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月記

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記事一覧

[月記]24年3月 発熱

年末にインフルエンザに罹った。 クリスマス直前から体調が悪くなって、立てなくなり、クリスマスの予定はやむなくキャンセルになった。 しかし、その予定は「プリキュア クリスマスコンサート 2023」を見に行くことであり、私は28歳独身男性なので、もしかするとこれで良かったのかもしれない。子供も隣の席に私がいたら気にかかろう。 年内はずっと39度台の熱が続く。年明けの1/2に熱が37度まで下がり、かなり症状は収まってきた。少し頭は痛いが、ずっと横になって何もできないというほどでは

[月記]24年2月 後悔

後悔曰く「先立つ不孝をお許しください」。 残された者曰く「先に立つならもっと早くにしてくれ」。            ◇          ◇ 絶対に後悔はしたくない、と思いながら日々を生きている。 子供の頃は無限大の可能性を秘めていたはずなのに、年を取るごとに人生が少しずつ収束していって、私たちは骨ばった真実でがんじがらめになる。学歴・就職・結婚・老後・自己実現。それらが理想的であるにせよそうでないにせよ、確定した事実は時間経過に比例して覆しにくくなってきて、それはゆっ

[月記]24年1月 怠惰

素でだいたい怠惰です。(創作回文)            ◇          ◇ 聖書には七つの大罪が記されている。 怠惰・暴食・色欲・強欲・憤怒・嫉妬・傲慢だ。大罪というと大いなる罪のように聞こえるが、誰しもが囚われがちなこれらには様々な罪を生む根源の欲求という意味がある。 マズローの5段階欲求に当てはめるなら、怠惰・暴食・色欲は生理的欲求に、強欲・憤怒・嫉妬・傲慢は安全の欲求や社会的欲求に分類されるだろう。いずれにせよ、生き物であればこれらを跳ね除けるのは容易ではな

[月記]23年12月 投資

2024年から新NISAが始まる。投資の勉強をしていると、投資で成功するのに必要な要素はどこまでも論理的な姿勢なのだとつくづく思う。お金持ちになれるかどうかは資本主義というルールの下で資産という「数字」をできるだけ大きくするゲームだと言えるので、完璧を突き詰めれば突き詰めるほど感情を差し挟む余地は無くなっていく。クッキークリッカーRTA走者は闇雲にボタンを押すというプレイングを行わない、と言えば伝わりやすいだろうか。 投資が難しいのは、この「数字」が我々の人生にあまりにも直

[月記]23年11月 自殺

死んでしまった後のように、じっと自殺について思いを巡らしている。 殺人と呼ばれる行為の中で、特に殺害対象が自分である場合に限ってそれは自殺と呼称される。自殺でない殺人においてその行為に対する責任は必ず自らに返ってくるが、自殺の場合はその行為によって自らを全ての責任から解放してくれる。自殺は殺人に包含されながらも、殺人とはもっとも遠い場所にある。 ある少年が自殺をしたとする。誰かに唆されたのではなく、文字通り自決をしたとする。このとき、周りの人々は少年の死を悼む。だが、自殺

[月記]23年10月 相補

物理学において、光は電磁波──つまり「波」であり、同時に光子──つまり「粒」でもある。対象が小さければ小さいほど、それらの境界は曖昧になっていく。我々が光について深く知ろうとするとき、波動性という観点と粒子性という観点の両方からアプローチしなければその本質を掴むことはできない。古典力学と量子力学が排他的に対象を記述することで系の完全な記述が得られ、これらの関係は相補性と呼ばれる。 同様に。我々が芸術について深く知ろうとするとき、その端緒として自分の中の芸術を作品という形で表

[月記]23年9月 饂飩

9月に更新するはずだったのに、気が付けばもう10月も半ばになってしまいました。そうです、私は文章を綴ることに疲れてしまったのです。代わりにこれからは饂飩を啜ることにします。ちゅるるるる~☆            ◇          ◇ うどんと語り合わねばならぬ、と思った。 パスタほど気安くなくて、ラーメンほど八方美人でなくて、蕎麦ほど高貴でない麺と語り合らわねばならぬと思った。彼らだってなかなか素敵な麺子には違いないが、私の胃袋に満たされているこの漠然とした不安を打ち

[月記]23年8月 飽和

最近、頭の中がたくさんのやりたいことで飽和している。 人はこれを「幸っている」と呼ぶ。            ◇          ◇ 二兎を追う者は一兎をも得ずというが、複数の物事が同時進行すればするほど、各タスクは中途半端な結果に終わりがちだ。目標は常に認識できる数に絞り込まれていた方が良い。皮算用をしている時間は確かに楽しいが、実際に皮を得なければ楽しいだけで終わってしまう。 まずは自分が今やりたいことを、思い付くままに書き出してみる。 文学フリマ大阪に向けて原

[月記]23年7月 手紙

先日、ある人に向けて一通の手紙を書いた。それが誰なのかはここでは正直どうでも良いことなのだが、それはもちろんその誰かがどうでも良い人だということを意味するわけではない。何故なら手紙を受け取る人は常に手紙を送る人にとっては大事な人だからだ。ただし、その手紙が督促状ならびに果たし状である場合を除く。 手紙というのはたいてい時間をかけて書くもので、その分メールや電話よりもずっと儀式めいていると思う。 私の場合は大概、便箋を買いに行くところから始まる。自宅にレターセットのストック

[月記]23年6月 航路

絵画の表現技法に、アクション・ペインティングという手法がある。筆を振ったりしながら絵具を紙に垂らしたり散らしたりして絵を描くやり方だ。成果物に重きを置くというよりも、絵を描くという行為に対してフォーカスした技法だと言える。それでは、文筆作業におけるアクション・ライティングはどのようなものだろう? たとえば、生成する文字列に対して究極のランダム性を求めるならば、タイプライターを用意してその前に猿を配置しておけば良いだけのことだ。無限の猿定理は無限に長い時間が与えられた場合に『

[月記]23年5月 語呂

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、4月は死ぬ。そして5月は6月と合わせて語呂合わせ月間です。そして「意味が分からない」と四の五の言うあなたはろくでなしです。 前回の月記から私の誕生日が春頃であることが明らかにされているが、もっと具体的に言うと4月7日である。そして前回の月記の冒頭ででてきた医師の親友 (以後、彼をDr. と呼ぶ) は私の誕生日を一生憶えてくれない。私はDr. の誕生日には毎年LINEでメッセージを送るが、その逆はいままでにほとんどなかった。4月の下旬に「

[月記]23年4月 免許

免許の更新に行った。 ……というだけで「運転免許のことだな」とわかる程度には自動車は免許という言葉を独占している。何故ならそれは、私が所持している物理の教員免許よりも、私の親友が所持している医師免許よりも、私の叔父が所持しているふぐ調理師免許よりも、はるかに気軽に世間に皆伝されまくっているのが運転免許というものだからである。 免許更新センターの行列に並ぶ途中、その人の多さはちょっと辟易するほどだった。ものがありあまっている場合に「掃いて捨てるほど」と表現することがあるが、

[月記]23年3月 節約

三月。月記というものを始めてみようと思う。山月記ではないです。 毎日お風呂に入ることも面倒臭がる自分にとって日記というのはハードルが高すぎるので、その負担を1/30に軽減して自分に課すことにした。それが月記。これならきっと私にもできるよね……と言いたいところだけれど、書いている途中で月を跨いで全部がどうでも良くなって月記を辞めてしまうという事件が半年後くらいに発生してしまいそうな気がするので、自分なりのルールを定めて長く続けやすい環境を整えておく。 タイトルは普通名詞、語