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連載中国史7 春秋時代(2)

春秋時代後期より鉄製農具や青銅貨幣の使用が増え始めた。牛耕や灌漑、施肥などの農業技術も向上し、生産力が上がり交易も盛んになった。人口の増加は大都市の形成をもたらし、殷・周時代の邑制国家体制は次第に解体へと向かう。諸侯は少しずつ周の権威から離れ、独自の富国強兵策によって勢力を拡大し、公然と「王」を称するようになった。

春秋戦国時代の青銅貨幣(「世界の歴史まっぷ」より)

生産力の向上による人口の増加は戦争の在り方をも変えた。「人海戦術」という言葉にみられるように、大量の歩兵を投入して大軍同士で雌雄を決する戦闘が増加したのだ。将軍たちの戦略によって動かされる歩兵たちは、盤上の駒に過ぎない。さらに北方の騎馬民族から導入した騎兵も加わり、より大規模かつ悲惨な戦闘が各地で繰り広げられる大量人命喪失時代が到来したのである。

春秋時代の戦車(山川出版社「詳説世界史図録」より)

春秋時代の末期に活躍した思想家である孔子は、周代以来の伝統的な規範体系である「礼」を重視し、思いやりの心である「仁」、親への「孝」、主君への「忠」など、縦の秩序を重んじながら、徳による政治(徳治)の実現を説いた。彼の思想は弟子たちを中心に広い支持を集め、後世には儒学として体系づけられ、朝鮮半島や日本など、周辺諸国にも大きな影響を与えたが、当時の中国の為政者たちは理想主義的な孔子の思想を採用しなかった。現実のパワーポリティクスは、もはや孔子が理想とした時代からは遠く隔たっていたのだ。

孔子と老子(www.visiontimes.jpより)

孔子と同時代に活躍した道家の祖である老子は、「大道廃れて仁義あり」(人としての自然な生き方が廃れたから、仁義などという人為的な道徳が必要だと言われるようになったのだ)と述べて、孔子に代表される儒家の思想を痛烈に批判している。確かに道徳を殊更に強調せねばならない時代は、どこか根本的な歪みを抱えているのかもしれない。しかし、だからといって時間を巻き戻すことはできない。老子が理想とした「無為自然」「小国寡民」もまた、春秋時代後期にはもはや実現不可能となりつつあったのだ。あえて道家的な生き方を通そうとするならば、人里離れた山奥での隠者の暮らしを選ぶしかなかった。

紀元前五世紀、内陸部を支配していた晋が、韓・魏・趙の三国へと分裂し、本格的な弱肉強食の時代が始まった。ここに中国は戦国時代へと突入する。日本の戦国時代より2000年も早く、中国は下剋上の乱世を迎えたのである。

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