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aikoが思い出させる青春にaikoはいなかった

Apple Musicでaikoが解禁されて嬉しくなって全てのアルバムをダウンロードした。

発売日にレコ屋に駆け込み店頭に並ぶ新譜を意気揚々と手に取りレジに向かうのと根本的な行動は一緒なはずなのになぜネットの手軽さが加味されるとこうも味気なくなってしまうのだろう。

aikoの曲は私自身の青春には1曲も直接的に関わってこないのにaikoを聴くと青春が目の前に現れる。

中学生のとき、初めて恋人ができて夢見心地だったときaikoを聴いてはいなかったし、

卒業目前、卒業アルバムにみんなが寄せ書きを書き合う中好きな人を目の前にして書いてほしいの一言が言えずページが埋まらなかった冴えず苦い思いをしたときもaikoは聴いていなかった。

だけれど、aikoを聴くと想起されるそれらの思い出は深くaikoの歌声と結びついている気がした。

放課後の教室、2組のカップルと数名の女子が散り散りに存在する空間、2組のカップルの4人のうちの1人だった私の元にもう1組のカップルの片割れの友人が「2人もやっと付き合いだしたんだ」という何とも言い難い気恥ずかしさを持った台詞を吐いたときも私はaikoを聴いてはいなかった。

私たちは別れてしまったけどSNSの報せによると彼らはもうすぐ結婚するらしい。おめでとう。

リアルタイムに思い出のシーンでaikoを聴かなかったのは何故だろう。

それはaikoの曲が現実を直視させるからかもしれない。

私は音楽は2種類あると思っていて、
ひとつは現実を直視させて思いを馳せるもの
もうひとつは今だけは現実を忘れようとさせるものだ。

後者はアゲアゲなパーティーチューンが多いし、前者はしっとりしたバラードなんかが多いだろう。

aikoは歌詞が明るめでも曲調や歌い方にどことなく切なさが混ざっており、aikoを聴いている間は悩みが忘れられるなんてものではなく、内在した色々な感情を引っ張り出してくる。

だから私はaikoを聴くときは青春を思い出すし、aikoを聴いていられる間は自分は大丈夫だろう。

ほんとに落ち込んでいるときに暗い歌は聴けないから。


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