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独演会でラップをやった。

10月20日に26歳になりました。
そしてその日とその翌日に毎年恒例の「水谷駿介独演会」をやらしてもらいました。
今年で5回目。

「今更、独演会を振り返るんかい。」
という横槍は完全に無視させてください。笑

というのも、近しい仲間には
「独演会でこんなことをこういう理由でやって…」という説明を沢山したのですが、

そういえば、こうして文章に残してないことに気がついて、今書き出した次第です。

タイトルにもあるように、
今年の独演会は最後にラップをしたんです。

基本は例年通り、トークライブなのですが、
最初にフリースタイルをちょっとやって、
最後にちゃんと書いてきたやつを2曲。

今年は2日別の内容でやる!
と豪語してしまったので、
4曲分リリックを書かなきゃいかなくなってヒィヒィ言いながらもなんとかかんとか。

#リリックっていいたいだけ

もちろん、プロのラッパーからみたら「ままごと」レベルでしかないですよ。

でも、それは、そもそも僕のトークライブも、プロの芸人さんから見たら「戯言」でしかないわけで。

もっといえば、
バーテンダーとしての勉強なんて全くしてないし、
クイズや大喜利についての定石とか全く知らないし、
動画編集も台本書くのも、特段誰かに教えてもらったわけではなくて、、。

僕の仕事は10割「真似事」なんです。

でも、そんな「真似事」だらけの生き方だから、
ラップを人前でやるにもそんなに抵抗がなかったというか。

「そもそも俺の仕事なんてそんなんばっかりだし」ってのが、
臆病な僕の背中をひょいと押してくれました。

真似事だろうがなんだろうが、
行動し続けるとこういう「勇気」という副産物もいただけるんですね。

で、じゃあ、なんで「ラップ」なんだよ!と言いますと、

大きく二つあります。

一つはシンプルに
好きになりすぎちゃった。

Creepy Nutsを知って、
Aqua Timez以来の「これは俺の歌だ!」というイタイ聴き方をして
どんどんのめり込んで。

自分もやってみたい!ってなったのが一つ。

で、やってみたら、
勿論、うまくはないんだけど、

例えば、昔挑んだ「逆上がり」とか
「受験勉強」とかよりかは、
はるかに「できる気」に満ち溢れていたんです。

ラップを練習すればするほど、
少しずつできること・言えることが増えていって。

僕は運動神経がないから
運動部になんて入ったことないけど、
部活で毎日練習してた人たちの気持ちってこれか!って気がつきました。

できることが増えていくって嬉しいんすね。
こんなにも。

できないことが多すぎて、
やってもやっても何も成長しない苦しみばかりを味わってきましたが、

ラップというものがなんだかそんな自分を救ってくれた気がしたんです。

最初は独演会でやるとも決めず、
完全に遊びとして練習していたんですが。

で、じゃあ、「独演会」でなぜラップをやる必要があったのかというと、

それは、今年の5月に、
お世話になったある人に
「もういい加減やめたら?独演会。」って言ってもらったのがきっかけです。

ぶっちゃけ、
ここ数年、毎年独演会の内容に悩みまくってて。

大体僕のトークライブは人の悪口てんこ盛りなわけです。

二十歳そこそこの男の子が年上に吠えてる姿はまだ可愛らしく見えるけど、
二十代後半に差し掛かってきて、もうそれは厳しいぞと。

そんなことを薄々気づきながらも、
気付かぬふりをしてやってきたここ数年。

その人にそう言われた時、
納得感しかなかったんです。

でも、「独演会」はなるべく続けたい。

僕にとって、1人で1時間半喋れるという天国のような場所であり、自信をチャージできる場所でもあり、辛かったことを笑いに変えれる唯一無二の場所でもあり、なので。

だから、その言葉もらって三ヶ月くらい、
まじでどうしようか迷って、

予定してた内容も全部作り直して。

その途中に、
「あ!最後にラップすればいいんだ!」って結論に至ったんです。

どうしても、「話」だと、
面白くない部分はカットせざるを得ない。

自分の本音とか、優しさとかは「笑い」の邪魔になるならないほうがいい。

でも、「ラップ」はそれすらも埋め込めることができるんです。

即ち、ただの悪口だけで終わらず、
ちゃんとそこに対するフォローや僕の本心を「韻」に忍ばせて伝えられる。

これなら!と思って、そんな形で今年の独演会はやらせてもらいました。

独演会の帰り道、スタッフのたっきょさんに
「これで独演会の耐用年数伸びたね」って言われたのがすごく嬉しくて。

まだまだ、独演会は続けていきたいです。

アーカイブ、もう少しだけ販売してますので
もし気になったら買ってみてください!

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