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#23 荷物は最少で

ひとつできないときは、ぜんぶできない。
ひとつできるときは、だいたいのことができる。

家事がいい例で、洗い物がイヤで仕方ないときは料理もできない。サラダだけとか魚焼くだけとかオーブンぶちこむだけとか、簡単か何工程もあるかではなくてとにかくなんもできない。(ひたすらやりたくない)

もうそういうときは、黙ってモバイルオーダーで息子に取りに行ってもらうかコンビニで好きなおかずでも買ってもらう。下手に言い訳しても逆に恥ずかしいので開き直る。「今日は無理。かあちゃん業は閉店ガラガラ」と言ってしまう。(そのワードセンスはさておきとして)

この年末年始は、この「なんもできないモード」が何故か数日続いてしまい、ひたすらだらけていた。風邪が治りきらず体調がいまひとつだったせいもあるとは思うけれど、どちらかというとメンタルがどうにもこうにも浮かんで来れなくて参った。

とりたてて原因があるわけではないと思う。更年期といえば更年期だけれど、一般的にはもう終わりかけの時期だし、そもそもそんなに症状が出ているわけではないから。
可能性としては、年始の災害と航空機事故がけっこうな衝撃だったということなのかな…石川県と縁(ゆかり)がものすごく濃いわけではないものの、新潟県は最初の嫁ぎ先だったし、やはり同じ国のなかでこの災害というのは直接的に被災しなくとも相当なものだと思う。いわんや、被災された方々を思うと…微力ながらの募金をせめてコツコツさせていただく。

いろんな事情や精神状況により、できないことが爆発的に増える時期があるけれど、年をとって感じるのは「できない自分を静視する」=「できないのが本来の自分かもね」という静観、が大事なのではないかなということ。

若い頃(三十代後半くらいかなぁ)はよく、こうしたいああしたいこういう生活がいいなこういう家に住みたいな…と自分にはおそらく必要のない暮らしを意味不明に欲しがっては勝手に苦しんでいたような気がする。
本当に必要なものだったらそれを得るための努力はそんなにつらいはずがないんじゃないだろうか。頑張っても頑張っても手に入らないのだとしたら、それは自分には必要も縁もないのだろうと。ただ欲にがんじがらめになって見えるべきものを見ることができていないだけのように、年をとって感じるようになった。

そんなにね、必要なものって多くないんだよね。
日々食べるものも使うものも。

使い切れないというか、向き不向きがあって。
例えば、お鍋はSTAUBがいいし、包丁はGLOBAL
スライサーは3つを使い分けしていて、おろし金も気に入ったものがある。
そもそも作る料理(家族がよく食べてくれるメニュー)がかたまってくるとおのずとそれ用の器具さえあれば後はどうとでもなるから。

これもあったほうがいいよね、これもあれば便利だよね、安いし買っておいたほうがいいよね…の連鎖は、つらい。
あったほうがいいものは、私の場合はほぼないし、必要になった時に買えばいい。取っておくとか持っておくストレスのほうが価格の何倍もつらい。

何もなくてもどうにかできる、そう思えるのが一番だから、荷物は最少(できればボストンバッグ1個)で生きていきたいなぁ。




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