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連載日本史101 室町文化(2)

南北朝時代の仏教は、鎌倉時代に続き禅宗の全盛期であった。特に臨済宗では、夢窓疎石(むそうそせき)が後醍醐天皇や足利尊氏などの帰依を受けて天龍寺や永保寺を開いた。疎石は造園でも才能を発揮し、小倉山を借景にした天龍寺庭園や苔の美しい西芳寺庭園など造園技術を芸術の境地に高めた。

天龍寺庭園(oniwa.gardenより)

南北朝が統一され、足利義満の時代になると、北山文化と呼ばれる華やかな文化が生まれる。その代表建築は、何と言っても鹿苑寺金閣である。天井から壁面に至るまで金箔が施された光り輝く三層の楼閣は、日本国王を名乗った義満の派手な嗜好を反映している。義満も禅宗を重んじ、鎌倉五山にならって京都五山を指定し、南禅寺を頂点に、京都・鎌倉の五山十刹を軸とした臨済宗の官寺化を図った。五山の僧は政治にも関わりながら、五山文学をはじめとする出版事業にも携わった。五山版と呼ばれた木版の書籍は、仏典だけでなく、漢詩文集や儒教の経典などにも及び、文化の普及に寄与した。

京都五山と鎌倉五山(ameblo.jpより)

水墨画では京都相国寺の画僧である如拙が、禅問答をもとに描いた「瓢鮎図(ひょうねんず)」が有名である。また、鎌倉時代に臨済宗の開祖である栄西が宋から持ち込んだ茶の栽培と喫茶の風習は、この時代に民間に広く普及し、茶の湯と立花、すなわちお茶とお花は、貴族・寺院・武家・庶民に至るまで、あらゆる階層で楽しめる文化となった。

瓢鮎図(京都国立博物館HPより)

禅はもともとは栄西・道元が中国から持ち込んだものだが、それが日本文化の代表のようになったのは、鎌倉・室町時代を通じて政治や文化と緊密に結びついたからにほかならない。特に禅寺から発生した茶の湯では、南北朝期に闘茶という茶の飲み当てを競う賭け事が流行し、派手好きな新興武士の婆裟羅(ばさら)の精神の影響もあって茶会・寄合は豪勢なイベントと化した。もはや当初の禅の精神はどこへ行ったのやらという感じだが、考えてみればこれは、現代の日本におけるクリスマスのイベント化と同じようなものだとも言える。豪華なイベントは、宗教が幅広く支持を得て市民権を獲得していくための有効な手段なのであろう。




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