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光る子ども

「おまえさんは、家にいるときは、なんといわれているんだね。」
「あたしは、家にいるときは、名もない、つまらないものなの。でも、家の外にいるときは、だれにも、好きな人になれるのよ。おばあちゃん、おうちにいるとき、あなたはいったいどんなかたなの?」
「ああ、わたしかね。わたしは、家にいれば、ちょっとした人物さ。だが、外に出れば、なんにでもなれるのさ。」
(E.ファージョン『ガラスのくつ』岩波書店)



ファージョンが書いた「シンデレラ」の、主人公シンダース(シンデレラ)ことエラと魔法使いのおばあさんが初めて出会うシーンの会話。


「何してる‼️
その淵を覗き込んでる痩せこけた男の子どもの襟首を、私は引っつかんだ。そして何も考えずに胸にかき抱いた。
「見るな‼️馬鹿野郎‼️


なんだかよくあるアクション映画のクライマックスシーンみたいに、私は子どもにその「シーン」を見せまいとした。
その淵。私はよく知ってる。
その子どもと同じように覗き込んで、何か取ろうとしたりとりこになってる奴らが、吸い込まれるように落ちていく。ホラ、誰かの言葉にもあった筈。ゲーテだっけか?


子どもは、胸の中から顔を上げて、拗ねたように言った。
「なんで見ちゃダメなの?みんな見てるじゃん」
私は子どもを抱いたまま、静かに言った。怖がらせてはダメだ。パニックを起こすから。でも本当のことを。
「あれはね。人間のもう一つの姿だよ。誰の中にも、私の中にも、お前の中にもある。大人にも子どもにも。でも、見てると吸い込まれる。落ちたら、生きて戻るのはすごく難しいんだ。ずっと覗き込み続けてまともでいることも。
それとも坊主、お前あそこに落っこちたいか?人が落ちるとこ、見たいのか?」
子どもはブルッと震えていやいやをした。
抱きしめる。
「ヤだよな。私もヤだ。行こう。おなか空いてるんだろ」
その子のがらんどうの眼は、飢え切っているはずなのに、永い間もっと別のものを欲しがりすぎていた。そうして、ついに迷った。彼が欲しがってるものを、知ってた。


(ぼくを愛して。分かって。)


ご同様だよ。昔の私である坊主、お前は。遠い昔、何十年か何百年か何千年かまえ、同じ地獄の釜で煮られた者同士だろ。赤の他人?私たちの血の赤さを見るがいい。


「行こう。食べものを探そう。まずはそれから」
あてなんか、なかった。ただ、その子どもの、がらんどうの眼の底に灯る、あの光は?


壊れた街を、焼けた野を、燃える森を、歩いた。まともな水もない。廃墟のガソリンスタンドで、錆びたバケツに入った油の浮いた水を見つけて飲んだ。
水の神さま。
そして火の神さま。
あなたがたもどんなに切なかろう。
でも、願ってる。
死にたいとさっきまであの淵をボーッと見てた子も、私も、実は
「死ぬほど」生きたいだけで、無意味に死ぬのがイヤなんだ。
なんで生まれたんだなんて。意味なんかないじゃないかだなんて。そうじゃない。絶対に違う。


この痩せこけた子どもは、どこからやってきたのだろう?
私も、どこから?
なぜこんなにこの子どもが愛しい?
子を産んだこともないのに、突然、乳をやりたくなった。
それまで、そういうことは性的な意味しかなかった。でも、明確に違う何か。
あげたくて破裂しそうな、これは?
子どもは無邪気に手をつなぐ。そしてでたらめな、歌を歌う。
歌?
歌。歌だ。
私も歌った。

子どもよ、言葉にだまされるな。
メロディを聴いて、そして一緒に歌おう。上手くなろうとなんかしないでいい。お前の声は、金の鈴が鳴るようだ。


あそこに連れて行けばいい筈だ。
夢でしか見たことのない、けれど確かなあの山の上。
だけど死んだじいさんは言い遺したっけ。
バカになれ、徹底的に、と。
それを私が今やると、あの嫌われ者のじいさんはもう一度生きられるんだろうか。


道端に、ふしぎな美しい女が倒れていた。こと切れている。子どもがその女に取り付いて、何かを取ろうとした。私は猛烈に怒り、子どもをはじきとばして亡骸を守った。
「ダメだ。このひとに触るな。お前の母親かも知れないんだぞ。大事な友達かも知れないんだ。人を見たら誰でも、たとえ死体でも、そう思え。でなきゃ、お前はなんでここにいる?このひとに触ったらはっ倒すぞ、クソガキ」
なぜこのひとがこんなに恋しくて、泣き叫びたいのか分からない。
そして、次の瞬間、怯えた子どもを見てひどく後悔した。私の阿呆、やっちまった。怒鳴るなんて。最低だ。
なんで?私がされたらイヤだから。怖いから。ずっと怖かったから。


すぐに私はうなだれ、白旗をあげる。
「ごめんね。でも、このひとは、大事なんだよ。お前や私と血のつながりがなくても、知り合いでもなくても。誰かにとっては大事な、大切なひとだ。特別な」
それ以上言うことこそ、バカみたいな気がしたので、私はまたその子を抱きしめた。
子どもは泣いた。泣きに泣いた。
伝わってくる恐れ。火傷するほどの不安。失った悲しみがまた繰り返され、自分がまた無価値な存在におとしめられることへの猛烈な抗議と怒り。
私はただ抱きしめ、やがて私も声を放って泣きはじめた。
私はいくつなのか。
この子と私。どこが違う?ただ、今は私のほうがまだよけいに力はあり、そして何より、抱いていてあげたい、無限に。そう切望するだけ。それ以外、分からない。これもバカの一種なんだろう。


私の眼は、この子の眼と同じだろうよ。
なら、この子のその洞穴に灯った、あの光は?


かつて私は、淵を求めて行った筈。
あそび半分に心霊スポットに行くみたいに、難解な書に挑むみたいに、むこうみずな冒険に出るかのように。でも向かったのは、あの淵。
私はひどいことを沢山して、すべて失い、ボロ雑巾みたいになって、沢山の人を傷つけた挙句、あの岸辺にいた一人だった。
では、この子の光が、私を救ってくれたのではないか?そうじゃないなんて、誰に決められる?


食べるもの。せめて水。ひと口でいい。口の中も喉もカサカサで干上がりそうで、狂いそうだ。夢見る。美しく透明にあふれる水。そこで存分に潤い、清め、上空に、大気には、光。
でも光は外から来るだけのものとは限らない。



沢山泣いて、ともに歩くたび、それでも時々息が止まるほど美しいものがあって立ち止まったり、おかしなことを言って笑ったり、時々食べるものがあって分けて食べたり、そうしているうちに私たちは溶け合い、人でもそうでなくてもよくなり、それでもきちんと分かれていて。


だいすきだよ。


いま私たちが肉体を持って生きてるのか死んでるのか、もう分からない。証明はない。


でも、笑顔が見える。
笑い声が聞こえる。
この子の、
わたしの、
最初の笑顔と笑い声。
地獄の鬼だの悪魔だのだって始めはそうやって光るあかんぼで。
鬼だの悪魔だのそうみんなに言われてるうちに、その気になってしまうもんなのさ。そして、みんなに言われた通りの獄卒を律儀に演じる。淵を見すぎて光を無くす
私ゃ鬼ごっこはもうまっぴらだ。降りるよ。


この光る子ども。
三つ?五つ?八?十四?十九?二十八?三十四?四十六?五十、それとも六十二、七十五、八十、それとも


(ぼくが六十四になっても君は愛してくれるかい?)


だいすきだよ。
だいすきだよ。


ああ、この子は、こんなに光ってる。取り戻したんだ。そうすると私も光る。それは、うれしいってことで、生きてることで、それでいい。
子どもたちが、いつのまにか何人か周りにいて、私たちは笑って、山を目指す。



実際に夢で見たのはこのシーンまでだ。私たちはぼろぼろの孤児で、とにかく山を目指していた。けっこうげんきに。わりとのんきに。


誰かが不満げに言う。
「山ってどこよー」
私は答える。
「知らない。でもあるよ。すごくきれいなんだ。夢で見た」
「不確かな情報!」
そう突っぱねて笑ったほかの子を引き寄せて、笑って言ってやった。
「ゲームの世界は好きなくせに。なんでもありの世界を。私たちみんな、知ってるはずだよ。そこのことは昔から。で、それは、なけりゃ作るだけのこと。なくしてもなくしても作るんだよ、それでこそ、バカだ。一人でやってもいい。誰かとやってもいい。でも、あれだけは忘れないで」
私は光源を指した。
太陽だ。


そしてそれは、太古の昔から私たちの中にもずっとある。眼の中の光。
「無くすなよ?坊主にお嬢たち。何があっても、光だけは。いくつになっても、孤立無援になっても、それさえ忘れなきゃなんとかなる。過去のヤなことなんか見るな。ヤな未来を勝手に想像しないこと。そーいうのを?」
みんなが笑った。
「ほんとうのバカっていうー!」


だいすきだよ。
だいすきだよ。
ずっとずっと。

燕がひいっと飛んだ。


そゆこと。

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