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怪談水宮チャンネル (12 )Help from my friends

『開き始めたきっかけ』

長年の親友の男がいた。美味しいプレートと飲み物を出すカフェを当たらせてた。
私の例に漏れずしんから「男同士」のような付き合いだった。高学歴で線が細く、昭和文学と漢文と落語と酒にかぶれた優男のそいつと「豪放磊落な」私とは不思議に気が合った。
「水宮とは昔、中国で友達だった気がする」目の縁を赤くして夢見るように言えば私も
「お前とか?日がな山中の庵で酒飲んじゃ詩とか歌いっこしてる爺さん同士みたいなな」。
奴は満足気に笑って頷き、さらに杯がすすむ。


私の食糧的窮地の時に突然、手ずから焼いた店のパンを段ボール一箱ぎっしり詰めて送ってきてくれたことがある。いずれ日もちのする美味いパンで、中にはひと言「救援物資」とだけ書かれたメモが入っていた。私は泣きながらパンを食べ、存(ながら)えられた。
そんなこんなで十数年、付かず離れずの酒の友だった。


そんな奴が、しくじった。
突如、店と家族と家を失った。
事態を知った私はとにかく、私の実家の空いてる部屋を当面使え、まず落ち着いてそこから職でも住居でも目処をつけろと言ったが、奴は悲しげに首を振るばかり。酒に溺れて、ようよう息をしてるような状態だった。
(こいつ、生きる気力がまるでない)
私は焦った。


言っても埒が明かない。が絶望した友達を見殺しには出来ない。かと言って私には金もコネもツテもない。情けなくて頭をかきむしりたくなった。どうしたらいい。
夢を見た。川。赤い朝日。


翌朝人知れず日の出前に起きだして近くの大きな川へ行った。
おりしも夢どおりの赤くきらめく燭光が川面に差し、水が水晶のようにきらめいた。
わけも分からず冷たい流れに手を深く浸し、長く祈った。
「神さま。頼みます。あいつを助けてやってください。友達なんだ。死なせたくない」


その明確な夢、それに導かれて直観的にやった訳の分からない祈りと行動。藁にもすがる思いで。
ずいぶん前の記憶だが、急に思い出した。


それから何年も経ち、更年期の心身・人間関係、社会的危機を生き残る際、夢やヴィジョンや声や現象などが頻発するようになっていったのはこれまでに書いた。
だが私をそうして啓いたのは私自身の悩み、では、最初はなかった。窮地に陥った友だったのだ。
ひとのために、祈ることだった。



だからやり方は、基本変わっていない。またそういう時に最もよくはたらき、私が一切の報酬を厭うことで精度が高まるらしい。それを商売にはしないしご縁のある人にしかしない、と決めてもいる。
自分自身の窮地に関しては、やはり誰かが助けてくれていると今は感じる。だが初めのうちは何も分からず孤立無縁だと思っていた。
そうして感謝もなく分からずやのまま不貞腐れてると、とんでもない「上からのビンタ」が何度か来て思い知った。←もうマジ勘弁です!
味方はいくらでも自分の中にいてくれる。気づかないのは大馬鹿だった。
その最たるやり方で祈ってき続けてきているのが、夫になったひとだ。そうしたかったから。私が好きになり、好きでいることが誉に思えるから。


べつにキエーとか祈祷なんかしない。決まったセオリーとかもないフリースタイル。
距離も関係ない。時間さえ。


自分の願い事はしない。中にいる仲間がいつも助けてくれている。みんなは私で、私はみんなと同じことだ。「その自分」でなんとかできるから。そのものたちの生死も種別も問わない。こころが分かればいい。


今となってはもう世界のどこにいるかも分からない、そうした大切な友人たち。
彼らがしあわせであると信ずる。信じられないようならはなから友達になってなんかいなかったろう。
ありがとう。あなた方が助けてくれたおかげだよ。私は達者で、しあわせでいる。

勝栗

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