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私の街、私の暮らし

4月から新社会人になると同時に、初の一人暮らし、そして上京。

先日無事修論を出し終え、休む間もなく家族を連れて東京へ家探しに向かった(実際回ったのは母と2人だけど、父と兄は観光のためについてきた笑)。

元々住みたい所が決まっていた私にとって場所は譲れない。しかしその分家賃もお高いもので。バストイレ別が良いなんて新卒の給料で贅沢なんて言ってられない。泣く泣くユニットバスで妥協し、築年数はやや古め、けれど小綺麗な1Kをなんと6万で借りることができた。7万くらいまで家賃に考えていた私にとってラッキーなことだ。会社の家賃補助もちょっぴり出るしね。

不動産巡りをしつつ、スカイツリーに行きたいと言う母を連れて電車に乗った。ほんの一年前くらいの私は、あたふたしながら夜行バスに乗り込み、山手線をグルグル回り、スマホを片手に半泣きで会社説明会に走ったものだった。自分より土地に不慣れな人を連れていると自然と気持ちがしっかりするのか、初めて乗った中央線も、地下鉄も前から知っているみたいに母の前では振る舞うことができた(と思う)。

その翌日無事に家を決めた後は家族で東京に住む姉と再会。お台場に行きたいと言うからモノレールに乗って台場駅へ。遠かった。のんびりとした両親を連れて歩くのは疲れたけれど、嬉しそうに目を細める2人を見てまぁいいかと思ったり。来月から東京に住む私を目の前にはしゃぐ姉。2人でご飯食べようね、と言う姉はほんの10年ちょっと前は手のつけられない不良だった。私はちいさな声でうん、と微笑んだ。

最終の羽田空港発の飛行機に乗り込むとどっと疲れが押し寄せた。すっかり疲れ切った私は口癖のように「高知に帰りたい」と何度も呟いた。母は疲れたのね、と笑った。私にとっての家は高知の街灯の少ない場所にある、隙間風が寒い暖かい家なのだ。羽田とは全く違う、人の少ない狭い高知空港について私は安堵のため息を漏らした。まだ東京は私の街ではないね、と母に言うと「そのうちあんたの帰る家はきっと向こうになるのよ」と。

本当にあんなに高い建物に囲まれた場所が私の街になるのかしら。幸い私の新居の近くは息苦しい建物は少なく、昔ながらの商店街が連なる。私の大家さんになる人は街で一番大きな銭湯を経営している人で、家の近所にも古い銭湯がいくつかあるそうな。私があの街に住もうと思ったのは、高知の商店街にどこか雰囲気が似ていたからだ。けれどまだ私にとって東京はどこか肩の力が入る場所。もちろん土地に慣れないというのが一番だけれど、どこか心許ないような、寂しさに似た気持ちを今更になって感じている。

それでもきっと一年もすれば、高知に帰省した私は「家に帰らなきゃ」と東京の家を思い浮かべるのかもしれない。私の街。私の暮らし。春の匂いを嗅ぎながら、息を大きく吸って生きていく。


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