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消失点

テーブルやカウンターには、いくつか、片づけられていないカップ&ソーサーがあった。

小さな喫茶店。
店は、店主一人で切り盛りされているらしい。
手が回らないのも、無理はない。

ドアのベルが鳴ると、店主は手を休め、顔を上げた。

そして、わたしの姿を目にして、あ、と気づき、顔を綻ばせた。

「いらっしゃい。来てくださったんですね」

「はい。先生の仰っていた、お向かいの白い鳩も見てみたくて」

鳩に惹かれたのは事実ではある。
しかし、そういう口実でもなければ、先生の店に立ち寄ることは、できなかったと思う。
おそれ多くて。

わたしが、「先生」と呼ぶのは、彼が、喫茶店の店主でありながら、そこそこ名の知れた美学者であるからだ。

わたしは、長らく、先生の絵画教室に通っている。

絵画教室とはいえ、先生は、絵画の描き方を直接的に教えるのではない。
鋭い審美眼から、生徒に対して、的確な批評をするだけだ。
しかし、それが、凄まじかった。
生徒たちは、瞬く間に、腕を上げていった。

そのため、先生の絵画教室からは、何人もの画家が輩出されていた。
大きな賞を受賞したり、商業的に成功したりして、堂々と「画家」を名乗れる画家たちだ。

ゆえに、先生は、画家や画家を志す者、いわゆる美術界隈では、言わずと知れた有名人であり、人気講師だった。
教室には、老若男女問わず、常に多くの生徒が集い、熱気に溢れていた。

生徒たちの大半は、絵描きのイロハなどは既に習得し、それなりに画力のある者たちだった。
美大生か、腕に自信があるか、そういう者たちだ。
そして、もっと上手くなりたい、良いものを描きたい、あわよくば売れたい、という野心を持っていた。
教室の仲間は、同時にライバルであり、切磋琢磨する相手だった。

一方、わたしは、かろうじて美大卒ではあったものの、画力は並。
画業を生業とはできず、画家とは名乗れず、その萌芽すらなく、また、志しもしなかった。
誰かからライバル視されたり、先生に目をかけられたりするような、出来の良い生徒ではなかった。
言うなれば、箸にも棒にもかからない者だった。

ときどき、なぜ、自分が、この教室に居るのか、居させてもらえるのか、わからなくなった。
自分が描きたいもの、描くべきもの、描かなくてはならないものとは何かも、わからなかった。
そういう虚無感と無力感から、ひどい混乱に陥ることもあった。
でも、居た。

教室の古株ではあったものの、そうであるだけで、いつまで経っても、鳴かず飛ばずだった。

また、先生と談笑できるような、親しい間柄にもならなかった。
先生は、わたしを端から認識していなかったし、わたしも、そもそも社交的な人間ではない。
たとえ、社交辞令にすぎなくても、先生と友好的な関係を結べるひとたちが、羨ましく、遠かった。

多くの同志が集うなか、わたしは一人、黙々と描きつづけていた。

教室に参加する以前にも、わたしは、もちろん描いてきた。
描くことが好きで、それなりの努力をして、美大まで進んだくらいだ。

しかし、ずっと孤独だった。
画業というものが、本質的に孤独なものとはいえ、孤独だった。
このままではいけない、孤立してしまう、絵を狭めてしまう、と焦り、先生の教室に、滑りこむように、紛れこんだのだった。

とはいえ、教室に入っても、わたしは孤独だった。
何にも変わらない自分に失望していた。

教室ではいつも、片隅どころか、何でもない一点に居た。
隅ならば、まだ少しは目立ったのかもしれない。

教室のなかの自分は、網膜のなかの盲点のようなものと、ずっと思っていた。
誰の眼にも認識されない、虚の一点。

だから、その日、先生が、わたしの背後で足を止め、わたしの絵を、わたしと共に眺めてくれたのは、まるで奇跡だった。

とはいえ、先生の目を引いたのは、わたしの、その日の衣服の色であるようだった。

「いま、お召しの色が、そのまま、この絵の色になりますね」

「はい、そう思います。そう思って、今日、着て来ました」
わたしは、ドキドキしながらこたえた。

まだ着色はしていなかったけれど、わたしには、この画布に載る色が見えていた。
構想ができていた。

先生が、鉛筆の線描だけの白いキャンバスを観て、その色を見出してくれたことが、ほんとうに嬉しかった。
そもそも、先生が、わたしに焦点を結んでくれたことだけで、すでに感無量だった。

「個人的なことですけれど、ぼくは、あなたの、その、ターコイズのような、エメラルドのような色が、好きなんです」

「わたしも好きです。ミドリガメか、コガネムシみたいな色」

「いいえ、これは、玉虫色といいます。玉虫厨子の。孔雀の羽色でもあります。
ミドリガメも、コガネムシも美しいですけれど。

ターコイズとエメラルドですから、宝石の色です。宝石というのは、途方もない時間の結晶、ときのしずくです。
妙なる揺らぎを内包しています。

絵も、同じくでしょう。
時間の結晶化、瞬間の永遠化。

あるいは、その色は、ある光に照らされた、ひとときの海の色。
地球の色かもしれない。

何にせよ、玉のような玉虫色です」

「ありがとうございます」

感謝ばかりだった。
なのに、一言の礼しか言えなかった。
言葉に詰まっていたし、元々会話は苦手である。
何より、胸いっぱいだった。

先生は、一つ小さく会釈したのち、わたしと、わたしの絵から離れて行った。

その日の教室の終わり、先生は、生徒全員へ向けて、白い鳩の話をした。

「ご存じの方もいらっしゃると思うんですけれど、ぼくの店のお向かいの店は、ゴシック的なアンティークショップなんです。ぼくの店は、通りに面して大きな窓がありまして、向こうはガラス張りなんですね。ですから、店のなかが、よく見通せるんです。ぼくは、よく眺めています。定点観測のように。

覗き見、と言うと体裁が悪いんですけれど、まぁ、覗き見です。
(ここで教室から笑いが漏れる。先生も笑いながら続ける)
なかなか見どころのある良い店なんです。見飽きません。見れば見るほど、見応えが増すんです。

ぼくの店も、向こうから見られているんでしょうかね。

でね、その店の隅には、ひとも入れるくらいのサイズの、大きな鳥かごがあるんです。
電話ボックスの、あの『風の電話』のようにも見えるんですけれどね。
でも、たぶん、あれは鳥かごです。部屋の隅に置くしかないくらい、嵩張る鳥かごです。

それは、錆びたような臙脂色をしていましてね。実際、錆びているのかもしれません。で、そのなかは、ずっと、空っぽでした。

でも、最近、真っ白な鳩が居るんです。とはいえね、一羽の鳩のかごにしては、その鳥かごは大きすぎます。だいたい、かごの格子から、鳩は自由に出入りしています。
鳥かごの役目を果たしていない。でも、形は大きな鳥かごなんですよ。

でね、その鳩がまた、純白の、美しい鳩なんです。ピカソの鳩のように。

あ、すみません。とりとめのない話です。
もし、ぼくの店にいらっしゃるときには、ぜひ、お向かいも覗いてみてください。

それでは、今日は終わりにします。ありがとうございました」

向かいにアンティークショップがあるとは知らなかったが、先生が喫茶店を営んでいることは、既に周知のことだった。

先生の熱心な生徒や、コアなファンは、半ば聖地巡礼のように、先生の店を訪ねていた。
それは、教室にいれば、聴こうとしなくても聞こえてきた。
けれども、わたしは、それまで訪ねたことはなかった。

わたしは、その日の日中の教室で、先生から声をかけてもらえたことに気を大きくして、夕方、先生の店を、初めて訪ねたのだった。

先生は、わたしのまとう色で、わたしを記憶してくれていた。

「〈玉虫色のきみ〉ですね。ぼくの店は、ホットコーヒーしか出せませんが、かまいませんか」

わたしは、小さく一つ頷いた。

そして、カップ&ソーサーの残された席を避けて、座った。
飲み干されたカップもあったが、飲みさしのようなカップもあった。

店内を、ざっと見回した。
マホガニーの円形テーブルと椅子、一枚板のカウンター。
腰壁もマホガニー。
その上の白い壁には、何の装飾もない。まるで、日本画の余白のように、一枚の絵も掛かっていない。
床は、くすんだ臙脂色の絨毯。歩いても音がしない。

静かな店内。
だが、ごく少量のボリュームで、何らかの音楽(おそらくはクラシック音楽)が流れされているようだった。
微かな音は、店の雰囲気には合っていたものの、演出の意図は感じられなかった。
店主が、密かに聴くためだけのもののようだった。

「お待たせしました」

いまは店主である先生が、所変われば生徒であるわたしに、恭しくコーヒーをサーブしてくれた。
恐縮だった。

「これ、おまけです」
と言いながら、先生は、ダークチョコレートを添えてくれた。
チョコレートのパッケージは、わたしの服と同じ玉虫色だった。

そして、「片づけますね」と言いながら、空席に置かれたままだった空のカップを手際よく下げた。

ただ、先生は、飲みさしと思われるカップは下げなかった。
そこが、空席であるにもかかわらず。
いっとき席を立った客が、すぐに戻ってくるのだろうか。

いや、ちがう。

そのとき、気づいた。
そこは、空席ではないのだ、と。
見えないだけで、客が居る。
わたしには見えないけれど、先生には見えているのかもしれない、と。

「お客さん……」
と、わたしは、はからずも、ひとりでに呟いていた。
ハッとして、顔を上げると、先生はわたしをじっと見ていた。
そして、尋ねた。

「あなたには、見えますか」

「いいえ、見えません」

「ぼくにも、見えません。けれども、大切なお客さまです」

「そうでしたか。見えませんが、いらっしゃることは、わかります」

「どなたなのか、正確には、わかりません。
ですが、ぼくは、ぼくの最愛の、亡き妻であればいい、と思っています。
半ば、そう願いながら、そう思って、ぼくの妻として、もてなしてきました」

先生の伴侶がもう居ないことなど、全く知らなかった。

先生は、世間的には、気鋭の絵画教室のカリスマ的講師であり、小洒落た喫茶店の店主でもある。

きっと、私生活も順風満帆なのだろう、当然のように妻子がいて、奥さんは慎ましく穏やかで、いわゆるできた方で、お子さんも優秀で、すでに成人して自立しているのだろう、という漠然としたイメージを、勝手に描いていた。
杓子定規というものだ。

「ぼくには、子はいません。妻も、もういません」
先生は、わたしの思考を見透かすように言った。
先生は、自身に抱かれやすいイメージを、既に飽きるほど、他者から向けられてきたのだ。
恐縮に重ねて、恐縮だった。

先生は、肩をすぼめるわたしに、微笑みながら続けた。

「妻がね、かつて、生きていた頃のことですけれど、あるとき、『コーヒーは、玉虫色をしているね』と言ったんです。
ふらりと立ち寄った店で、コーヒーを飲んでいたときでした。

この店は、その店を模してつくったんです。
とはいえ、その店には、妻と一緒にコーヒーを飲んで以来、行っていません。足も向かなくて。
だから、この店は全部、ぼくの記憶だけで再現しました。かりものの店なんです。美学者だというのに、独創ではなく。

コーヒーが玉虫色なんて、ぼくには、何のことか、さっぱりわかりませんでした。そのときには、わかろうともしませんでした。
はっきり憶えていませんし、思い出せませんが、適当に受け流したのだと思います。全く気にとめませんでした。
でも、逆に、ささやかな日常の、不可解な一点だったがゆえに、記憶の奥底に残っていて、この記憶の断片を、思い出せたのかもしれません」

先生は、懐かしむように目を細めながら、宙空を眺めていた。

わたしは、じっと先生を見つめ、話の続きを待った。

「ある日、ぼくは、自宅で、コーヒーを淹れたんです。
ぼくは、むかしから、コーヒーが好きでね、半ば、カフェイン中毒的な傾向があって、コーヒーに関しては、ちょっとしたこだわりもありました。
ですが、そのとき淹れていたのは、インスタントのドリップコーヒーです。誰かから、おみやげか何かでもらって、いつも使っているアラビアのカップにセットして、粉を蒸らしてから、お湯を注いで。もらいものですし、こだわりも何も、ありません。簡単なものです。

でね、飲もうとして、何気なく見たとき、カップの、コーヒーの、水面というのかな、表面を見たとき、驚きました。ほんとに、玉虫色だったんです。すべての色を含みつつ揺らぐような、あの玉虫色です。
魂消ました。彼女の話していたことが、理屈抜きに、すっと認識されました。

そして、めぐりめぐって、この店を開く運びになったんです」

先生は、一呼吸おき、なお続けた。

「ぼくは元々は、美学の研究者ですからね。
嗜好しているとはいえ、コーヒーにも、喫茶店にも、経営にも無縁でした。
ですから、この店をつくる過程で、彼女は……亡き妻は、見えないかたちで、随分尽力してくれたのだと思います。そうでなければ、開けなかったと思います。

この店は、ぼくの気分次第で開ける、気まぐれな店なんですけれどね、まぁ、彼女の店なんです。彼女のための店かもしれない。
オープンしてからは、妻は、お客として来てくれているようです。ときおり感じるんです。
いまも、です。

彼女が居るときのお客さまは、特別です。
だから、あなたも」

わたしは、店主である先生と、空白の席に、目を泳がせたあと、その終点、自分の目の前に置かれたカップに、視線を向けた。

わたしのカップの、苦味のあるおもてにも、玉虫色は浮かんでいた。
玉虫色が、焦点を結んでくれたのだ。

「先生は、お気づきではないと思いますが、わたしは、かなり前から、先生の教室に通わせていただいています。今日、初めて、先生にお声掛けいただいて、嬉しくて。
元来、わたしは、引っ込み思案で臆病なものですから、このお店にも、勇気をふりしぼって来ました。

お向かいの白い鳩を見てみたかったのもあります。でも、鳩はいませんでした。店内に入る勇気もなくて、ガラス越しに店内を見回したのですが、鳩は見当たりませんでした。真っ白な鳩なら、目を引くはずなのに。

どうやら、鳩は、わたしの盲点に隠れてしまったようです。
観る者としてのわたしは、白い鳩を見出だせない。きっと、わたしは、画家にはなれないのでしょう。

逆に、対象としてのわたしも、教室では、認識されない盲点なのだと、ずっと感じてきました」

「いいえ、あなたは、初めから画家です。描かなくてはならないものも、既におわかりになっている。

それに、あなたは、盲点ではなく、消失点です。
その点がなければ、透視図法では描くことのできない消失点。画面上に描かれはしないが、画面上に確かにある一点です。

白い鳩もまた、ある意味では、消失点です。
自由に行き来していますから、居るのに、見えないのです。
つまり、あなたも、白い鳩なのです。

この店もまた、消失点です。
ぼくの大切な秘密です」

「盲点ではなく、消失点」
先生のその言葉は、わたしを、ほっと安堵させた。

そして、わたしも死者なのだ、と気づいた。



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