水の記憶はぼくたちに何を伝えようとしているのか?
去年の夏。中国四国地方は豪雨に見舞われた。やまは削れて地形が変わった。ぼくの住む因島では約3週間ほど水道から水がでなかった。幸い家には井戸水があったので、飲み水はいつもどうり井戸から手で汲んで飲んだ。食器を洗うときやシャワーは水道水を使っていた。これがいつも通りできないだけで随分とストレスになった。7月のじりじり照りつける太陽の下で、ぼくは心を被災させていた。神戸の震災のときは、兵庫県の尼崎に住んでいた。もう20年以上前だから曖昧な記憶だ。電気は1週間。一ヶ月くらいは給水車