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わたしが帰る場所

「いつしか高知に戻ったとき、東京に帰らなきゃと思うのかな」

恐らくそんな風に考えたのが、今から約1年とちょっと前だったように思う。そして私はいま、アンパンマンの安っぽい車内メロディを聞きながら、田んぼが続く道を片目にこの記事を書いている。

「お父さんの肺にね、影が見つかって落ち込んじゃってて、あまりご飯を食べないのよ」

今年の3月、電話口で母の少し低い声が耳元に響いた。猛威を振るう、新型のウイルスが厄介で私は1年以上帰れずにいたのだけれど、悩むに悩んでようやく今回の帰省を決めた。もちろん会社で受けさせられる検査を受け、ホテルを取り、マスクを外さずきちんと対策をとった上での帰省になった。

夏までに今住んでいる家を引き払い、引っ越すのだという。今回1度も実家に帰らなかった私は、去年曖昧な気持ちのまま離れた私の家と決別することなく、次は新しい家に戻るのかと思うと不思議な気がした。

駅に着くと、満面の笑みを浮かべた父とまず言葉を交わした。思ったより元気じゃない、と笑い、検査の結果は曖昧なまま、次は秋に再検査だという。変わらぬ父の笑顔だったけれど、髪は1年前よりもずっと白くなり、丸まり私より小さくなった背丈に少しだけ泣きたいような気持ちになった。

田舎の閉塞感が嫌だった。

どこに行ってもお互いの顔を知っていて、とても狭く小さなコミュニティ。そんな狭いコミュニティの中にいる家族さえも否定し、距離を置きたいとすら思い、私はできるだけ遠くの町へと足を運んだのだ。そして1年。

高知に降り立つと照りつけるような日差しが肌に突き刺さり、少しヒリヒリと痛かった。懐かしさを少しは覚えるかと思ったけれども、少しもそんなに感慨深い気持ちになることもなく、むしろ1年も離れていたという事実に違和感さえ覚えた。まるで昨日も、一昨日も高知で暮らしていたみたいに、私の中でこの土地の感覚、匂い、そして空気感が染み付いているようだった。

そして今。私が「帰る」と指す場所は、東京でも高知でもないような気がする。高知を切り離せるほど、まだ東京にも染まっていないし、かといってもうどこか故郷の一部は私の中からほんの少し切り離されているような気がする。私のふるさとだけれど、どこか観光客に似た気持ちで、土佐の地面を踏みしめたから。今の私のアイデンティティは宙ぶらりんのまま、不思議な感覚で電車に揺られている。

かつて嫌いだと思ったこの土地を、20数年生きてきてようやく受け入れられそうな気がした。そんなの都合がよく、甘ったれているだろうか。

父に高知には戻らんのか、と聞かれたけれど、しばらく娘は東京で頑張ります。東京に行ってよかったか、と聞かれたけれど、その問いに答えるにはまだ早すぎるようだ。

私の街、私の暮らし。

しばらく宙ぶらりんのまま、それでも時々は高知を思い出して頑張りたいと思う。


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