なぜエコラリアをやっちまうのか

「つま先立ちのサンちゃん」という自閉症スペクトラムっ子・サンちゃんの漫画を楽しく読んでいるのですが
この間の更新で「エコラリア」のお話がありました。

かくいう私もエコラリア的なものがあります。
今の私はASD(自閉症スペクトラム)にしては運動能力が高いほうで、真似するのがまあまあ得意なので、外では結構定型発達ぽい動き(会話・表情)をすることができます。
でも、気を抜くと前に聞いた/自分で言った言葉をずっと繰り返して唱えてたりしますし(「遅延エコラリア」)、本当に気の抜けてるときは「即時エコラリア(その場で相手の言葉を繰り返す)」になったりもします。

漫画にでてきたサンちゃんのお母さん・たなかれもんさんの「なぜサンちゃんがエコラリアをするか」という考察が面白かったので、その大人バージョンということで、私はなぜエコラリアをするのかを書いてみようと思いました。

大人ASD(+ADHD)当事者的エコラリアの理由
私の場合、エコラリアは意識の上でやろうという意思をもってやってるわけではないです。なんとなく出る。なので、なんで真似するのーって言われても、その場ではこたえられません。
以下の考察は、自分で後から今のエコラリアだったな!?と思ったときになぜ起こったのかを分析したものです。

①目の前のものから気をそらそうとした時
ちょっとパニックになりそうなときとか、フラッシュバックになりそうなときに起こる。あとは、怒りや悲しみなどのネガティブな強い感情が起こったとき。私は、このときに出てくる言葉はあまりその場と関係のないことが多い。
私はあまり一度の使える脳のリソースが大きくないので、何かを唱えるととりあえず目の前のもので頭がいっぱいになることを防げる。まあまあ衝動性もあるので(ADHDもあり)、怒りなどに任せて行動するよりはだいぶ建設的と言える。意外と高度なんですよ、我々…。

②聞いた情報がすぐに処理できない時
私は圧倒的に視覚優位で、ADHDでもあるため注意力があまりなく、疲れていたりすると聴いたことを理解できないときがある。
そういうときは繰り返して言わないと一瞬で忘れてしまうので(というのも後付けの理屈ですが)、何度も言っているうちに意味がわかったりする。
難しい文章を何度も読み返すような感じ。理解するまで注意を言葉にくっつけておくための手段でもある(いわゆる、「だんごどっこいしょ」である)。
起こるのは、聴いたことの内容が難しい時、言い回しがいつもと違うとき、感情的に受け入れるのが難しい時。また、繰り返して言うことで結果的に会話が中断され、理解するまでの時間を稼ぐこともできていると思う。

③折り合いをつける必要がある時
「自分に言い聞かせる」に似ているかもしれない。折り合いをつける、というのは、指示などに従うのが感情的な理由やこだわりから難しいときに、なんとか自分の感情やこだわりを説き伏せて指示などを受け入れようとすること。
相手の言ったこと(命令など)に折り合いをつけないといけないときは、相手の言ったことをその場で繰り返す(即時エコラリア)し、かつて言われたことや経験したことに対しての時はその場のこととは関係ない言葉だったり、その断片だったりする。

④言葉自体をたのしむ時
これは単純で、好きな音楽を繰り返し聞くような感じ。
音が面白い言葉を聞いた・思い出した時や、楽しい記憶と結びついてる言葉を繰り返し唱えて楽しむことがある。
私は特定の英語とかの音が好きだったりするので、単語の途中だけなんかいも繰り返して言ってたりすることがある。

⑤声を出せるまで時間がかかった時
私は自閉症スペクトラムにしては器用なほうだけれど、定型発達の人たちほどは身体を動かすのが得意ではない。
定型さんはあまり意識しないかもしれないけど、喋ることだって呼吸や口の形をコントロールしないとできない高度な運動である。
なので、本当はみんなと同じタイミングで喋ったり歌ったりしたくても、初めての動きはできるようになるまで時間がかかる。やろうと思ってから身体を動かす「プログラミング」が終わるまでに時間がかかるからだ。
考えるともなく考えているうちになんかのきっかけで動かし方がわかるようになって、言えるようになることがあると、忘れないようになんども発音してみることがある(繰り返すが、意図的にやっているわけではない)。
そうすると、次はもうちょっといいタイミングで言えるよう(=その動きができるようになる)になるかもしれない。次が来るまでに忘れているかもしれないけど。
発音とかが簡単で、キューが簡単(状況が限られている、判断が簡単、ミスっても怒られない)な言葉は発しやすい。でも、ありがとうとかごめんなさいとかの社会的な意味を含む言葉は、言い方によっては怒られたりする=身体のコントロールを間違えないことが要求されるので、緊張するし難しい。あと、瞬時のコミュニケーションを要するやりとり(リズムに乗って身体を動かしながら歌う、などタイミングが重要な物)や、冗談に反応してすぐ笑うなども難しいことがある。

私は考えたことや外界のものごとと、音の言葉(話された言葉)が関係あるものだというのを理解するのがとても遅く、音の言葉に意味があることを理解してからも、考えを音に変換するのはとても大変でした。
なので、割と真似が得意だったこともあり、小さい頃はエコラリアみたいな現象はなかったように思います。教わった通りのことを教わった通りにしゃべるか、フリーズでした。
エコラリアはうっかり人前でやっちまうと奇異にみられる現象ではありますが、思ったことをとくに努力もせずぱっと音にすることができるようになったのは、自分にとっては大きな成長であります。
あと、やっちまっても大丈夫、と思える人を見つけられたことも、とても幸せなことです。

定型さんも年を取るとメガネメガネとか言いながら頭上にあるメガネを探したりすると思うので、社運がかかったプレゼンの場とかでなければ、ちょっと外でぶつぶつ言ってしまっても大目にみていただけると嬉しいなあと思います。

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