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アウフタクトはどこから?

アウフタクトは内側に起因するものと外側から迫るものとがある。アウフタクトのこの使い分けに気が付かないと音楽の呼吸を誤解してしまう。例えば、ブラームスop98の冒頭にある有名なH音だ。若い頃はこれを後者だと勘違いしてしまっていたし、そういう演奏例は少なくない。だが、その歌い方はallegroとしての推進力を保てない。だから以前はこの楽章を暗く陰鬱な湿気のあるムードで捉えていたのだ。そのCfa的な空気感は音符のひとつひとつをた潤い良く響かせようとしてしまう。だが、そういう呼吸では推進力を失ってしまう。
そもそもその呼吸はこの楽章を2つで執っているつもりだが、実は4/4になっている。アウフタクトのきっかけを「小節の中の3拍目」でカウントしているからだ。

結論を言えば、このブラームスop98のアウフタクトは小節の運動に起因している。0小節目の運動によってそれは引きずり出されている。
この第1主題は二つの小節が分母となって動いている。この第1主題はその分母の上で大きな4拍子と5拍子のリレーによって成り立っている。

①00 ②12 ③34 ④56
| ①78 ②910 ③1112 ④1314 ⑤1516
| ①17…

これに対して、例えばD944の第4楽章の開始は拍節の外側に起因する。

0|123 4|567 8|9…

これはvivace の音楽がそもそもその運動を「↑ジャンプ↓着地」というセットで考えていることから派生する。D944の第4楽章はまさにallegro vivaceであり、ブラームスop98のallegro non troppo とは目的が違うのだ。

アウフタクトがフレーズの外側にあるのか内側にあるのか、の問題は以前書いたようなK.504第1楽章の第2主題の読み解きなどで大きな影響を与えている。
そして、この問題について特に考察が必要なのはハイドンだと思っている。

例えば、Hob1:101の第1楽章prestoの第1主題ではそのアウフタクトの八分音符を明確なコントロール下に置かなくては軽妙な浅い歌に終わってしまうことはやはり書いた通りだ。

これらの話しを思い出したのはHob1:104に関わっているからでもある。その第1楽章第2主題もアウフタクトを捕まえられないと、その温かみと深みのある歌をコントロールできないからだ。ランドン版ではそのスラーの中に2拍めの裏を括るのか、括らないのか、あるいはスタカートなのかそうではないのかを明確に区別している。このフレージングの意味を捉えて再現するとその表情は格段に豊かなものになる。軽妙なだけの演奏はそういう楽譜上の配慮をほとんど読み飛ばしているものなのだ。

アウフタクトはどこから来ているのかは、恐竜の化石と共に眠っている内臓を見い出そうとする捉え方と同じ。鳴る音ではなく仕組みから作品を掴もうとする姿勢がなくてはできないことなのだ。

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