表現はできない。書いたりしゃべったりすることではないんだし。Do。そしてそう在ること。
それは広大無辺で実にシンプル。
そして重要なのは私の好みにぴったりってことだった。
私はそうなってそう在りたいと願い、そうし始めた。変人扱いは慣れてるとはいえ、近しい人に面と向かって批判非難されると凹んだりもしたが。今ではすぐ持ち直すことができる。


信じられないかもだが、体型すら変わり始めた。よい方へ。ちょっとと言いつつ金かけてジムへ通う必要もない。ひみつの武術太極拳とセオリーは同じ。日常。考え方。
なんならそれで稼ぐこともできるが、必要としなくなったのでバイバーイ。


貧乏なくせに金は要らないなんて常識はずれだと言われても、その本・思想を生きることと自身に日々役立てて幸せな気分でいられる。そこが大切なこと。20年かけて読んだぼろぼろの本。読書は娯楽であることも良い。が、日々に役立てられるならより上々と私は考える。


『タオのプーさん』には続編もある。『タオのコブタ』。
実は見栄っ張りなくせにいつも気弱でコンプレックスにとらわれているワナビーズな弱者コブタは、そのまま昔の私の似姿だった。その小さき者がどう変わっていくことができるのか。


晴れた日。桜が咲いたという。
私はこんな日に、家で寝そべってぼろぼろのこれらを読むのが好きだ。

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